第四章 インターハイ予選 十二 山並VS礼和学園 第一クォーター -思わぬ序盤戦-

 山並・礼和共に一旦それぞれのベンチに向かうと、タオル等の手荷物やボールケースをベンチに置いて、選手はコートへと出て行った。


 山並側は日下部が三角パスの指示を出すと、メンバーは三方へと別れた。


 それに対して礼和学園はランニングシュートでアップを開始した。


 観客席の人数が先ほどよりも確実に増えている。間違いなく、山並は注目されている。


 試合開始前のブザーが鳴った。


 両チーム共にベンチに戻った。


 山並のベンチでは、藤本を中心にメンバーが集まった。


「千里の道も一歩からという諺(ことわざ)がある。千里ほどもある遠い道のりであっても、まずは始めの一歩を踏み出すことが大切だという意味だ。俺の言いたいことは分かるな」


 日下部が、


「はい」


 と大きく返事をした。他の者は神妙な面持ちでただ藤本を見ていた。


「今日の先発メンバーは、矢島」


「はい」


「目」


「はい」


「奥原」


「はあっ?」


「菅谷」


「はい」


「滝瀬」


「はい」


「今日の試合、矢島と奥原は最後まで。他は状況を見ながら替えていく」


「先生」


「何だ」


「僕が出るんですか?」


「聞いてなかったのか」


「あっ、いや……」


「奥原さん、今日は僕も積極的にシュートを打ちますから、奥原さんもバンバン打ちましょう」


「矢島……」


「奥原さん、頼みますよ」


「目……」


「こんなチャンス、滅多にないんだ。やろうぜ」


 と、菅谷も檄(げき)を飛ばした。


「そうだけど」


「奥原」


「はい」


「俺は絶対に負けん」


 滝瀬の鬼気迫るこの一言に、奥原はとうとう寄り切られた。


「……頑張ります」


 礼和学園の先発メンバーがジャージを脱ぎ始めた。ユニフォームの基調カラーは濃紺である。


 山並の先発メンバーもジャージを脱いで、コートに向かおうとした。


 と、その時だった。


「滝瀬」


 と藤本が声を掛けた。


 滝瀬が振り向いた。


「スッキリしたか」


「はい?」


「スッキリしたかと聞いてるんだ」


 滝瀬は藤本の言っている意味が理解出来なかった。


「三日で納得したかと聞いてるんだ」


 滝瀬は言葉に詰まった。


 三年生全員、加えて清水もまた藤本のこの言葉には一瞬背筋が凍った。


「納得しました」


「ならいい。行ってこい」


「はい」


 滝瀬が練習に復帰したとき、藤本は何も問い詰めなかった。事情を知っている者からすれば、不気味なくらい平穏な対応だった。


 勿論、藤本は滝瀬がなぜ練習を休んだのか、その理由を知らないし、知る由もない。体調が悪いから三日間休んだ。藤本が知っているのはこの表向きの事実だけだ。


 しかし、藤本はまるで全てを見透かしていたかのような言い方をした。


 高校バスケットの指導者に従事して今年で五年目。当然のことながら、この間生徒に対してどのような態度を取ればいいのか、藤本なりに考え学んできた。対応に苦慮したときは、自分の学生時代を振り返って考えた。社会人経験が生かされた時もあれば、安東先生に相談することもあった。


 彼等よりは年長者であっても、藤本もまた一人の人間である。完璧な対応など出来るはずがない。


 それでも、様々な経験から学んだ蓄積(ちくせき)は滝瀬の休んだ理由が体調の不良ではなく、おそらくは精神的な何かだと言うことを藤本に示唆(しさ)した。だから、復帰直後は敢えて何も言わなかった。病み上がりの心に接するタイミングは対応する側も繊細さが必要である。


