第四章 インターハイ予選 八 劣等感

 明け方の曇天(どんてん)は昼を過ぎても晴れることはなかった。北寄りの風なのか、空気が冷たい。天気予報では降水確率三十パーセントと言っていたが、この空模様なら降ってもおかしくはない。


 清水は売店で弁当を買って、教室に戻るところであった。その途中にある渡り廊下を歩いていると、中庭に日下部達がいるのを見つけた。最初は気にせずそのまま教室に戻ろうとしたが、何かを思い出したように踵(きびす)を返すと、彼等の元に向かった。


「こんちは」


「おおっ、清水か。どうした?」


 日下部がそう言うと、


「先輩方が真剣な顔をして話していたので、何かあったのかなあと……」


「いや、何も……」


 と、一旦はそう言い掛けたが、早田が、


「良いんじゃないか」


 と言うと、日下部は少し間を置いてから、清水に話し始めた。


「滝瀬が休んでいるのは知ってるよな」


「はい。体調が悪いんですよね」


「あいつ、今日学校を休んだんだよ」


「そんなに悪いんですか」


「そうじゃない。俺達の考えが正しければ、バスケを辞めるつもりだ」


「えっ、どうしてですか」


 すると、早田が、


「それが分からないから、こうして集まってるんだよ」


「先生は知ってるんですか」


「いや、まだ言ってない」


 と、それがさもキャプテンの務めであるかのように、日下部はきっぱりと言った。


「少なくとも体調が悪いと言うのは嘘だ」


 と、加賀美は言うと、続けざまに、


「あいつとは中学からの付き合いだが、学校を休んだことは一度もない。風邪なんて引いたこともない」


「でも、それで辞めるって考えるのはちょっと……」


「それらしいことはあった」


 と言うと、加賀美は先日二人に告げたことを清水に話した。


「滝瀬さんが休んだのは昨日一昨日ですよね。試験開けの金曜日には来てましたよね……もし考えられるとしたら、金曜日に何かあったってことですよね」


「俺達もそう考えたんだが、思い当たることが全くない」


 と早田が言った。


「今日、行ってみる」


「滝瀬ん家(ち)に?」


「辞める辞めない以前に、理由を聞かないと。これ以上我がままは認められない」


「カベ、俺が行く」


 日下部と早田が加賀美を見た。


「俺の方が適任だ」


「……分かった」


「済まんが、先生の方は……」


「僕も連れてって下さい」


 三人が清水を見た。


「何かが出来るとは思いませんが、何かの役には立つかもしれません」


「申出は有り難いが、これは俺達三年生の……」


「違います、僕達バスケット部の問題です」


 と、日下部がまだ言い終わらないうちに清水が自分の思いを伝えた。


 日下部は驚いた。早田も加賀美も同様であった。不断の清水からは想像出来ない強い意志を三人は感じた。


「俺は今から行くつもりだが、お前はどうする?」


「行きます」


「授業はどうする?」


「サボります」


 これには、三人とも呆れたようであった。


「……先生には俺から何とか話しておく。加賀美もそれで良いな」


「文句はない」


 この後、加賀美とは学校から少し離れた所で待ち合わせをする約束をすると、清水は買った弁当を食べることなく、担任の先生に具合が悪いと嘘をついて早退することにした。



 滝瀬とは同じクラスであり、また同じバスケット部でもあることから、加賀美の担任教師は滝瀬の様子を見に行きたいと言った加賀美の申出を特別に許可した。この担任教師の耳にも昨日の話は既に届いている。全国出場も決して夢ではない。そんな状況下にありながら、滝瀬が三日続けて部活を休むことになるのは、担任教師もやはりおかしいと思ったようだ。


 待ち合わせの場所には清水の方が先に来ていた。


「待たせたな」


「いえ、僕も来たばかりですから」


「じゃ、行くか」


 と言うと、加賀美は自転車を漕ぎ出した。


 清水は、先を走る加賀美の背中を見ながら、滝瀬がなぜ急に来なくなったのかを改めて考え始めた。


 清水自身がさっき言ったように、何かあったとしたら試験開けの金曜日しかない。この日がいつもと違ったのは、中越平安に向けて考えた対抗策の練習をしたことだ。踏み台を使った練習、洋の考えたセットプレー。それの何が問題だったのだろうか。それが本当に問題なのだろうか。


