第四章 インターハイ予選 十六 時代は変わった

 学生服に着替え終わると、山並メンバーはバスが正面玄関先に到着するまでの間、多目的ホールで藤本が来るのを待ちながら談笑していた。


 その頃、藤本は二階にある会議室のひとつに向かっていた。


 ドアの前まで来ると、審判控室と書かれた紙が貼られてあった。


 藤本はドアをノックしようとした。


 すると、カチャッと音がした。


 藤本はノックをしようとした手を止(と)めて脇に避(よ)けた。


「あっ、どうも」


「……ああっ、山並の監督さんですよね」


「藤本と言います」


「どうされたんですか」


「まあ、挨拶(あいさつ)ということで……今日はどうも有難うございました」


「こちらこそ、わざわざ有難うございます」


「他(ほか)の方(かた)は……」


「もう帰りましたよ」


「あっ、そうですか」


 外に出ると、彼はドアを閉めて、


「山並は、良いチームですよね」


 と、思いがけないことを言った。


「……褒めて頂けるのは嬉しいですが、まだまだ発展途上ですよ」


「バスケットの実力もそうですが、何よりチームワークが素晴らしいと思いました。あの10番の子を盛り上げようとしていたのがよく分かりましたからね」


「ああっ、それですか」


「監督も、よく我慢されましたね」


「チームを強くするためには必要なことですから」


「驚いたのは、あの17番ですよ。10番のフォローをしながら、ちゃんとチームのバランスを図(はか)ってましたからね。肘打ちをされても冷静さを保っていましたから、当然と言えば当然なのかもしれませんが……」


「あっ、村上商業の……道理でどこかで見かけたと思っていたんですが……あの時は髪が長かったような……」


「ええ。夏に向けてばっさり、スポーツ刈りです。ついでに言えば、あの日はメガネをしていました。コンタクトを忘れまして……」


「それでも、余りお見かけしたことはないような……以前からずっと審判をされてました?」


「いや、私は要請を受けて……ですから、新潟で笛を吹くのは今年が初めてです」


「あっ、そうだったんですか」


「出来れば、ベストメンバーの山並を見たかったんですが……」


「明日は別の試合会場で?」


「そうです」


「良いジャッジをして下さったので、またお願い出来ればと思うんですが……」


「そればっかりは、私が決められることではないので……ただ、最近思うんですが、時代は変わったなって」


「どう言う意味ですか」


「私が十代の頃は、高校レベルでダンクやアリウープなんてプレーをする者はいなかったですよ。それだけ日本人の体が大きくなったってことなんでしょうが、今はハーフの子が居たり留学生が居たりで……日本にもプロバスケットチームが出来て、NBAも今でこそ身近に感じられますが、あの頃は社会人バスケットが最高峰でしたからね。環境が大きく変わって、最高のプレーを見て学べるのはやはり大きいと思います……今ではミニバスでも器用な子はレッグスルーをしますからね」


「それは私も実感してます。中越平安がまさにそうですからね」


「ああっ、それも見たかったなあ」


「決勝までは……」


「要請は明日までなので」


「そうなんですか」


「話のついでと言ってはあれなんですが、17番の子は何て言うんですか」


「矢島と言います」


「矢島君のプレーを見ていて、ひとつ思ったんですが、あれはパスですよね?」


「と言いますと……」


「ラストクォーター、彼が見せたプレー……アリウープだよなって言うのが二回ありましたよね」


 そう言われて、藤本はさっきの試合を回想してみた。目と山添のことだろうか。


「私は一瞬ゴールテンディングではと思ったんですが、いや違うと判断してスルーしました。さっきルールブックを見直していたんですが、間違っていなかったとホッとしましたよ」


 ゴールテンディングとは、シュートされたボールが最高到達点から落ち始めた後に、ボール全体がリングよりも高い位置にある間にプレイヤーがボールに触れることを言う。これはバイオレーションとなる。


 詳細を述べると、JBAの2021競技規則第5章第31条には、次のように記載されている。


 1.フィールドゴールのショットで、ボール全体がリングの高さより上にある間にプレーヤーがボールに触れた場合、以下のいずれかの条件を満たしているときにゴールテンディングになる。


