第四章 インターハイ予選 七 まさかの来訪

 洋の体を得体の知れない緊張が走った。


「杵鞭(きねむち)、それは嫌がらせか」


 藤本が問うと、


「こちらから出向いて教えを請うわけですから、きちんとしなければと思いまして……」


「まあいい。矢島」


「はい」


「杵鞭の相手をしてやれ。ウォーミングアップだ」


「何をすればいいんでしょうか」


「二線を何度かすればいい」


中学時代の洋は、新人戦以降はレギュラーとして活躍したものの、それまでは控えすらなれない存在であった。洋自身が夏帆や由美に語ったように、彼は立派なマネージャーになることを目指していたし、またそんな経緯があるからこそ、山並最強と太鼓判を押した五人の中に藤本が洋を選んでいても、自分が凄い選手であるという自覚を洋は持てなかった。言い換えれば、戦力として見做(みな)されていなかったあの頃の気持ちを未だに引きずっていた。それは立志北翔と対戦した後の今でも変わらずにいる。


 しかし、だからこそ、日本代表のスーパースターであるあの杵鞭が、わざわざ自分目当てに来訪するとはとても思えなかった。


 背番号4を付けたユニフォームを身に纏っている杵鞭。その姿は確かに中越平安のキャプテンである輝きを放ってはいた。しかし、そこに彼の本心は無い。あるのはただ一プレーヤーの誇りと敵対心のみである。


 対して、サブマリンに徹することだけを考えていた洋の思いの先にあるのは、自分の為すべき事が如何にチームの役に立つかという純粋な気持ちだけであった。しかし、それが洋自身考えてもいなかった大きな波紋となって周囲に広がり、遂にはそれが杵鞭をも動かすことになった。


 次第に鋭い目つきになっていく杵鞭を二線をしながら見ていると、他の誰でもない自分自身が杵鞭をそうさせていることにようやく気がつき、今目の前にいる杵鞭がまるで鏡に映る自分のように見えた。


「矢島の目つきが変わったな」


 日下部が言うと、


「杵鞭のやつ、何を考えてるんだろうな」


 と早田が言った。


「何って?」


「ただの偵察だと思うか」


「俺もそんな気がする」


 加賀美も早田の言わんとしていることが理解出来たようだ。


「……ああ、そうだな」


日下部はそう言うと、さっき案内した用具室での会話を思い出した。


「日下部」


「何だ?」


「お前は悔しくないのか」


「……それは矢島のことか」


「そうだ」


「……答えは、この後すぐに分かる」


 日下部はさりげなく藤本を見た。


 藤本はいつも通り腕組みをして、洋と杵鞭の二線を見ている。


 藤本はどれほどの深謀遠慮をして、洋を杵鞭にぶつけようとしているのであろうか。


 観衆がまた一段と増えたように思われる。


 そんな中を縫って、誰かが体育館に入って来て、藤本に歩み寄った。


「藤本先生」


「あっ、校長先生」


「一体どうしたんですか、何の騒ぎなんですか」


「中越平安の杵鞭が道場破りに来たんですよ」


「道場破り?」


「杵鞭、ご存じですよね?」


「ああ、もちろん。しかし、なぜ杵鞭君が?」


「うちの矢島に興味があるみたいです」


「矢島……ああ、新聞に出ていた?」


「今年の山並は期待出来ますよ。何せ、王者が勝負を挑みに来たんですから」


 そう言われると、校長と言う立場を考慮しなければと思いながらも、さすがに二人に目を向けないわけにはいかなかった。


 コートでは軽いウォーミングアップがちょうど終わったところで、洋と杵鞭の1ON1がいよいよ始まろうとしていた。


「目(さっか)」


「何だよ」


「勝てると思うか」


「鷹取はどう思ってるんだ?」


「俺は……勝って欲しい」


「あのビデオを見て思ったのは、杵鞭さんよりも矢島の方が、俺にはやり易いってことだ」


 由美がビデオカメラを向けた。


 ファインダーに映る洋と杵鞭がリング下まで来た。


「どうする?お前が決めていいぞ」


「じゃあ、後攻でお願いします」


「いいだろう」


 杵鞭がエンドラインの側(そば)に立った。


「おい、始まるぞ」


 二階通路にいる一人の生徒が言った。それが皮切りとなったかのように、ざわざわしていた体育館内が静まりつつあった。


 胸の前に手を組んで、夏帆が洋を見た。


 洋が持っているボールを杵鞭にパスした。


 洋VS杵鞭。二人の1ON1が今ここに火蓋(ひぶた)を切った。


 杵鞭はやや前傾姿勢で両手でボールを持ち、洋の動向を探る、と誰もが思った瞬間、ドリブルの音が体育館中に響き渡った。


 一方、洋はいつも通り、腰を落とし伏し目がちに対峙(たいじ)。杵鞭から見ると、洋の顔は見えない。わざと視線を合わせないかのようなディフェンスで杵鞭を追随。


 杵鞭が右サイドからの突破を図る。


 しかし、洋は離されない。


 杵鞭、フロントチェンジで右手から左手へとボールを移動、と同時に重心も左足へ移動、そのままコートを蹴って洋を振り払いに掛かった。


 しかし、洋も執拗(しつよう)に追撃。杵鞭のドリブルコースを潰(つぶ)しに掛かる。


 バスケットゴールに対して鋭角に切り込めない杵鞭。一旦、足を止めた。杵鞭はまだハーフラインを越えてはいない。


 伏し目がちの洋が杵鞭の前に立ちはだかる。


 杵鞭、再度フロントチェンジ、右から突破を……と思いきや、更にフロントチェンジ、そしてもう一度フロントチェンジ。右利きの杵鞭はやはり右サイドからの突破を狙(ねら)った。しかし、振り切れない。


 と、その時だった。


「ピー」


 藤本のホイッスルが高らかになった。


「8秒過ぎた。一回戦はこれで終わりだ」


 杵鞭が藤本を見た。


「お前がユニフォームを着て戦う以上、ルールも厳密に適用する」


8秒ルールとは、ボールを保持するオフェンス側が8秒以内にボールをバックコートからフロントコートまで運ばなければならないというルールである。バックコートで8秒を超えてしまうとバイオレーションで相手ボールのスローインになる。このルールの意義はスピーディーな試合展開の実現と、オフェンス側の時間稼ぎの阻止(そし)にある。


「手厳しいな」


 菅谷が小声で言うと、


「当然だろ」


 と笛吹が答えた。


「分かりました」


 杵鞭はそう言うと、エンドラインに戻った。


8秒ルールに阻(はば)まれた洋と杵鞭の1ON1はとてもシンプルな一戦であり、一見何の変哲もないように見えた。しかし、詰め寄せた山並の生徒や先生など、バスケットの知識をほとんど持ち合わせていない観衆が固唾(かたず)を呑んで見守っていたことからも分かるように、この雰囲気から伝わってくる緊張に何か鬼気迫るものを彼等は感じ取っていた。


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 お知らせ


 *2020年1月から更新日を変更しました。

  更新は毎週土曜日の14:00の予定です。


 *2021年3月、PVが90000を超えました。フォロワーさんも増えました。本当にありがとうございます。これからも頑張りますので、ご支援よろしくお願いします。


 *2021年4月17日、PVが遂に10万を超えました。フォロワーさんも増えました。本当にありがとうございます。これからも頑張りますので、ご支援よろしくお願いします。


 *4月は約9000PVありました。ありがとうございます。5月はこれを超えるように、そしてこれから先はこれを遙かに上回るような数字を残せたらと思っています。ご支援、よろしくお願いします。

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