第四章 インターハイ予選 十四 山並VS礼和学園 第三クォーター ―打っ潰す―

 高校バスケットでは第一クォーターと第二クォーターを前半、第三クォーターと第四クォーターを後半として、前半と後半の間には10分のインターバルがある。


 第一クォーターと第二クォーターの間にある2分のインターバルでは体力の回復は多少見込めても、心の持ちようを切り替えるのは難しい。しかし、この10分はそれを可能にする。勿論(もちろん)、それは個々人次第ではある。


 礼和ベンチは追い上げムードに乗ってコートから戻って来た五人を盛大に迎え入れたが、対する山並は試合をリードしているにも拘(かか)わらず、全体的に雰囲気が沈滞していた。


 藤本は椅子に座って腕組みをしたまま、全く動こうとはしなかった。選手の休息を優先させるために、言葉を掛けるのは敢えて控えたようだ。


 各人ベンチに戻ると、持参したドリンクをそれぞれ飲み出した。しかし、ただ一人奥原だけは息を乱したまま椅子に腰を落とし、ぐったりと俯(うつむ)いた。


 清水が滝瀬に近寄った。


「滝瀬さん」


 滝瀬は清水を見ると、少し笑って、


「まだまだ、これからだ」


 と言った。


 日下部、早田、加賀美の三人はそんな二人を横目に見ると、互いの顔を見合わせた。三人三様、心に思い浮かべた言葉は違ったが、その行き着く先は確かに一つの言葉に集約された。


《もう大丈夫だ》


 一方、二年生はと言うと、もしこのまま第三クォーターを迎えてしまえば、奥原は間違いなく空中分解してしまう。だから、笛吹と山添は奥原を何とか立ち直らせたいと思いはするものの、しかし奥原を包み込む黒く重苦しい雰囲気は彼等の友情を決して近寄らせようとはしなかった。


「矢島」


 声を掛けたのは、立花であった。


 洋は立花を見た。


 立花は洋の耳元に顔を近づけると、


「奥原さん、大丈夫か」


 と尋ねた。


 立花が言わんとしていることを、当然洋は理解出来ている。しかし、持ち合わせていた洋なりの答えを言うのはやはり憚(はばか)られたし、頭の中は第三クォーターをどう戦えば良いのか、それだけでもう手一杯であった。いや、そもそも、立花がそのような質問をしてくること自体が洋には驚きであり、それも相俟(あいま)って洋の頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。


「お前はどうなんだ?」


「分からないから聞いたんだよ」


「……奥原さんのことは、奥原さんにしか分からないよ」


「でも、気にはなってるんだよな」


「まあ……」


 と言うと、洋は奥原を見た。


 奥原は一人ぽつんと座っている。


 洋はそんな奥原を見つめたまま、


《第三クォーターもこのままなのか》


 と、歯痒(はがゆ)くなってきた。


 と、そこへ、


「全員集合」


 と、藤本の一声(いっせい)が飛んできた。


 洋の視線の先にいる奥原が意外にもすぐに立ち上がった。


 それを見た洋は、


《遣る気はまだある……》


 と、これならば行けるかもしれないと淡い期待を抱いた。


 藤本は自分を中心に半円を描いているメンバーを一瞥(いちべつ)すると、


「さっきも言ったが、礼和学園は非常によく鍛(きた)えられている。攻撃に関してはスクリーンの多用、ローポストからハイポストへの移動と言った幾つかのフォーメーション。誰かが動けば必ず他の誰かが動くと言うその約束事に従って動いている。守備に関しては、思いの外(ほか)しつこい。一人一人の力はこちらが上でも、気迫は決して負けてはいない。スタミナもある。走り込みがしっかりとされているのがよく窺(うかが)える。選手一人一人の能力で勝てないのであれば、組織力で勝つという指導者の方針がよく現れている。こんなにもチームカラーが現れているのは珍しい。

