7 楽しい祝賀会





 じゃあ、命名のお祝いをしよう!

 という湊の発案により、宴を開くことになった。

 日が落ちるにはまだ早い時間帯、緑あふれる庭の中央で、クスノキが細い枝々をしならせて遊んでいる。盛大に葉をプレゼントしたため、いまは丸裸である。

 本来、冬でもすべての葉を落とさない樹種にもかかわらずとんでもない姿だ。真夏ゆえ涼しげでよいといえるかもしれないけれども。

 その格好を愉快げに笑うように、滝と筧から流れ落ちる水音が鳴る。

 その音のハーモニーは、縁側に集合した面々のにぎやかさにかき消されている。


 ずらりと並んでいるのは、湊、山神一家、そして折よく帰宅した四霊である。

 山神を境にして、のんべえ組と呑まない組に綺麗に別れていた。

 のんべえ側は言うまでもなく、四霊だ。すでに出来上がった状態だったが、祝いの席ならばと迎え酒を楽しんでいる。普段さほど呑まない山神も珍しく盃を傾けて、いや、ペロペロ舐めてこちらに参加中である。

 一方、酒を呑まない面々は座卓についていた。

 主役のカエンもこちらに。

 圧倒的に背丈が足りないため、湊の横に積み上げた座布団の中央にちょこんと座している。もともと人型のせいか、座卓に座るのをいやがるゆえ、このカタチに落ちついた。

 その対面にテン三匹が行儀よく並び、カエンともどもみかんをむさぼり食う。彼らの周囲に舞う幻影の花が、この上なくうまいのだということを物語っている。


 しかしながら、湊がそれを見ることはない。その手が持つお茶に全神経を向けていた。

 なぜならみかんは、神の実だからだ。

 そのうえ眷属たちが食べているモノに加え、座卓に置かれた竹籠にも山盛りの神の実がある。なおこれらはツムギにもらった物だ。

 彼らが喜んで食べてくれるのは喜ばしい。けれども、そのおかげで縁側一帯はみずみずしい香り――恐るべき魅惑の香りが漂っている。

 そのため湊は、己との戦いに忙しい。

 自ずとあふれてくる唾液を飲み下し、気を抜けば神の実へと伸びそうになる手を物理的、精神的にもおさえつけている。


「き、きついっ」


 だが、負けてはならぬ。不老不死になぞなりたくないからだ。

 その手が湯呑みを強く握った。濃いめに淹れたこの緑茶が頼みの綱だ。舌がしびれるこの苦さでもって、己が精神を奮い立たせるしかない。


「――き、気をしっかり持つんだ。あれは食べ物じゃない、違う違う――」


 ブツブツとつぶやく湊に、みかんを三つ食べ終えたカエンがようやく気づいた。

 新しいみかんの皮をむき、一房を湊に差し出す。


「このみかんは、うまいぞ。なんじも食うてみよ」

「謹んでお断り申し上げます」


 真顔で拒絶され、カエンは眼をしばたたいた。

 新たなみかんの皮をむこうとしていたセリが忠告する。


「カエン、湊に無理にすすめてはいけませんよ。神の実は、人間の肉体を不老不死に変える効果があるのですから」

「そうだったのか。麿は知らなんだ……」


 カエンは驚きをあらわにしたのち、湊をじっと見つめた。


「汝はそれを望まないのだな」


 ひどく凪いだ声であった。その眼光も異様に鋭く、湊はかすかに気圧された。

 力が安定した今、改めてこのエゾモモンガは神なのだと思い知らされた。

 神に対して口先だけの言葉は無意味だ。正直な気持ちを述べた。


「――うん。もしなってしまえば、不幸になりそうな気がするから」


 実のところ湊自身、なぜここまで頑なに拒むのか理解できていない。

 ただ不老不死と聞いて、羨ましい、なりたいと思うことは欠片もなく、嫌悪の感情がわくのを抑えられないのだ。

 ゆえにいつも、その魔性ともいうべき誘惑に全力で抗っている。


「――お腹が空いてるのもよくないかも。俺も食べようかな」


 むろん座卓には、果物以外の品々も所狭しと並んでいる。

 ハンバーグ、エビフライ、ナポリタン、ポテトサラダなどなど。

 お子様ランチめいた料理をこしらえた。

 ここのところ、カエンもご飯に興味を示すようになってきている。というより、湊が食す物を求めるようになった。

