第三章 春季下越地区大会 十一 矢島が好き

「あっ、いいよ」


 由美の許しを得ると、夏帆はベッドに腰掛けて、物静かにその時のことを話し始めた。


 お昼を過ぎた頃に始まった練習は、途中何度か休憩を入れつつ、日の沈む一時間くらい前には終わった。


 一年生は練習終了後必ず床をモップ掛けすることになっていた。


 もちろん、夏帆もモップを手にした……


 と、その時だった。


「水家、ちょっと来なさい」


 と伊藤が声を掛けた。


 夏帆は何だろうと思いつつも、モップを同輩に渡すと、伊藤のもとに駆け寄った。


「はい、何でしょうか」


「二人きりで話がしたいから、ちょっと外に出ようか」


 夏帆はドキッとした。そう言われる心当たりがあった。


 夏帆は靴を履き替えると、伊藤と一緒に歩き出した。


 体育館の隣にあるサッカーグラウンドでは、まだ練習が続いていた。照明が煌々と灯されている。


 グラウンド脇にある伸びた芝生に腰を落とすと、伊藤は夏帆にも座るように促した。


「この時間になってもまだ温かいから、座っても平気かなと思ったけど、案外冷たいわね」


 夏帆は何も言わず伊藤の隣に座った。


 サッカー部顧問の先生が、選手に向かって何やら声を掛けているのが聞こえる。


「出身は確か福岡だったわよね」


「はい」


「新潟の地に来て一ヶ月……どう、少しは慣れた?」


「はい」


「あなたが入部した時のこと、今でもはっきりと覚えているわ。日本一になりたいと言ったあなたの笑顔、本当に素敵だった……何があったの?」


 伊藤の問い掛けに答えることなく、夏帆はただ俯いたままでいる。


「ここ数日のあなた、全く練習に身が入っていない。このまま続けていれば、間違いなく怪我をする。はっきり言えば、迷惑なのよ。あなたのせいで、懸命に部活に打ち込んでいる子達が大会に出られなくなるかもしれないのよ」


「……すみません」


「何があったのか言いなさい。相談に乗れるかどうかはその後(あと)の話……」


「先生はどうして独身なんですか?」


「はっ?」


「先生は綺麗だし、スタイルも良いし、なのに、どうして独身なんですか?」


「……ああ、そう言うこと……しかし、あなたの決意を揺るがせるほどの男の子って、誰?もちろん、この学校の生徒なんだよね」


「……」


「えっ、何?もう一度言って」


「矢島」


「矢島って、誰?」


「バスケットをしている」


「えっ、あの12番の子?」


「それは目。そう言えば先生、目をカッコイイって言ってましたよね」


「まあまあ、そうだけど、今はそんな話じゃないでしょ」


「背番号は17。一番背の低い……」


「……17番?どんな子だったかしら?」


「あの練習試合で一番輝いていた……」


「すごい入れ込みようね」


「贔屓目(ひいきめ)で言ってるんじゃありません。矢島は本当に輝いていました。あんな大きな人達の中にいながら、臆するどころか正々堂々と渡り合って……どうしてあんな事が出来るんだろう、どうしてあんなに頑張れるんだろう……そう思うと、胸が急にドキドキし始めて……今は、そばで応援したい、二人三脚で頑張っていきたい、そう思う気持ちが強いです」


「心ここにあらずってことね……それで、どうするの?辞めるの?」


「矢島をそばで応援したい気持ちに嘘はありません。でも、チアを諦(あきら)める気持ちにもなれません。どちらを選ぶべきなのか、自分でも分からないんです」


「夏帆にそこまで思わせるなんて……どうやらあなたの恋は本物のようね。まったく、腹が立つくらい妬(や)けて来るわね。二人三脚で応援したいなんて、生意気にもほどがあるわ。まあ、いい。とにかく、その悩みは自分で解決するしか道はないんだから。一度、矢島君と会って、ちゃんと話をするべき。どちらを選ぶにしても、彼ときちんと話をするまでは練習は禁止。今のままだと、間違いなく怪我をする。みんなにも迷惑を掛ける。いいわね」


「……はい」


 夏帆は伊藤との出来事を言い終えると、何をするでもなくただ俯(うつむ)いていた。

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