第三章 春季下越地区大会 四 試合当日

 信子が玄関の鍵を閉めて助手席に座ったのを確認すると、正昭はゆっくりと車を走らせた。


 駅での待ち合わせ時刻は十二時。


 家を出たのは、十一時三十分。


 車で行けば十分間に合う時間だ。


「おじさん、今話し掛けてもいいですか」


 脇道から市道へ入ろうとするところで、洋が話し掛けると、


「何だ?」


 と言いながら、正昭はハンドルを切った。


 洋はバックミラーに映る正昭の顔をチラッと見てから、


「実はちょっとお願いがあるんですけど」


 と言うと、


「何だ?」


 と、正昭は同じ言葉を繰り返した。


「また、お金の話で申し訳ないんですが、統一ジャージを買いたいので……」


「ああっ、そうなんだ。幾らいるんだ?」


「ジャージ上下とTシャツ、それからベンチコート。大体三万円くらいあればって、先生は言ってました」


「三万で足りるのか?」


「一年生は全員買いますし、上級生も買い換えがあって、まとめ買いの割引が出来るらしいんです。だから、多分、大丈夫だと思います」


「いつ要るんだ?」


「この大会が終わった後に集めるって言ってましたから、来週の火曜日くらいだと思います」


「じゃあ、その時が来たらおばさんに言って、もらえばいいよ」


「ありがとうございます」


 一年生はまだ統一ジャージを持っていないので、この大会には、学生服を着て会場に向かうことになっている。おそらくウォームアップをするときは、各々が持っているジャージを着てコートに立つのだろう。


「それから……」


「何だ、まだあるのか?」


「おじさん、柔道やってたんですよね」


 首を傾げて、信子がチラッと洋を見た。


 信号が赤に変わった。


 正昭は車を止めると、


「まあ、昔の話だ」


 と、素っ気なく言った。


「お願いがあるんですけど……」


「お願いって、まさか柔道をやりたいってわけじゃあ……」


 と、正昭が言い終わらないうちに、洋は、


「その通りです」


 と言った。


 信子は驚いて、思わず振り向いた。

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