第四章 インターハイ予選 二十六 戦いは既に始まっている

 カーテンが開け放たれた窓から朝日が差し込んでいる。


 外は快晴だ。


 畳の上にはリュックが置かれている。


 視線を移した机の上には、爪切りが置かれている。


 統一ジャージを着た洋は今ボールを触っている。感触に違和感がないかどうかを確認している。


「良し!」


 そう言うと、洋は畳の上に置いている目覚まし時計を机に置いて、秒針が12の所に来たと同時に左手でボールを握った。


 4秒過ぎたところで、洋はボールを離した。


 洋は再び時計を見た。秒針が6の所に来たと同時に、今度は右手でボールを握った。


 秒針が7に向かって動いていく。


 6秒が過ぎたところで、洋はボールを離した。


「握力はやっぱり右だな」


 と言うと、洋はボールを置いてリュックを手にした。


 一階に降りると、正昭が玄関から出ようとしているところだった。車を出す準備をするのだろう。


 茶の間のふすまが開いた。


 信子が顔を出すと、


「あっ、ちょうど呼びに行こうと思ったところなの。ユニフォームとお弁当、そこに畳んであるから。忘れ物はない?窓の鍵は閉めた?」


「はい。カーテンも閉めました。忘れ物は、ユニフォームを入れるとき、もう一度確認します」


「そう。じゃあ、外で待ってるわね」


 と言うと、信子は玄関で紐無しのスニーカーをき始めた。


 茶の間に入ると、洋はガラガラッと開いて閉まる玄関の音を聞きながら両膝を畳に付けて、バスケットソックスやタオルなどリュックの中に入れた持ち物をもう一度確認した後、洗濯されて畳まれているユニフォームの上下、スパッツ、お弁当をリュックの中に入れた。


「良し!」


 そう言うと、洋はジャージのポケットからスマホを取り出した。


 暗証番号を入力して画面を開くと、ラインのアイコンをタップした。


 画面に映し出された夏帆のメッセージ。


『ありがとう。いつまでも応援してる』


 今日の二試合に勝てば決勝進出。


 明日あす勝てば、日本一への第一歩が踏み出せる。


 だが……


 今日のメインイベントは山並ではない。


 山並が試合を行う体育館とは別の体育館で行われる試合、中越平安VS立志北翔が今日のメインイベント、すなわち、新潟県のバスケットをよく知っている者はこの試合こそが事実上の決勝戦と思っている。


 山並は確かに下越地区大会で優勝した。


 しかし、中越地区大会で優勝した中越平安はこの新潟県で王者として君臨し続けている。


 その中越平安と今まで常に決勝で顔を合わせていたのは立志北翔である。


 バスケット大国であるこの新潟県で、中越と立志は絶対の二強である。


 片や山並は昨年インターハイ予選でベスト4まで進出したとは言えやはり新参者であり、地方紙に大々的に取り上げられても、立志に勝てたのはラッキーだったと思う者が多いのが実情である。


 午前中に行われた準々決勝、中越と立志は順当に勝ち進んだ。


 準決勝の開始時刻は十三時二十分。


 それまで、両チームはしばしの休憩を取ることになる。


 大会本部室のドアが開いた。


 入ってきたのは塚原だった。


「お疲れ様です」


 そう声を掛けたのは十川そごうだった。空いている机にペットボトルのお茶を置いて、ちょうど椅子に座ったところであった。


 塚原は何も言わずに十川の隣に座ると、


「ここまで全ての試合で100点ゲームか。全く凄い破壊力だ」


「たまたまですよ。たまたま。それより、今日は楽しみですね」


「何が?」


「チアですよ。ハーフタイムで演技を披露するって……」


「ああ、それか」


「これを切っ掛けに毎年やってくれないかなって、私は思ってるんですが……」


「これは高校のバスケットだ。プロじゃない」


「試合の流れにメリハリがついて。気分転換が出来ていいと思いませんか?お互い、頑張ろうって、相乗効果もあると思いますよ」


「それは一理あるな」


「山並は毎日あんな環境で練習してるんですよ」


「よく知ってるな」


「藤本さんがそう言ってました……山並、勝ちましたよ。さっき連絡があったそうです」


「不思議なことではない」


「リベンジを果たすんじゃないんですか」


「それは嫌みか」


「まさか。立志が負けたと言う知らせが来たときは本当に驚きましたよ。山並戦のビデオを見たときはもっと驚きました」


「何が言いたい」


「遣りにくいですか」


「戦えば分かる」


「それを言ったらおしまいですよ」


「お前はどっちを気にしてる」


「決まってるじゃないですか。両方ですよ」


「半分は嘘だろ」


「どう言う意味ですか」


「17番と杵鞭、この二人の勝負がどう転ぶのか。違うか」


「私はさっかの方が気になります」


「秘策ありか」


「それは塚原さんの方でしょ」


「お前は俺よりも若いが、腹の中は俺よりもずっと古狸だからな。いずれにしてもお前の心配は徒労に終わる」


 塚原はそう言うと立ち上がった。


「どこに行くんですか」


「昼飯」


「ここで食べないんですか」


「敵将と顔を突き合わせて飯は食えん」


 と言うと、塚原はドアを開けて出て行った。


 バタンとドアの閉まる音がした。


 ただそこにある大会本部室のドア。


 しかし、十川は今尚そこに塚原がいるかのようにドアを見つめると、さっきまで見せていたにこやかな表情をさっと消して、本心を口にした。


「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」



 両チーム、そろそろコートに出る時間である。


 野上は準決勝に臨む前にトイレに行った。


 用を足していると、隣に人影が立った。ちらっと見た。野上はハッとした。


 野上の視線に気がついた男もまたちらっと視線を落とした。野上と目が合うと、一切表情を変えず視線を元に戻した。


 あとから来たのに、さっさと用を終えた男は手を洗うと、出入口の上枠かみわくに頭が当たらないように少し頭をかたむけて出て行った。


 出しなに見えた男の背中。そのジャージには中越平安の四文字がしっかりと書かれてあった。


 野上は手を洗い終えると鏡を見た。


 鏡に映る自分の顔。


 野上はその映っている自分の顔の向こう側にこれから始まる試合の未来を見据えるかのように、じっと鏡を凝視していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る