 ・ボールがバスケットに向かって落ち始めている。


 あるいは、


 ・ボールがバックボードに触れた後。


 2.フリースローのショットで、バスケットに向かっているボールがリングに触れる前にプレーヤーがボールに触れるとゴールテンディングになる。


 3.ゴールテンディングの規定は以下の状況になるまで適用される。


 ・ボールがバスケットに入る可能性がなくなる。


 ・ボールがリングに触れる。


 洋がプレーして見せたのは二回ともシュートではなく間違いなくパスである。しかし、第三者つまり審判がそれをパスと判断するかどうかはまた別のことである。


 山添に出したパスの場合、ボール全体はまだリングよりも上にあり尚且つ落下を始めつつあった。しかし、ボールはバスケットに向かって落ちてはいなかった。バックボードにも触れてはいなかった。ボールがバスケットに入る可能性は無くなっていた。これらの判断から、これはゴールテンディングとは見做(みな)されなかった。


 では、目(さっか)に出したパスの場合はどうなのか。


 この時、洋は完全にシュート体勢でボールを放っていた。ボール全体はリングよりも上にあった。


 しかし、ボールはリングから完全に逸(そ)れて越えようとしていた。落下もしていなかった。つまり、ボールがバスケットに入る可能性は全くなかった。これらの判断から、これもゴールテンディングとは見做されなかった。


「そうですね……それは、矢島に聞いてみないと分かりませんが、ただ、あいつが誰も思いつかないようなプレーをするのは確かなことです」


「日本の、しかも高校のバスケットの試合でゴールテンディングを意識しなければならないなんて思ってもいませんでした。ただ、その一方で、矢島君のように小さな体でバスケットにチャレンジしているのを見ると、何か嬉しくて……私も168センチしかありませんから。でも、矢島君のプレーは目を見張ることが多くて、そう言う意味では矢島君もまた今の時代のプレーヤーと言えるんでしょうね。まったく、審判泣かせのプレーヤーが増えましたよ」


 と言うと、彼は笑って見せた。


 この後(あと)、二人は話をしながら階段を降りて一階フロアに着くと、


「それじゃあ、決勝戦、頑張って下さい」


「ありがとうございます」


 お互い、そう言葉を交わすと、彼は軽く会釈(えしゃく)をして正面出入口へと歩き始めた。


 藤本はそんな彼の歩く後ろ姿を見ながら、今し方話したことを改めて振り返った。


《確かにそうだ。時代は変わった》


「あれ、先生じゃないか」


 鷹取がそう言ったので、洋は振り向いた。


 そこには、横顔を見せている藤本の立ち姿があった。


 藤本が振り向いた。


 山並メンバー全員が藤本を見ている。


《あいつらは気づいていたのかな?》


 そう思うと、藤本は少し気まずい思いを抱いた。


「みんな揃ってるか」


 藤本は近づきながらそう言うと、


「はい、大丈夫です」


 と日下部が答えた。


 藤本は全員の顔をざっと見渡すと、


「今日は非常に実りのある試合だった。考えようによっては、俺が山並バスケット部の監督に就任して以来の、最高の試合だったと言えるかもしれない」


 メンバーも何か思うところがあるのか、全員神妙な面持ちで藤本を見ている。


「一人一人の思いは当然違うだろうが、今日のこの試合で山並バスケット部は一皮剥(む)けたと、俺だけでなく、ここにいる全員そう思っていると俺は信じている……笛吹」


「はい」


「明日は先発で行くぞ」


「はい」


「もう少しでバスが来るはずだ。それまではここで待機だ」


 藤本はそう言うと、


「カベ」


 と言って、藤本はなぜか日下部を連れて離れた場所へ移動し始めた。


 残されたメンバーは離れていく二人を見ながら、


「何だろうな」


 と、皆(みんな)の思いを代弁するかのように早田が呟(つぶや)いた。


「何ですか、先生」


「さっき礼和に挨拶に行ったとき、向こうの監督と何を話した?」


「……今日の試合、ベストメンバーなのかと尋ねられたので、違いますと答えました」


「他には?」


「先は遠いなと独り言のように……何かあるんですか。向こうの監督をずっと気にされていたようですが……」


「今日の試合、何か感じることはなかったか?」


「……雰囲気が神代に似ているってことですか」


「表情を顔に出さない。淡々とプレーをする。連係の取り方。指導者がそういう風に仕向けて鍛えなければ、あのチームカラーは出せない……第四クォーターラスト5分、いや第四クォーターからフルコートプレスを仕掛けてくるかもしれない。その時は、カベ、奥原に替えてお前を入れることも考えた」


