第四章 インターハイ予選 二十二 山並VS上越東 ラストクォーター ―全国制覇のレベル―
ドラッグストアでパート勤務をしている信子はレジ打ちや品出しの仕事をしている。勤務時間は10時から16時の6時間。労働基準法では6時間以内であれば会社は従業員に休憩を与える必要はないと定められているが、このドラッグストアでは45分の休憩を与えるようにしている。
「中村さん、時間だから休憩に入って下さい」
倉庫で品出しをしていると、店長から声を掛けられた。
「はい。あっ、店長」
呼び止められたので振り向くと、
「後でプロテインを一つ取り置きしますので……」
「ああっ、分かりました」
「すみません」
「どうですか、あれから」
「何がですか?」
「いきなり大きな息子さんが出来て……」
「ああ、それですか。まあ、ぼちぼち……」
「一緒に暮らすようになってから、もうどのくらいが経ちます?」
「……そろそろ三ヶ月ですね」
「雰囲気、随分変わりましたよね」
「洋さんですか?」
「違いますよ。あなたですよ、中村さん」
「私ですか?」
「最初の頃はやっぱり気が張ってたんでしょうね、ちょっと近寄り難い感じがあったんですが……プロテインを買った後くらいだったかな、段々と雰囲気が明るくなって……」
「あっ、そうですか?」
「そうですよ。だから、私もこうして気兼ねせず尋ねてるんじゃないですか」
信子はちょっと苦笑いをした。
「そうですね。一時の頃と比べたら……大変なのはまだまだこれからなんでしょうが、でも……」
と、ここで、信子は一旦言葉を切った。
店長は次に出て来る言葉を待った。
「洋さんは友達に恵まれましたよね。それが一番だと思います」
「……確か、バスケットでしたよね」
「ええ。一年からレギュラーなんです。監督から是非来てくれって言われて」
「えっ、そうだったんですか。それは凄い」
「今日は予選会の二日目なんです。
「中越平安。はいはい、私も知ってますよ。
「店長、詳しいんですね」
「詳しくはないですけど、でも、テレビニュースにも出て、この新潟では結構な有名人ですからね。そう言えば、体が小さいって言ってましたよね。そうなると、ポジションはやっぱりポイントガードですよね」
「はい」
「じゃあ、相手は杵鞭じゃないですか。ますます楽しみですね」
「明後日は主人と二人で応援に行ってきますので、店長も良かったら応援して下さい」
「分かりました。気に留めておきますよ」
と言うと、店長は笑いながらお店に出て行った。
「……有名人か」
本人も気がつかなかいうちに、信子はぽつり、そう
《洋さん、チョコ味の方が好きだと言ってたわよね》
と、我が事のように楽しみながら、そのままロッカー室へと消えていった。
同じ頃、山並と上越東の試合が行われている会場では、段々と熱気に包まれて行っている雰囲気の中で、
「また決めた」
と、立花が呆れ返った驚きを口にしたところだった。
スリーポイントの精度こそ今ひとつではあるものの、ここまでの早田は確実に決められるシュートは確実に決めていた。
「
鷹取がそう言うと、
「集中力が前よりも上がったような……間違いなく目の加入が早田さんに火を点けたよな」
と、菅谷がその思いを付け足した。
日下部、笛吹、滝瀬は黙して試合を見ている。
コートでは、杉野がドリブルしながらセンターラインを越えたところだった。
定位置に就いた杉野を藤井と三浦が見ている。が、どちらもパスを寄越せという強気の雰囲気は最早なく、共に口を大きく開けて息をしている。オフェンスだけでなくディフェンスにおいても、
その一方で、やはりスタミナの心配がある洋はと言うと、息はまだ乱れてはいないようである。精神的優位に立つというのは、試合展開や個人の体力などあらゆる面において重要であることが、この試合を見ていてもよく分かる。
その洋が杉野を迎え撃とうとしている。
杉野が藤井にパスを出した。
藤井は豊田にパスを回した。
豊田はざっと味方を見渡してから藤井にボールを戻した。
洋は杉野をマークしながら、伏し目がちに黒のシューズも見ている。
黒のシューズは
洋の視線が上がった。
藤井が杉野にパスを出す姿勢に入った……
赤いシューズがクラウチングスタートを切るかのように踵を上げた。
日下部が目を見張った。
スティールした洋を追い掛ける者は最早誰もいない。
洋は落ち着いてランニングシュートを決めた。
上越東の監督である前川が眉間に皺を寄せて、目の前を通り過ぎて行く洋を見ている。
上越東は決して弱いチームではない。礼和学園と対戦したら、おそらく上越東が勝つと思われる。あまりバスケが盛んではない他県であれば、優勝してインターハイに出られるかもしれない。それほどの実力がある。
しかし……
藤井がシュートを放った。
右足を軸に加賀美の体が180度回転。背中で柴田をブロック。
ボールが落下してくる。
バーン。
シュートがリングに弾かれた。
見上げる、加賀美。
コートを蹴ってジャンプ。
加賀美の右手が最高到達点に達した。
瞬時にボールが加賀美の両手に収まった。
「加賀美さん」
洋の声が加賀美の視線を導いた。
加賀美、オーバーヘッドパス。
洋、ボールを手にしたと同時にドリブル。
目そして早田を見る、洋。
先を走っているのは目。が、目には三浦がピタッとマーク。
早田をマークしている藤井は早田のやや後方に位置。
洋の前に杉野はいないが、追走しているのは確実。
洋は早田にパスを出した。
早田はボールを受け取ったと同時に右足でコートに着地。それから
レイアップが決まった……
と思いきや、三浦がまさかのランニングブロック。
左手のスナップを利かせるタイミングが若干早まった。
ボールがバスケットボードに当たった。
ボールはリングに向かったが、ネットには吸い込まれず外に弾かれ宙に浮いた。
目、リバウンドに向かうのか!?
