第三章 春季下越地区大会 十 大会二日目が終わって

「ただいま」


 玄関を開けて、洋がそう言うと、居間の襖がすっと開いて、


「お帰りなさい」


 と言って、信子が出迎えた。


 信子は洋からリュックをもらうと、


「今日はどうだった?」


 と尋ねた。


 昨年の戦績を藤本から聞いていた洋は、一方的な試合になる可能性が高いので、見に来ても応援のし甲斐が無いと思われることを二人に伝えていた。加えて、決勝リーグ戦の試運転を兼ねて、おそらく二日目はベストメンバーで試合に臨むであろうから、自分が出ることは無いだろうとも言っておいた。


 試合二日目の今日、当初は試合を見に行くつもりの正昭と信子であったが、それなら今日はのんびり過ごすそうと言うことで、日帰りの温泉旅行へと出掛け、帰って来たのは洋よりも約三十分前のことであった。


 温泉先で酒を飲んだ正昭に代わって、帰りは信子の運転で自宅に戻った。車中では鼾(いびき)をかいていたようで、正昭はちょうど熱いお茶を飲んで酔いを覚ましていたところだ。


 洋は信子の問い掛けに、


「勝ちましたよ」


 と言うと、


「やっぱり今日はベストメンバーだったのか?」


 と、正昭が尋ねた。


 洋は信子がリュックを持って台所に向かうのを見ながら、座布団に座ると、


「それが……」


 と口籠もった。


「何だ、何かあったのか?」


「先生はベストメンバーだと言ってました」


「そうか……まあ、何れにしても、明日はまた見に行く。洋が出ていなくても、所属している以上は応援しないとな」


 まだ酒が残っているのか、正昭は上機嫌だった。


「しかし、立志北翔は強いんだろ。昨日(きのう)見に行ったとき、誰かがそう言ってたぞ」


「はい。全国制覇をしたこともある強豪です。最近は五分五分のようですが……それに昨日先生が聞いた情報によると、凄い奴が一人入ったらしいって……」


「北翔は私立だから、スカウトされたのかもしれないな」


「そうかもしれないですね。でも、うちにも目が居ますし、大丈夫ですよ」


「洋が居るからの間違いじゃないのか?」


「それはないですよ」


「洋さん、今日は何も作ってないから、寄り道してお寿司買って来たんだけど、それでよかったかしら?」


「十分ですよ」


「ああっ、よかった。じゃあ、ちょっと待ってね。お味噌汁、すぐ作るから」


「じゃあ、先にシャワー浴びていいですか」


「お風呂、沸かすわよ!?」


「シャワーで十分です」


「ごめんなさいね、私達ばかり良い思いをして」


「そんなことないですよ。こうしてバスケットが続けられるのは、おじさんとおばさんのお陰なんですから」


 そして、洋は一旦ここで言葉を切ると、


「下着、取って来ます」


 と言って、自分の部屋に向かった。


 長かった大会二日を終えて、洋は布団に入ると、小さく息を吐きながら、漫然と天井を眺めた。


 明日は下越地区大会三日目、残すは決勝リーグの二試合のみである。試合は今日と同様、二試合目と四試合目に行われる。立志北翔とは第四試合で当たることになっている。これが事実上の決勝戦となるであろうが、明日のことは明日にならなければ分からない。何がどうなるのかは分からない。


 寿司はスーパーで売っているようなパックではなく、ちゃんとした寿司折に入っていた。きっと、どこかの寿司屋に寄って作ってもらったのだろう。こんな贅沢な寿司を食べさせてもらって、洋は却(かえ)って申し訳ない気がしたが、しかしやっぱり美味かった。


 ユニフォームもきちんとアイロンが掛けられて、今朝それを信子から手渡しされたときは本当に嬉しかった。それを思えば、一年生にしてレギュラーになれたことをもっと自慢してあげればと思った。


 語らずとも明日の試合を見れば、自(おの)ずとそれは分かることではある。しかし、口にして伝えることはやはり情愛の橋渡しである。


 日下部に対する蟠りはまだ尾を引いているものの、明日の試合は良いところを見せたいと、洋は珍しく欲をかいていた。


 しかし、立志北翔はどのくらい強いのであろうか。藤本や日下部等(ら)の話によれば、今年三年のレギュラー四人は二年の時から既にレギュラーであったとのことだ。そこに、今年入った凄い奴が加わるのはまず間違いない。片や、山並はと言えば、早田と加賀美は二年からレギュラーであったが、日下部と滝瀬は準レギュラー扱い、山添も同様であった。この三人がレギュラーになったのは、つまり先輩が退いてからのことである。それを考えれば、昨年のレギュラーが四人も残っている立志北翔の方が明らかに分があると思われる。


 果たして、新生山並は立志北翔に勝てるのであろうか。


 部屋の片隅には、鉄アレイが置かれてある。日課の腹筋を、洋はすっかり忘れている。


 部屋がとても静かだ。


 洋は、いつの間にか、寝息を立てていた。

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