 藤本がこのタイミングでそれについて声を掛けたのは『絶対に負けん』という滝瀬の言葉に強い意志を感じ取ったからだ。


 全ての蟠(わだかま)りをここで断ち切る。


 藤本の見計らったタイミングは間違っていなかったようだ。コートに立つ滝瀬の表情にもう迷いはなかった。


 だが……


「おい、何やってんだ?」


 菅谷が呆(あき)れたような口ぶりで言うと、


「だって取れない……」


 と言いながら、奥原がコートに座ってジャージのズボンを脱ぐのに悪戦苦闘していた。


「ファスナー、下ろしたのか?」


 笛吹が言うと、


「下ろしたよ」


 と言うも、なぜか裾(すそ)がバスケットシューズに引っ掛かって脱げないでいる。


「世話が焼けるな」


 笛吹はそう言うと、奥原の手を退(ど)けて、ファスナーの引き手を探し、抓(つま)んだ。


「ほら、下がってなかっただろ」


「あっ、ありがとう」


 と言うと、急いでジャージを脱いだ。


 審判がボールを手にして奥原が来るのを待っている。


「あいつ、大丈夫か?」


 早田が心配そうに言うと、


「村上の時には特に問題は無かった。心配することはない」


 加賀美は淡々とそう答えた。


 両チーム先発の最後である奥原がようやくコートに立つと、お互い横一列に並んで挨拶を交わした。


 由美がスコアブックからコートに目を移した。


 山並。ユニフォーム白。


 PG 矢島洋(やしま ひろし)   背番号17 163・5センチ  一年生。

 SG 奥原晃(おくはら あきら)   背番号10 170センチ  二年生。

 SF 目浩之(さっか ひろゆき)  背番号12 195センチ  一年生。

 PF 滝瀬竜二(たきせ りゅうじ) 背番号6 185センチ  三年生。

 C  菅谷安秀(すがや やすひで) 背番号11 182センチ。  二年生。


 礼和学園。ユニフォーム濃紺(青)


 PG 田中実(たなか まこと)   背番号7 172センチ  三年生。

 SG 水野正裕(みずの まさひろ) 背番号10 175センチ  三年生。

 SF 古谷有(ふるや ゆう)   背番号8 180センチ  三年生。

 PF 江藤明(えとう あきら)   背番号5 181センチ  三年生。

 C 小林悠二(こばやし ゆうじ) 背番号4 185センチ。  三年生。

キャプテン。


 山並は目が、礼和学園は小林がジャンパーとしてセンターサークル内に入った。


 滝瀬の闘志が顔に滲(にじ)み出ている。


 菅谷からはお調子者の顔が消えた。


 目(さっか)がチラッと洋を見た。


 洋は奥原を横目に見ると、ふっと笑顔になった。


 奥原だけが乱れた心のままコートに立っていた。


 審判がボールを上げた。


 インターハイ予選、初戦の幕開けだ。


 目、小林、双方の手がボールに伸びた。


 ジャンプボールを制したのは……


 目!


 ボールは洋のポジションのやや前方に落ちた、と思ったら、洋はもう敵ゴールに向かってドリブルをしていた。


 速い。礼和学園の誰もがそう思ったのも束(つか)の間、洋はあっと言う間にゴールにまで詰め寄り、ランニングシュートを決めた。まさに電光石火、ユニフォームに刻まれた稲妻を具現化したような動きであった。


 対する礼和はそんな洋のプレーにも動じることなく、淡々と攻撃に転じた。


 ボールが手とコートの間を行き来している。


 洋は礼和のポイントガードである田中がゆっくりとドリブルするのを、バックランしながら見ている。


 田中がセンターラインを越えた。


 フロントコートに10人が揃った。


 洋はさほど強い当たりはせず、いつも通り腰を落としてゴリラステップをするような体勢で一定の距離を保っている。


《何だ、こいつ?》


 田中は不断の試合からは感じ得られない妙な感覚に襲われた。だが、おそらくそれはこいつの見た目から来る印象が奇妙に感じられるだけで、深く考えるほどのことではない。


 田中が古谷にパスを出した。


 古谷が目と相対峙(あいたいじ)した。


 目も洋同様、マークしている古谷との距離を一定に保っている。


 古谷はドリブルすると見せ掛けて、小林にパスを出した。


 小林はパスを受け取ると、すかさずシュート体勢を見せたがそれはフェイント、エンドライン沿いのドリブルインを狙った。しかし、滝瀬に阻(はば)まれると無理はせずにボールを古谷に返した。