と、その時、洋の左横を誰かが走り抜いた……
ボールに向かって高々と跳んだのは……
山添!
バーン。
左手に収めたボールをそのままリングに叩き込んだ。
体育館がどよめく喚声に包まれた。
見ると、一般客しかいなかった二階席をいつの間にか他校の生徒がその空白席を埋め尽くしていた。
「ナイス、山添さん」
自陣に戻りながら目が近寄ってそう言うと、
「横取りしてすまんな」
「次は俺がもらいますよ」
すると、そんな二人をベンチから見ていた鷹取が清水に、
「どう思う?」
「どうって?」
「俺には目が譲ったように見えたんだが……」
「鷹取がそう思うんなら、きっとそうだよ」
「何だよ、その言い方」
「直感って大切だと思うよ」
清水は案外真顔でそう言った。
怒濤の一言に尽くされた山並の攻撃は
それに対して上越東はと言えば、完全に足が止まってしまった。体力面でのスタミナが切れたのではない。万策が尽きたのだ。
ペイントエリア内で勝負が出来ないとなれば、外からのシュートしかない。しかも一点でも多く得点を重ねたいとなればスリーポイントしかない。そうなれば、頼みの綱は杉野か藤井のどちらかになる。だが、藤井をマークする早田は攻撃だけでなく守備も卓越している。となれば、山並の穴は洋しかいない。
三浦から柴田にボールが渡った。
加賀美がディフェンスの構えを見せた。
柴田は攻撃を仕掛けることなく三浦にボールを返した。
洋が電光表示器をチラッと見た。
デジタル表示が18秒を示した。
三浦も杉野にボールを返した。
杉野がシュートを打つ構えを見せた。
洋は右手を上げて牽制をしつつ、藤井の動向をも
杉野が藤井にパスを出した。
黒いシューズが動いた。
早田が追走。
ペイントエリアに入る前に黒いシューズが止まった。しかし、ドリブルは続いている。
早田相手にシュートを打つのは無理が生じる。ドリブル突破も同じと思える。
《1ON1なら早田さんが勝つ》
洋は白いシューズから少し離れた。
藤井は杉野にボールを戻した。
電光表示器が9秒を示した。
杉野、スリーポイントラインの外からジャンプシュート。
洋もブロックショットに跳んだ。
ボールが洋の頭上を越えて、リング目掛けて落下して行く。
バーン。
ボールは手前のリングに弾かれ、高々と宙を舞った。
洋はその状況を見ると、するするっとセンターライン近くまで寄った。
早田がリバウンドを制した。
と同時に、洋が走り始めた。
「早田さん」
早田、すかさずチェストパス。
ボールは洋の走るフロントコートへ……
洋がボールに追いつきキャッチ、ワンツーステップを踏んでランニングシュート。
洋の左手から離れたボールは軽くバックボードに当たると、跳ね返ってネットを揺らし、そのままコートに落ちてバウンドした。
電光表示器が0を示した。
試合終了を知らせるブザーが鳴った。
大きく息をしている洋がセンターラインに向かって小走りし出した。
そんな洋を、上越東の前川監督が静かに、本当に静かに見つめていた。
山並が立志北翔を下したことは知っていても、対戦しなければ実力の程度は測れない。いや、むしろ、山並に勝利すれば最低でもベスト4の光明が見えてくる。
油断も
《これが全国を目指すレベル、いや、全国を制すレベル……》
前川の脳裏に、完敗の二文字がありありと浮かんだ。
徐々に開いて行った点差は、第三クォーターから一気に広がり、最終得点は山並114点、上越東46点でその試合の幕を閉じた。
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お知らせ
諸事情により、更新が大幅に遅れてしまいました。
どうも、ごめんなさい。
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