 現にいまも、湊がハンバーグを咀嚼していると、隣から熱い視線を送ってくる。


「麿もそれを食してみたいのじゃ」


 やはり催促してきた。

 カエンはとにかく真似したがりである。

 幼少期、兄に対して同様の振る舞いをしていた記憶が想起され、妙にむずがゆい気持ちになる。

 その感情をごまかすように、小さく割ったハンバーグをおちょぼ口へと持っていく。


「はい、どうぞ」


 カエンは手づかみにも抵抗を示すようになってきたものの、ミニ箸はないゆえこの方法を取っている。

 懸命に顎を動かすエゾモモンガの尻尾が、ぴるぴると震える。その喜ぶ様を他の面子が微笑ましそうに眺めていると、唐突に硬質な物がぶつかる音が響き、弾けるような笑い声が起こった。

 何事かと一斉に見やれば、応龍の仕業であった。

 床に伏したその体の上と周りに、いくつもの木箱が散らばっている。もともと酒が入っていた物だ。


「さっきまで応龍がカラの木箱を積み上げて遊んでいたんだが、自分の羽が当たって崩れてしまったんだ」


 淡々と事実のみを口にしたトリカは、フォークに刺さるエビフライをタルタルソースに浸した。

 かの龍はといえば、床を転げ回って笑っている。


「あんな風になった龍さん、はじめて見た」


 やや酒癖は悪くとも、他者に迷惑をかけたことはないのだけれども。出先で何かあったのだろうか。

 そのうえ常ならば、真っ先に文句を言う麒麟もやけに大人しい。無言で木箱を前足で寄せている。不気味だ。

 とはいえ、さしたる害もない。


「ま、いっか。ご飯食べようよ」


 うん、とよい子の返事をする眷属たちと食事を続けた。


 しばし和やかに歓談していると、今度は大狼の唸り声が聞こえてきた。

 山神と応龍が睨み合っており、湊は目をむいた。


「うわ、珍しい」


 両者は仲が良いとも悪いともいえず、適切な距離を保っているといえる。

 応龍は口調と態度からしてなかなか気位が高そうだが、ここではとりわけわがままを言うこともなく、一住民としての節度を忘れないからだ。

 ――いつもは。


 グルルと伏せた体勢の山神が喉を鳴らした。


「――ならば、なにか。ぬしは、我が庭を味気ないと申すか」

『然り。先日赴いた竜宮の庭と比べると、いささか見劣りするな』


 顎を上げた応龍が不遜に言い放ち、二者間に火花が散った。

 すわ戦闘か。

 となるも、即刻霊亀が割って入った。


『否、断じてそんなことはないぞい。甲乙つけがたいといえる。それに、比べるものではない。――龍や、ちと呑みすぎぞい』


 たしなめられた応龍であるが、それでも山神と侃々諤々とやり合う。


『竜宮の方が絢爛豪華で眼の保養になるというもの』

「ぬしはわかっておらぬ、ちっともわかっておらぬ。庭に派手さ、華美さを求めるなぞ愚の骨頂ぞ」

『なぜだ。煌びやかな方が心躍るではないか――』

「否、庭に求めるのは、安らぎであって――」


 双方、引かない。

 ともあれ揉めている原因は庭のことなのだと、耳をすませていた湊も知った。


 毎日聴覚を意識しているおかげで、ほぼ完全に聴こえている。

 さほど苦もなく四霊の声が聴こえるようになり、なんとまぁにぎやかなと思わないでもなかったが、彼らはここで素を晒してくつろいでいるのだと思えば、単純に喜ばしかった。

 実家が温泉宿であり、そこの従業員でもあったため、己が陣地ともいえる場所で他者が心からリラックスしてくれると、うれしさを覚える。環境によって培われた性分であった。


 さておき山神と応龍の応酬は、口喧嘩にすぎない。

 放っておいてもいいだろう、と湊は眷属たちに向き直った。


「たまには本音を言い合うのもいいよね」

「まあ、そうですね」


 セリを皮切りに、他の面子にも同意され、湊は虚空を見つめながらつぶやく。


「竜宮城かぁ。いったいどんな所なんだろう」

「いきたいですか?」


 セリに軽い口調で訊かれ、迷うことなく答えた。

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