 そんな中で出て来た13番は個人技に長(た)けている。なぜ、奴を先発で使わなかったのかは分からないが、あれは要注意だ。菅谷」


「はい」


「後半は山添と交替だ」


「はい」


「今日の試合の感覚をよく覚えておけ。あれは必ず活(い)きてくる」


「はい」


「他はこのまま後半戦に入る」


「はい」


 と、全員が返事をした。

 しかし、奥原だけは返事をする替わりに驚きと悲しみに満ちたような呆(ほう)けた顔で藤本を見ていた。


 奥原の隣にいる笛吹がその表情に気づいた。


 洋と目(さっか)も奥原を注視した。


 藤本が奥原を見た。


 奥原は思わず視線を落とした。


 少しの間(ま)があった。


「替わるか」


 奥原が顔を上げた。何とも言えない遣る瀬ない表情であった。


 礼和学園のベンチから選手が次々とコートに出て来た。彼等の表情とそのきびきびとした動きからは後半へ向けての意気込みしか窺(うかが)えない。


 片や山並ベンチは試合に惨敗(ざんぱい)したかのような雰囲気でしんと静まり返っている。


 日下部が、早田が、加賀美が、滝瀬が、二年一年の全員が奥原を見ている。


 礼和の13番が他のメンバーに続いてサイドラインを越えようと足を踏み出した


 と、その時だった。


 富澤は何かを感じたのか、ふっと山並ベンチを見た。


《んっ、何だ?》


 富澤は山並ベンチの雰囲気がおかしいことに気がつくと、その渦中(かちゅう)にいる奥原に自然と目が留まった。


 山並のメンバーのみならず敵の要注意人物の視線をも惹きつけるほどの状況になりながら、いや、そんな状況だからこそ、奥原はどうしてもその先の一歩を踏み出せないでいる。体の内側から、心臓の鼓動だけが大きく響いて来る。


 奥原の唇が微(かす)かに動き掛けた。


「出ます。そうですよね、奥原さん」


 奥原はビクッとした。


 張り詰めた表情をした洋が奥原を睨(にら)んでいる。否定の言葉を口にでもしようものなら、容赦なく問い詰めてきそうな、そんな緊迫感がひしひしと伝わってくる。


 奥原は何も言わず、じっとその場に立ち竦(すく)んでいる。


「いいんですか」


 全員が声のした方を向いた。


 目(さっか)が奥原を見つめている。


「このまま馬鹿にされたままで良いんですか」


 ずんと胸が重くなった。そうして、それに引っ張られたかのように奥原は俯(うつむ)いた。


「一言(ひとこと)言って下さい。そうすれば俺も矢島も奥原さんをサポートします」


「……一言って?」


 奥原は俯(うつむ)いたままそう聞き返した。

「打(ぶ)っ潰(つぶ)す」


 俯(うつむ)いている奥原の目がほんの一瞬だが、カッと見開いた。


 笛吹が、山添が、菅谷が、一年の全員が奥原を見ている。


 みんなに見せている後頭部がゆっくりと起き上がった。


 同情に堪(た)えない表情は尚(なお)も続いている。肩は深呼吸で大きく揺れている。


 誰かが奥原の両肩をガシッと摑(つか)んだ。


「奥原、俺が誰だか分かるか」


「はい、滝瀬さんです」


「よし、じゃあ、言え。たった一言だ」


「俺は……」


 その先に続く言葉をチーム全員が見守っている。


「……」


「奥原!」


 そう、たった一言だ。それを口にすれば……と勇気を振り絞ろうとする奥原。しかし、そんな奥原を、これまでの奥原が諭(さと)すように囁(ささや)いてくる。


《お前は刺身のつまでいい。そうだよな?これからもずっと、それで良いんだよな》


 ああっ、そうだ。俺は事あるごとにそう言い聞かせてきた。実力なんてどうせないんだ。頑張ったところでどうにもならないじゃないか。努力をすればするほど、惨(みじ)めな自分を思い知らされるだけだ。それならせめて……楽しむのがそんなに悪いのか。俺はバスケを楽しく出来ればそれで良かった。みんなの邪魔にならないように……それが俺の選んだ……俺の……俺の……俺の……


「……打っ潰す」


「よく言った!」


 滝瀬は奥原の両肩をパーンとその手で叩いた。


 奥原は少しよろめいた。


 笛吹がホッとした表情を見せた。


 由美は目を真っ赤に腫らしていた。


 目(さっか)がその場からすっと離れた。椅子の下に置いてあったボールを手に取ると、ゆっくりコートへと向かった。そして徐(おもむろ)にドリブルを始めると、リングに向かってジャンプ一閃(いっせん)、


 ライトトマホークダンク!


 すると、山添もまたボールを手に取りリングに向かってドリブルを始めると、目(さっか)ばかりに良い格好はさせんと言わんばかりに、


 レフトトマホークダンク!


 左右のエースが宣戦布告の狼煙(のろし)を上げた。


 礼和学園のメンバーは二人のダンクを見た途端(とたん)、先程までの勢いが急速に萎(しぼ)んでいくかのようにアップの動きが止まってしまった。


 富澤もまたボールを手にしたまま、そんな二人を見ていた。が、その視線はなぜかすぐにベンチに居る奥原に向けられた。


藤本の口元にようやく笑みがこぼれた。


「奥原さん」


 洋が奥原に声を掛けた。


 奥原は何も言わずに洋を見ると、洋は顔を近づけて何か囁(ささや)いた。


 奥原は、すると、まだまだ弱々しさはあったものの、その表情は確かに笑みを湛(たた)えていた。


 先発で活躍出来る実力はない。控えと言える実力もない。それは確かにその通りだ。しかし、だからと言って、それを自分勝手に決めつけて良いものではない。勝負の世界に身を投じた以上は、最善を尽くさなければならない。


