第四章 インターハイ予選 二十四 ひとときの休息

 空が日の入りを迎えるにはまだ少し早い。


 リビングの閉められたカーテンの隙間から明かりが漏れている。


 玄関前の三台停められる駐車場には、既に一台停まっている。


 車がバックで駐車場に入ってくる。


 その様子を、リビングの窓から小さな後ろ頭が二つのぞ)いている。


 エンジン音が無くなり、テールランプが消えた。


 玄関が開いた。


「ただいま」


 そこには既に長女の穂香ほのかと長男の良太りょうたが待っていた。


「お父さん、お帰り」


 そろった二人の声を聞くと、父である雄一は改めて、


「ただいま」


 と言った。


「お父さん、リュック」


 と言うと、穂香は自分の手を差し出した。


「ありがとう」


 と言うと、雄一はリュックを手渡した。


「今日はどうだった?」


「もちろん、勝ったぞ」


 雄一の口調は意図して明るく言ったように感じられた。


「何点取ったの?」


「二試合とも100点だ」


「すごーい。じゃあ、優勝するよね?」


 雄一は靴を脱ぎながら、


「そうだな……」


「優勝するよね」


「勝負は最後まで分からない」


「優勝してくれないと困るの」


「どうして」


 と言うと、雄一は家に上がった。


「だって、ミニバスのみんなには山並が優勝するってもう言っちゃったし……」


「それは穂香が悪い」


「だって、立志には勝ったんでしょ」


「勝負は時の運」


「ダメだよ。お父さんは監督なんだから絶対勝つって言わないと……」


「ねえ、お父さん」


「どうした、良太」


 と言ったところに、妻のあんが、


「お帰り」


と言いながらドアの陰から出て来た。


「ただいま」


「玄関で話さなくてもリビングに入ったら……」


「ええっ、ぼく、まだお父さんと何にも話してないよ」


 と言いはしたものの、杏にうながされると二人はドタドタと足音をさせながらリビングに向かった。


 雄一がリビングに入って来ると、良太は穂香に先を越されないように、


「ねえ、今度は見に行っていいでしょ」


 と早口に尋ねた。


「そうだな」


「ほんと!?」


「お父さんは立志と中越、どっちが勝つと思う?」


「どっちかな」


「わたし、たくさん応援するね」


「大人しく見ていなさい」


「ええっ」


「いいの、本当に見に行って?」


 残念がる穂香を見ながら、杏が念を押すと、


「先に手を洗ってくる」


 と言って、雄一はリビングを抜けて洗面台へと向かった。


 長女の穂香は今年十歳、長男の良太は八歳になる。


 穂香は父親である雄一の影響を受けて、今年からミニバスを始めた。良太もミニバスに入りたがっているが、さすがに二年生だと練習について行くのは厳しいので、お預けを食っている。


 普段着もバスケット関連の服を着ていることが多く、雄一を玄関まで迎えに行ったときは二人共新潟アルビレックスBBのTシャツを着ていた。


 妻の杏は雄一より五歳年下の四十歳。身長は170センチ、スレンダーな体型で学生の頃はおそらくバスケットをしていたのではないかと思われる。


 新潟はバスケット大国である。プロバスケットだけでなく高校バスケットもまたミニバスをしている者にとってはあこがれの的のようだ。中でも中越平安と立志北翔はやはり別格であり、下越地区大会ではその立志北翔に父の雄一が率いる山並が勝ったということが穂香と良太にとっては大きな自慢のようであった。


 夕飯の食卓を囲みながら、穂香と良太の質問攻めに遭っている雄一。


 二人は心底嬉しそうに雄一の話を聞いている。


 杏はそんな父と子供達を見ながら、時折口元に笑みを浮かべては家族の会話を楽しんでいた。



 夕飯を摂ってから三十分程度ソファでくつろいでいた雄一は、重くなった腰を上げると、湯船に浸かるために風呂場へと向かった。


 穂香と良太も一緒に入ると言ったが、


「お風呂の時くらい一人にさせてあげなさい」


 とたしなめた。


 良太は男の子なので父親と一緒に入っても何ら問題はないが、穂香は女の子である。小学四年生ともなれば、お父さんと一緒にお風呂に入るのは嫌がるものだと思われるが、家庭での雄一はきっと良きお父さんなのであろう。