 市街地まではもうそろそろである。


 加賀美はその手前で左に曲がった。


 程なくして、両側が田んぼになった。


 この辺りは既に田植えが終わっているようだ。小さな稲達が風に揺れている。


 これから滝瀬の家まではほぼ一本道(いっぽんみち)である。


 加賀美は淡々と自転車を漕いでいる。


 橋が見えてきた。


 これを渡り、一本道を更に進めば民家が見えてくる。滝瀬の家はその一画にある。


 加賀美の自転車を漕ぐスピードが少し速くなったようだ。


 それを体感した清水は、こんな所でも体力の差が出るものなんだと思いつつ、離されないように自転車を漕いだ。


 そうして、橋を渡り切るときだった。


 清水はアッと思った。


 加賀美はどんどん先を進んで行く。


「加賀美さん、加賀美さん」


 清水が大声で呼びかけた。


 加賀美がブレーキを掛けた。自転車を止めて振り向くと、清水が追いつくのを待って、


「どうした?」


 と尋ねた。


「さっき、滝瀬さんがいました」


「どこに」


「川の土手に。あれ、滝瀬さんだと思います」


 加賀美は何も言わずUターンすると、橋に向かって漕ぎ出した。


 橋に差し掛かる手前で自転車から降りると、加賀美は自転車を押しながらゆっくりと歩き出した。


 清水も同じことをした。


 河川敷が見えてきた。


 土手の所に、学生服を着た一人の男が座っていた。すぐ近くには自転車がある。


「あれ、そうですよね」


「間違いない」


 加賀美と清水は確認し合うと、自転車を押しながら滝瀬のもとに向かって歩き出した。


 滝瀬が気配を感じたようだ。振り向いて加賀美を確認すると、ばつが悪い顔をした。が、後から付いて来る清水を見ると、表情が少し変わった。


 二人は手前で自転車を駐車させた。


 滝瀬は川の方を見ていた。


「何サボってんだ?」


「お前もサボってんだろ」


「今日も来ないのか?」


「……俺は辞める」


「理由は何だ?」


「お前に言う必要はねえだろ」


「俺には無くても先生には言うべきだろ」


「うるせいな、早く帰れ」


「勝手なことばかり言ってんじゃねえぞ」


 そう言うと、加賀美は滝瀬の肩を掴んだ。


「触んじゃねえ」


 滝瀬が加賀美の手を払い除けた。


「立て」


「やんのか」


 そう言うと、滝瀬は立ち上がった。


 最悪だ。いきなり最悪の展開になってしまった。清水はそう思った。


 部活はこれが初めての清水は、先輩同士が対立する場に居合わせることなど過去に一度もない。何かしらあったとしても、傍観者で終わっていた。清水が自発的に付いて行くことを進言したのは、このような事態が起きるかもしれないと予測したからだろうが、しかし、最悪の事態に備えて予(あらかじ)め何かを準備していたのかと言えば、それは全くなかった。居ても立っても居られない。清水の思いはただそれだけであった。


 加賀美と滝瀬が一触即発の形相(ぎょうそう)で睨(にら)み合っている。


 清水が固唾(かたず)を呑んで二人の様子を見ている。


 口喧嘩程度ならあるが殴り合いはない。可能性を否定していなかったとは言え、実際こんな体のデカい者同士が間近で睨み合っている姿を見ていると、清水には二人がまるでリング上にいるプロレスラーのように見えて、来なければ良かったと後悔の念が鎌首を擡(もた)げた。


 しかし、怖がってはいけない。ここでビクビクしているだけなら、何のために来たのか分からない。


「滝瀬さん、一緒にバスケをしましょう」


 いきなりの呼びかけだった。しかし、これで一触即発の雰囲気が少し和(やわ)らいだ。


「何でこいつを連れてきた?」


「清水は自分の意志で来た」


「そんなわけねえだろ。大体俺はこいつとろくに口もきいてねえし……」


「本当です。僕は滝瀬さんに戻ってきて欲しいからここに来ました」


「……出しゃばるんじゃねえよ」


 滝瀬が拳を振り上げた。


 殴られる!清水は思わず目を瞑(つむ)り、身を強(こわ)ばらせた。


 しかし、一向に殴られる気配がない。


 清水は恐る恐る目を開けると、加賀美が滝瀬の振り上げた腕を掴(つか)んでいた。


「俺の知ってる滝瀬はこんな捻(ひね)くれた男じゃない」


 掴んでいる腕と掴まれてる腕。両者の力が拮抗(きっこう)していてブルブルと震えている。


 加賀美が手を離した。


「退部届を出せば文句はねえだろ」


 それは完全に投げ遣りな言い方だった。


 少しの間、沈黙が漂った。


「金輪際(こんりんざい)、お前とは口を利(き)かん」


 加賀美はそう言い捨てると、


「清水、帰るぞ」


 と言って、歩き出した。


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 お知らせ


 更新は毎週土曜日の14:00の予定でしたが、執筆の時間確保が難しくなってきたため更新は不定期になります。何卒ご了承下さい。


 *2021年8月6日、PVが12.5万を超えました。本当にありがとうございます。次の更新が楽しみと思われるよう頑張りますので、ご支援よろしくお願いします。

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