 古谷はすぐに田中に回した。


 田中は左にいる水野にパスを出した。


 水野は0度に向かってドリブル、奥原もすかさず追いかける。しかし、江藤がスクリーンを仕掛けて、奥原のディフェンスが遮(さえぎ)られた。水野はそのままドリブルを続行、ゴール下を抜けてバックシュートを放った。


「ザッ」


 礼和学園のベンチにいる控え全員が一斉(いっせい)に、


「ナイスシュート」


 と言った。


 コートにいる礼和学園の選手達はシュートが決まったと見ると、すぐに自陣へと戻った。


奥原がエンドラインの外に出て、洋にボールを出した。


 洋はボールを受け取ると、ゆっくりとドリブルを開始。


 すると、横に奥原が来て、


「ごめん」


 と申し訳なさそうに言った。


 しかし、洋は意に介さず、


「まだ始まったばかりじゃないですか」


 と、誰の耳にも届くくらいの大きな声で言った。


 礼和学園の選手達は洋が突然大声を上げたのに驚いたが、山並の選手達は洋がわざと大声を上げたことを何となくだが理解したようであった。


 そして、当の奥原はと言うと、一旦洋を見たものの、恥ずかしいから止めてくれと言わんばかりに視線をフロントコートに逸(そ)らした。


 トップの位置に着いた洋は目(さっか)にパスを出した。


 目(さっか)をマークしている古谷が身構えた。


 目はハイポストに向かってドリブルイン。


 古谷がすかさず止めに入る。


 水野は目(さっか)に対するディフェンスを意識して少し奥原から離れた。


 目、ドリブルを止(や)めてジャンプシュートの体勢。


 古谷が跳んだ。


 しかし、目のジャンプシュートはフェイント、バウンドパスを出した。


 その行き先は……


 奥原がパスを手にした。


「奥原さん、シュート」


 洋が叫んだ。


 しかし、奥原はまさか目(さっか)が自分にパスを出すとは夢にも思っていなかったので、お手玉をしてしまった。


 慌てて戻った水野はその勢いも手伝って、奥原への当たりを一気に強くした。


 意表を衝(つ)いたパスは生かされることなく、これではシュートどころかパスすら出せない。奥原の頭に5秒ルールが過(よぎ)った。


 5秒ルールとは、オフェンス側がボールを保持した状態から5秒以内に何らかのアクションを起こさなければならないというルールである。この場合、ボールを持った奥原がパスもドリブルもしないで5秒以上ボールを保持したら、5秒バイオレーションが宣告され、礼和のスローインで試合が再開されることになる。


「奥原さん」


 しかし、奥原には洋がパスをもらいに来た動きが見えていない。


 奥原は慌ててドリブルをした。しかし、その後どうすれば良いのか分からない。


 と、その時だった。


 水野の出した手がボールに当たり、奥原の手からボールが離れた。


 とにかく5秒ルールは避けなければという意識が余りにも強く働き、目(め)の前にいるディフェンダーですら、奥原は見ることが出来なくなっていた。


 水野がボールを奪った。


 と同時に田中が走り出した。


 洋がディフェンスに回った。が、水野をマークしつつ田中へのパスをも警戒しなければならない2対1では洋と雖(いえど)も分が悪い。


 水野がランニングシュートの体勢に入った。


 洋も同時に跳んだ。


 しかし、水野はシュートを打たず、ここで田中にパス、田中はあっさりとシュートを決めた。


 試合開始からまだほんの数分しか経っていないのに、礼和学園のベンチは早くも行け行けのムードである。


 山並は過去にベスト4の実績がある。しかも今大会はあの立志北翔に勝ったことから一躍優勝候補の一角を占めるまでになった。その山並からリードを奪っているのだから、彼等の喜びも頷(うなず)ける。


 反して、山並のベンチは水を打ったような静かさである。



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 お知らせ


 更新は毎週土曜日の14:00の予定でしたが、執筆の時間確保が難しくなってきたため更新は不定期になります。何卒ご了承下さい。


 * 2021年10月29日、PVが13.7万を超えました。本当にありがとうございます。次の更新が楽しみと思われるよう頑張りますので、ご支援よろしくお願いします。

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