 最後にお風呂に入ったのは杏だった。今日は髪を洗う日だったのか、パジャマを着ると、洗面台の鏡を見ながらヘアドライヤーで念入りに髪を乾かし、それからリビングに戻ってきた。


 杏は壁時計を見た。


 そろそろ、10時になる。


 しかし、そこに雄一の姿はなく、穂香と良太はテレビ画面を見ながらゲームをしていた。


「お父さんは」


「疲れたからもう寝るって」


 と、穂香が言うと、


「二人共もう寝なさい。明日も学校があるんだから」


 と言って、テレビのスイッチを切った。


「ああっ」


「そんなにゲームをしていたら目が悪くなるわよ。シュートが入らなくても良いの」


 杏からそう言われると、穂香は渋々ゲームを片付け始め、良太は後片付けを穂香に任せて、自分は歯を磨くためにさっさと洗面台へ向かった。


 子供達を寝かしつけると、杏自身も寝室へと向かった。


 寝室に入ると、雄一はベッドに横たわり目をつむっていた。


 ベッドのヘッドボードには、いつも藤本が付けているノートが置かれてあった。きっと、明日あしたの戦いに備えてあれこれと考えを巡らせていたのであろう。


「もう寝たの」


「起きてるよ」


明日あしたは準決勝ね。勝てそう?」


「分からん。分からんが、多分大丈夫だと思う」


「ここまで来ると、やっぱり下越大会で勝てたのは大きいわね」


「ああ、そうだな。よく勝てたと思うよ」


「チームの感じは?あなたを見ていると、多分良いとは思うけど」


「そんなに顔に出てるか?」


「まあね」


「随分良くなった。控えも含めて……チーム一丸になりつつある」


「あの子が入ったのは、やっぱり大きかった?」


「あの子?」


「ほら、自宅まで行ってスカウトした子」


「ああっ、矢島か……そうだな。あれは大きい」


「教え子のことなんて、まず言わないあなたが、その矢島って子だけはたまに口にするから……」


「あいつは……独特の視点を持っている。それがチームの流れを良い方に導いている」


「それ、前にも言ってたよね」


「そうか。気がつかなかったな」


「違うバスケットを見ている気がする?」


「俺には、あいつのバスケットが異次元に見える」


「女の子の方はどう?」


「ああっ、羽田か」


「さすがに困った顔をしてたものね……取り敢えず穂香に接するみたいな感じでやってみるとは言ってたけど……」


「あの子は一所懸命にやってるよ。本当に助かっている。今年は本当に将来が楽しみな子達が入部してきた」


「それにしても、よく許す気になったわね」


「何が?」


「身内がいると気が散るからって嫌がっていたのに……」


「……あれからもう五年。穂香も良太もまだ小さかったのに……お父さん、勝ってねって言うようになった……中越が来れば、あの高さを克服しなければならないし、立志が来れば、塚原さんのことだ、間違いなく何らかの策を講じてくるだろう。いずれにしても、決勝は俺の集大成だ」

 そこで言葉を閉ざすと、雄一はなぜか天井を見つめた。


「どうしたの」


「何が?」


「ぼうっとしちゃって」


「……みんな、本当によくやっている。俺は良いメンバーに恵まれたよ」


 と言うと、藤本は何かを誤魔化すかのように笑って見せた。


「じゃあ明後日あさってはみんなで祝勝会をしないと。勝ったらハイボールではなくビールだったわよね」


「ああ、それは……」


「駄目なの?」


「先約がある」


「先約?」


 雄一は中華食べ放題の事情を話した。


 杏はそれを聞くと少し笑った。子供達の耳に入ったら間違いなく連れて行けと言うに違いない。


「じゃあ、私達の祝勝会は日本一になってからと言うことで。ビールもそれまでお預けね」


「それとこれとは違うだろ」


 杏は笑った。間髪かんはつ入れずに返答した雄一がなぜか駄々っ子のように見えてならなかった。


明日あしたも早いの?」


「ああ」


 と言うと、雄一は、


「お休み」


 と言って目を瞑(つむ)った。


 杏は眠りに入った雄一を見ると、サイドテーブルに置いていたリモコンに手を伸ばした。


 照明が薄暗くなった。


 そうして、


「お休み」


 と言うと、杏もまた夜の深い眠りへと入って行った。

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