 しかし、その自覚があるからこそ、試合でへまをしてはいけない、みんなの足を引っ張ってはいけないという思いが一際(ひときわ)強くもなる。


 奥原だって勝ちたいのだ。


 しかし試合に出れば勝利に貢献出来ない自分を目(ま)の当たりにしてしまう。これほど惨(みじ)めなことがあるだろうか。奥原はそんな自分を正視するのが辛(つら)かったし、怖かった。


 それでも奥原はバスケが好きだった。このメンバーが好きだった。みんなの役に立ちたいという思いと惨(みじ)めな姿を曝(さら)け出す自分から逃げたいと言う思いのせめぎ合いが、ここまで奥原を悩ませていた。


 自分の背中を押してくれたこの山並バスケット部のみんなに、自分の出来る精一杯のプレーを見せるんだ。それが奥原の選んだ道であった。


 試合開始3分前のブザーが鳴った。


 各チーム、コートでアップしていたメンバーがそれぞれのベンチに戻って行った。


 山並メンバーは立ったまま腕組みをしている藤本の元へそのまま直行すると、再び藤本を中心に半円を描いた。


 藤本は全員の顔を見渡すと、


「後半は矢島、目、奥原、山添、滝瀬、この五人で行く。目(さっか)」


「はい」


「後半は任せる」


「はい」


「滝瀬」


「はい」


「プレーは前半通り。緊張の糸を途切れさせるな」


「はい」


「奥原」


「はい」


「お前はお前のバスケットをしろ」


「はい」


「山添」


「はい」


「あの13番には、お前がマークに付け」


「はい」


「第三クォーターでのお前の課題は冷静に試合をすることだ。分かったな」


「あっ、はい」


 それを聞いて、洋はプッと吹き出しそうになった。


 早田と加賀美も少し笑った。


 山添が短気なのは今や周知の事実だが、裏を返せば、富澤は山添を熱くさせるプレーヤーであると言うことだ。


 富澤は超大型巨人との対戦に向けての良い試金石になる。藤本はそう考えているのかもしれない。


 山添が軽くストレッチを始めた。


 その様子を由美が見ている。


 由美は藤本から各メンバーの動き、端的に言えば、癖を見つけるように指示されている。ただ、由美もバスケに拘(かか)わるようになってから日が浅いので、そんなに簡単に見つけられるものではないことも藤本は承知している。おそらく、課題を与えることによって、藤本は由美の活躍の場を作ろうと考えたのではないかと思われる。それでもし有益なことがあれば、それは願ったり叶ったりということなのであろう。ただ、由美の観察力は藤本も買っている。


 さて、そんな由美だが、メンバー全員を隈(くま)なく観察はしているが、どうしても気になるのはやはり山添であった。ソフトフォワードなどと思い付いた言葉を安易に言ったことを、由美は今後悔している。これからと言う時に山添を混乱させるような言葉は慎(つつし)むべきであった。


 試合開始1分30秒前のブザーが鳴った。


 山添がジャージを脱ぎ始めた。


 目、奥原、滝瀬はコートに向かい始めた。


 洋は真っ赤なシューズの紐を結び直した。


 すると、


「矢島」


 と、日下部が声を掛けて来た。


「はい」


「さっき先生に怒られたとき、お前何を考えていた?」


「……13番について、ちょっと」


「……考えるのは良いことだ。しかし、そればかりに捉(とら)われるな。お前の興味本位がチームに災いを招くことだってある。ポイントガートは司令塔だ。どっしりと構えろ。いいな」


「はい」


 そう返事をすると、洋は日下部に少し頭を下げてコートに向かった。


 指示はこれで全て出した。藤本は背番号17がコートに向かう姿を見届けると、振り返って自分の椅子に腰を下ろした。



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お知らせ

その1

現代ドラマ部門の週間ランキングで321位になりました。この順位が凄いのかどうかは分かりませんが、通知が来ましたのでこちらに記載しておきます。


その2

サラダパスタ様から次のようなレビューを頂きました。


スポーツ小説でこの完成度は凄い

バスケの試合と練習風景という感じで描き分けてるのが凄いと思いました。こんなに面白い作品がアニメ化されないのは勿体ない。

もしこの物語がアニメ化されたら、スポーツ作品の中で光り輝く事を願っています。

これからも頑張ってください。


このようなお褒めの言葉を頂けるとは思ってもいませんでしたので、本当に嬉しく思います。これかも期待を裏切らないように書いて参りますのでよろしくお願い致します。

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