 日下部はそれを聞いて少し驚いた。いや、戸惑ったように見えたと言うのが正しのかもしれない。


「南雲という男が神代のOBなのか、神代の戦い方を研究した結果のことなのか……いずれにしても、この先厄介な相手になりそうだ」


「それはちょっと違うような気がします」


「どう言う意味だ?」


「ロッカーで着替えていたとき、奥原が言ったんです。試合が終わった後、あの13番が奥原に握手を求めて来たそうです。その時、あのチャージング、カッコ良かったですよって言われたって……奥原もどう言う意味なのかさっぱり分からないって言ってましたが、南雲さんが目指しているバスケと13番が目指しているバスケは違うんじゃないでしょうか」


「なるほど……先は遠いって、案外そう言うことなのかもしれないな」


 と、藤本がそう言い終えたところに、


「バスが来ました」


 と、由美が顔を出した。


 藤本は由美を見た。


 由美はそれこそ弾(はじ)けるような笑顔で二人を迎えに来た。今日の勝利が余程嬉しかったのだろう。


 そんな由美の明るい笑顔が、藤本の上機嫌を誘ったのか、藤本は口元に笑みを浮かべると、


「食べ放題に一歩近づいたな」


 と、珍しく冗談を言った。



 バスが学校に到着した頃は日もすっかり暮れていた。


 学校には山並メンバーを迎える学生達がそこそこ残っていた。山並の勝利を既に知っていたのか、それともただ待っていたのかは分からないが、もし知っていたのなら、どうやって山並の勝利を知ったのであろうか。


 試合に向かう時のパニック状態ほどではないにせよ、出迎えが居るのには流石(さすが)にメンバー全員驚いた。


 寮住まいの由美を除けば、全員自転車通学である。


「明日(あした)もよろしくお願いします」


 由美は皆(みんな)にそう言うと、一人先に正門へ向かい始めた。


 三々五々と自転車置き場に向かった後(あと)は、自(おの)ずと帰る方角が同じ者同士で固まり、それぞれの帰路へと就いた。


 正門を出ると、ほとんどの者はさっさと自転車に乗ったが、笛吹と奥原は正門を出た後(あと)もそのまま歩き続けた。この二人はやはり仲が良いのか、たまに自転車を押しながら話して帰る時がある。


「明日(あした)の先発ってさ、二試合共かな?」


 明日(あす)は午前に一試合、午後に一試合、計二試合が行われる。試合会場も今日とは別の体育館で行われる。山並のメンバーは授業を受けず一日中体育館にいることになる。


「いや、多分一試合目だけじゃないかな」


「そうかな?」


「今日はともかく、決勝までの残り試合を考えれば、明日からはベストメンバーで臨むのが普通だ。でも、今日は滝瀬さんも菅谷もお前も良い働きをしてたからな。気を遣(つか)ってくれたんだと思う」


「そうかな?実力を考えれば、俺や菅谷よりもお前が使われるのが当たり前だと思うし……」


「スリーポイントだけなら早田さんに勝てるかなって思うときもあるけど……」


「……あのさあ」


「んっ?」


「今日はありがとう」


「何が?」


「皆の励ましがなかったら、俺のバスケット、今日で終わってたと思う」


「お礼なら矢島と目に言えよ。まあ、矢島があんな事を言うのは何か分かるような気がするけど、目はちょっと驚いたな」


「あの二人には……何て言っていいか分かんないよ」


「だからって俺に礼を言うなよ」


「今日の試合、どうだった?」


「どうって?」


「正直言うと、前半は全く覚えてないんだよ。礼和に良いようにやられたのは分かってるんだけど……」


「緊張したら誰だってそうなるよ」


「でもな……情けない話だけど、後半は頑張ると決めた瞬間、今度は足が動かなくなって……疲れなのか緊張なのか、膝が笑ってるんだよ。動け、動けって、必死だった」


「そんなふうには見えなかったぞ。矢島との連係だって良かったし、声だって出てたし……」


「そうなんだ……」


「今日のお前は良かった。それで良いんじゃないのか」


「……バスケを始めて、初めてだよ、公式戦で先発して……最後まで試合に出るって良いな」


 少し鼻声だった。


 暗い中を自転車を押しながら真っ直ぐ前を向いて話していたから、奥原がどんな顔をしているのか笛吹には分からなかった。が、それでも、奥原の気持ちは強く深く伝わってきた。


「明日(あした)は早いからな。急ごうぜ」


 笛吹はそう言うと、自転車に乗った。


 奥原は何も言わなかった。


 笛吹の後ろ姿が離れていく。


《明日は声の出る限り応援しよう》


 笛吹の後ろ姿を見ながら胸の内でそう呟くと、踏ん切りがついたかのように、奥原はペダルに足を掛けて自転車を漕ぎ始めた。

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