59 続・春の悪霊祭

 廃病院の一室。随所に医療器具、それ以外の物まで散乱し、壁や床がヒビ割れ欠けている。

 そんな室内の中、獣の形を成した悪霊が縦横無尽に駆け回る。床、壁、天井を足場にして勢いをつけ、戸口近くの播磨に襲いかかる。


 その俊敏な動きを肉眼で追うのは、極めて難しく、なかなか狙いを定められない。


 調子に乗った悪霊の速度が増す。何度もすんでで身を翻し、鼓膜を引っかくような奇声をあげる。挑発行為を繰り返した。


 壁面を蹴りつけ、迫りくる。その悪霊の顔面に播磨の革手袋をはめた拳がめり込んだ。あっさり的にされた悪霊は、一瞬、膨張。破裂。そして霧散した。

 その拳が触れる間際から、すでに輪郭は崩れかけていたけれども。


「やはり、こちらのほうが手取り早い」


 播磨が拳を握り直せば、キチリと新しい革が鳴った。

 相手は形を成した中級悪霊だった。

 こちらを襲う気概を持つモノは久々で、そこそこ殴り甲斐があった。

 満足そうに播磨はうっすら笑う。

 とはいえ、その目許には黒々とした隈が居座っている。


 悪霊祭が始まって、早二週間。湊の護符を仕込み、直接殴って祓う戦法に切り替えたばかりだ。

 九字護法は、スピード勝負には分が悪い。

 簡易版であれ通常版であれ、印を結ぶ時間がかかり、広範囲に放つのも霊力の消費が激しく、そうそう連発できるものでもない。


 ゆえに手袋の下、靴底にも、護符を仕込んで悪霊を殴って、蹴って祓っていた。

 手袋は新たなアイテムである。

 以前の物とは異なり、護符の効果を半分にしてくれる代物で、持続時間も長めになる。

 護符は消えモノであり、湊が手の甲に書いてくれるのはサービスのため、毎回書いてもらえるわけでもないからだ。

 


 播磨が部屋を突っ切り、隣室に向かう。

 戸口から一歩踏み入った所で、真正面から人型の黒い塊が四つん這いで突っ込んできた。目にも止まらぬ疾さで迫ってくる。難なくその頭部を蹴り抜いた。

 頭上から、左右から次々に襲いくる悪霊の頭部目がけ、両の拳で容赦なく殴り、ためらいなく両脚で蹴り祓っていく。


 主に頭部狙いなのは、真っ先にそこが己に近づくからである。

 何もわざわざ、殴ったり蹴ったりしなくても、護符一枚ケースから取り出せば、すぐに一掃できる。

 だが、やらない。

 ストレス発散もかねて……いや、護符節約のためである。

 いくら湊の護符が破格の値段で手に入るとしても、タダではないのだ。


 傍から見ても丸わかりなほど、播磨はいきいきと戦っていた。まさに水を得た魚のごとし。

 されど、その除霊方法は、過剰な暴力にしか他者には映らない。


「いやぁ、楽しそうなことで……おっさん、ちょい引くわ。武闘派、怖いねぇ」


 廊下に湧く悪霊を護符で祓っていた葛木が、ぽそっとつぶやいた。

 


  ◇

 


 悪霊が巣食う廃病院は三階建てだった。

 元総合病院は部屋数も多く、さらには別棟も併設されており、播磨と葛木だけでは到底手が足りない。

 今回、大人数で除霊に当たっていた。

 当然ながら、一条と堀川の二人もきていて、二階を担当していた。

 

 三階を祓い終えた播磨と葛木が、階段を下りる。

 二階は素通りし、一階への階段に足を向けた時、背後から一条の大声が聞こえた。

 何をいっているかは判然としなかったが、危機的状況な感じでもなさそうだ。恫喝するような語調だった。

 播磨と葛木が目を見交わす。


「気合でも入れてんのか、技名でも叫んでんのか……。あいつは静かに仕事をこなせんのかね」

「派手好きなせいでは?」

「だいぶ違うような気もするが……まぁ、一応いくか。堀川が気になるしな」

「……そうですね」


 正直、己が恋心を自覚してしまった一条は、前以上にうっとうしいから近づきたくない。

 何を勘違いしているのか、見当外れの悋気りんきを向けられても困惑するしかなかった。


 本当は今日、播磨は堀川と組む予定だった。

 むろん一条によって無理やり変更された。播磨的には、葛木とのほうが慣れも親しみもあるため、構わぬのだが。


「堀川さんに近づく異性全員に牙をむくのは、さすがに正気を疑いますよ」

「十代の頃、ろくに恋愛してこなかった弊害でもあるんだろうな。まあ、自覚してなかっただけで長年想ってはいたんだろうが……」


 やつの恋愛事情は……と一応、幼馴染みでもある播磨は脳内で検索をかけた。結果、何一つ引っかからなかった。かすりもしなかった。

 それもそのはず。なぜなら――。


「一切興味ないので、記憶にないのは当然でした」

「切ないねぇ。三歳の時からの長い付き合いなのに……」


 葛木は憐れむように告げ、一条たちのいる室内に踏み入った。

 同時、そこそこ強い悪霊が堀川に飛びかかっていくところだった。

 堀川は無手むてだ。護符が切れたのだろう。

 咄嗟に横へと避けようとした彼女だが、脚をもつれさせて尻もちをつく。

 背中合わせだった一条が振り返りざま、刀印を結んだ手で悪霊を指した。即座、黒い塊が散り散りに消し飛んだ。


 けれども、その威力は、先日の半分もない。

 加減を知らぬ男は、毎回全力で除霊している。いかに並外れた霊力の持ち主であろうと、無限にあるはずもない。こちらも疲弊してきていた。

 そんな中、己が想い人の危機を救ったのである。

 堀川へと手を差し伸べるその顔が、得意げなのも仕方ないことなのかもしれない。


 そっと葛木が踵を返し、とっくに先を歩む播磨の無情な背中を追いかけた。


「いやぁ、春だねぇ」

「ですかね」

「しっかしまあ、一条の態度が変わったからとはいえ、彼女が受け入れるとは思えんがね」

「無理でしょうね。長年耐え続けた心のキズは目に見えないだけに深いと思いますよ」


 差し伸べられた一条の手を、堀川はさも嫌そうに見ていた。以前と何も変わらぬ一貫した態度を思い出しながら、二人は二階をあとにした。

 


 階段、そして踊り場にも悪霊ははびこっている。

 床に広がる大きな茶色いシミは、元は一体なんだったのか。知りたくはないと思い、播磨はそこを避けた。

 葛木の前を這って進む式神五号――クジラが、大口を開けて悪霊を丸呑みしていく。おかげで悪霊は消えていっているものの、空気も雰囲気の悪さも変わらない。


 人の情念が残っているせいだ。


 それは、ひどく重苦しく、息苦しさを覚える。特別な力を持たずとも感じ取れるものである。

 元病院は、人の悪感情が残りやすい場所だ。

 この世への未練を断ち切れず、ここから出ていくこともままならないモノも少なくない。


 ただ除霊しただけではどうにもならない。その場全体を浄化しなければ、完全に払拭できないものだ。

 播磨及び現代の除霊専門である陰陽師では、どうしようもないのだった。

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