第三章 春季下越地区大会 八 進撃の巨人
藤本の指示を受けて中越平安の偵察に向かっている清水と由美は、試合が行われる市の総合体育館の最寄駅まで来た。
改札を出たところにある駅の時計は十時を過ぎた頃であった。
中越大会も下越地区大会と日程は同じである。順当に勝ち残っていれば、中越平安も日程は第二試合と第四試合となる。定刻通りに試合が始まるのであれば、試合開始時刻は十一時四十分。早過ぎる到着は偵察への強い使命感であろう。
閑散としている駅前のロータリーには、客待ちのタクシーが二台止まっていた。
清水と由美はその内の一台に乗ると、目的地の体育館を告げた。
ここまで来る道中、二人が待ち合わせの場所に使ったのは、昨日と同じ駅前である。そこから電車に乗って最寄駅までの乗車時間は一時間強ほどある。
その間、由美は「頼りにしてるぞ」と言ってくれた藤本の言葉を胸に抱きつつ、おそらくインターハイ予選の決勝相手となるであろう中越平安について清水の考えを聞こうと話し掛けた。
「目が言っていた黒人のハーフって、やっぱり中越に行ったのかな?」
「行けば分かるよ」
「でも、目、そいつの名前忘れたって言ってたし……」
「忘れたんじゃなくて、思い出したくないんだよ。羽田だって、だから合唱部に入ったんだろ」
「……そうだね」
「黒人の選手ってそんなにいるわけじゃないから」
「でもさあ、もし居たとしたら、どうなっちゃうんだろう?だって、あの目の居るチームが負けたんでしょ」
「バスケは個人戦じゃないから……」
「そうは言うけど、やっぱり絶対的エースがいるチームは強いよ。私もバレーをしていたから、それは間違いないと思う」
「目が凄いのは俺だって分かるよ。でも、バスケは五人でするものだ。どんなに目が凄くても、総合力で劣っていたらやっぱり負けるよ」
「そうだけどさあ……」
「たとえば、矢島が良い例じゃないな」
「矢島が?」
「あいつは俺より背が低いし、点を取ると言う事に関しては、圧倒的に目よりも劣る。でも、目の長所を最大限に引き出せることが、矢島は出来る。目だけじゃない。昨日の山添さんだってそうだし、きっとチーム全てのプレーヤーに対して、あいつはそれが出来ると思う。中学の時、目が勝てなかったのは、黒人のハーフではなく、相手チームに矢島のような奴がいたからかもしれない」
「そうだね、バレーだって良いセッターがいるチームは強いもんね」
「俺は、黒人のハーフよりも、むしろ矢島みたいな奴がいるかどうか、そっちの方が気になる。インターハイベスト4にまで進出したチームなんだからさ。居ない方がおかしい」
「そんな事言わないでよ。それじゃあ、もう負け確定みたいじゃない」
「俺達は偵察部隊なんだから、色んな事を事前に考えてチェックポイントを押さえておかないと……」
「……山並、勝てるよね?」
「それは……やってみないと分からないよ」
電車内での会話は次第次第に暗くなり、いつの間にか一言も話さなくなってしまった。
練習試合と村上商業との試合しか見ていない由美にとっては、山並の凄さしか印象に残っていなかった。中越平安の実績と実力を事前に知らされても、過度に膨(ふく)れあがった好印象が不安を押し退(の)けていた。しかし、清水の冷静な考えを聞いていると、それが段々と萎(しぼ)んできて、ついには不安一色になってしまった。
「あっ、そうだ」
由美が急に声を上げたので、清水は何だろうと思って俯いていた顔を上げると、
「昨日、矢島から清水にこれを渡してくれって頼まれてたの、すっかり忘れてた」
と言いながら、リュックの中から預かった封筒を取り出した。
「何、これ?」
「それは矢島に聞いてよ。私は頼まれただけなんだから」
清水は手に取って少し眺めていたが、徐(おもむろ)に封筒の端を指で千切って中を覗くと、そこには、洋が言っていた通りメモ用紙が一枚入っていた。
清水はそれを取り出した。二つ折りにされているメモ用紙を広げて見た。
「何て書いてあるの?」
清水は何も言わずただじっと見続けている。
「ねえ、黙ってないで。何て書いてあるの?」
「矢島、これ渡す時、何か言ってた?」
「別に何も……自分で渡せばって言ったら、渡しづらいみたいな感じで……あっ、でも……」
「何?」
「私に謝った。ごめんって」
「矢島が?」
「うん」
清水は再び黙って何やら考え始めた。
「清水」
「うん?」
「何かあったの?ケンカしたの?」
「うーん、よく分からないけど……」
と言うと、今度は由美の顔をじっと見つめた。
「何、どうしたの?」
「……何となく分かったような気もする」
「何、それ?」
「矢島に聞いてみないと分からないよ」
清水はそう言うと、メモ用紙を封筒に仕舞って、手に持ったまましばらく流れる風景を眺めていた。
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