第四章 インターハイ予選 一 超大型巨人
一日の締めであるホームルームが終わると、一人また一人と、山並のメンバーが視聴覚ルームへと集まって来た。
洋と鷹取が来たときには、既に清水と由美が来ていた。二人はパソコンとプロジェクターのセッティングをしていた。
由美と同じ七組の目(さっか)も窓際の席に座っていた。
今日の空模様は朝から曇天(どんてん)である。気温も下越地区大会のときより肌寒い。
目はぼんやり外の景色を見ているが、何を考えているのであろうか。
三年生はまだ誰も来ていなかった。二年生は同じクラスの笛吹と奥原の二人が来ていた。
「こんちは」
洋と鷹取が先輩に挨拶(あいさつ)をした。
「おっ、矢島。待ってたぞ」
「何ですか?」
「この新聞、知ってるか?」
笛吹にそう言われたので、洋は机の上に置かれてある新聞を手に取った。それは新潟の地方紙だった。
「いや、うちでは取ってないです」
「そこ、端っこ折ってる所」
「何かあるんですか?」
「いいから見てみろよ」
言われるままにそのページを捲(めく)ってみると、
「あっ、これって……」
と、鷹取が思わず声を上げた。
そこには、洋のノールックパスを目が受けてアリウープを決める瞬間の写真が掲載されていた。そう、波原の表情を見て、福田が自分に近づいているのを洋が察知した時のプレーである。
「へえ、この瞬間ってこんなふうになってたんだ。一年生コンビのスーパープレーって書いてある。すげえな、矢島」
しかし、鷹取の言葉に洋は照れるどころか、真剣な眼差しで記事を読んでいる。そして、最後はこう締め括(くく)られていた。
『山並は王者中越平安に勝てるのか。一ヶ月後が楽しみである』
洋は読み終えると、前後のページを捲(めく)って見た。
「どうした、嬉しくないのか?」
洋は新聞を畳んで机に置くと、
「この新聞、笛吹さんが持って来たんですか」
「それは俺のクラスにいる女子が持って来たんだ。今朝はこの話で持ちきりだったよ」
「目も見たんですよね」
「ああ」
「清水と羽田も?」
「みんな見たよ。でも、期待していたリアクションじゃないんだよなあ」
「清水」
「何?」
「中越は優勝したんだよな」
「もちろん。完璧な勝利だよ」
「そう言うことですよ、笛吹さん。中越は優勝しているのに、この新聞に載っていないなんて、おかしいじゃないですか」
「それはそうだが……しかし、喜ぶべき事に変わりはないだろ」
「お言葉ですが、笛吹さん」
「何だ、羽田」
「私も嬉しくないわけではないんです。本当は飛び上がって喜びたいくらいです。でも、中越の強さを目(ま)の当たりにした後では、やっぱり……」
「……奥原、去年の中越って、三年生のレギュラーが何人いたか覚えてるか」
「ええっと、確か三人じゃなかったかな。シューティングガード、スモールフォワード、パワーフォワード、……だったと思う」
「主力は結構抜けてるんだが……凄いのは進撃の巨人か、それとも杵鞭(きねむち)さんか?」
「杵鞭って誰ですか?」
「あれっ、矢島は知らないのか?」
「高校バスケット界じゃ超有名人だぜ」
と、奥原もこれにはちょっと驚きながら言った。
「えっ、そうなんですか?」
「そうだよ。バスケット雑誌の表紙を飾ったこともあるんだぜ」
「へえ」
「杵鞭って、ポイントガードの人ですよね」
由美が笛吹に問い掛けた。
「ああっ、そうだ」
由美は笛吹の返事を聞くと、
「……矢島」
と、少し強い口調で言った。
「何だよ」
「あんたが戦う相手、とんでもないよ。素人の私が見ても凄いと思う」
「そんなに?」
「そりゃあそうだよ。何てったって全日本代表だぜ」
「えっ?」
と、洋が大声を上げて驚いたところに、日下部と加賀美が入って来た。
「こんちは」
下級生達がそう挨拶をすると、日下部が、
「先生はまだなのか」
と、由美に尋ねた。
「もう少ししたら来ると思います」
そうして、いつしか全員揃ったところに、藤本が入って来た。
日下部が起立すると、他の者達も立ち上がって、
「こんちは」
と挨拶をした。
藤本はざっと見渡すと、
「全員揃ってるな」
「はい、大丈夫です」
と、日下部が答えた。
「それじゃあ……先に統一ジャージのお金を集める。羽田、みんなからお金を集めてくれないか」
と言うと、藤本は持って来たメッシュケースを由美に渡した。
集金が終わると、
「それでは、これから中越大会決勝のビデオを見る。大雑把な試合内容は清水と羽田から聞いてはいるが、ビデオを見るのは私もこれが初めてだ。全員、心して見るように」
藤本が言い終えると、羽田が立ち上がって壁のスイッチを押した。
部屋が暗くなると、清水がマウスをクリックした。
プロジェクターがスクリーンに映像を映し始めた。
中越平安の先発メンバーがベンチからコートへと向かい始めた。
「えっ?」
菅谷が思わず声を上げた。しかし、この時菅谷が抱いた思いは他のメンバー達にとっても同様の思いであった。
「先生、ちょっと止めてもらってもいいですか」
「清水」
と、藤本が言うと、清水はマウスをクリックした。スクリーンの映像が静止画像になった。
「どうした、カベ」
「目が言っていた黒人のハーフって、一人じゃないんですか?」
「羽田の話だと、どうやら双子のようだ」
室内が一瞬静まり返った。
「おい、目」
驚きと興奮が入り交じった菅谷の声が静寂(せいじゃく)を破った。
「何すか」
「お前、どうして双子のことを言わなかったんだよ?」
「言いましたよ」
「言ってねえよ。おい、矢島、お前聞いたか」
菅谷は目(さっか)から洋に質問を移した。
「いや、聞いてないです」
「先に知っていたら、どうにかなると言う事ではない。進撃の巨人は二人いる。それが全てだ」
と言うと、藤本は清水に、
「続けろ」
とだけ言った。
ビデオが終わると、羽田が照明のスイッチを入れるために立ち上がった。
部屋に明かりが灯(とも)されると、皆一様に難しい顔をしていた。別(わ)けても、洋と目(さっか)の表情はビデオを見る前と比べると、明らかに目つきが変わっていた。
「まず、中越について語る前に、先日の立志戦についておさらいをしたいと思う。カベ、立志の戦い方をお前はどう見た?」
「今までの戦い方とはちょっと違ったと言うのか、戦術が多彩になっていたと思います」
「笛吹、お前はどう考える?」
「日下部さんの言うとおりだと思います」
「具体的に言うと」
「福田さんが矢島を徹底マークしたのは、ボックスワンだと思います。それから1―3―1のゾーンプレスは立志の得意とするマッチアップゾーンの応用のように見えました」
「矢島はどうだ?」
「うーん……自分がボックスワンの対象になっている印象は無かったです。とにかくコートにいる間は福田さんのマークはきつかったので。1―3―1は明らかに変わったと思いましたけど」
「ボックスワンはおそらく対杵鞭用に練られた作戦だと思う」
藤本がゆっくりと言った。
「知ってのとおり、杵鞭は全日本代表のポイントガードだ。奴を抑えなければ勝利は見込めない。それを前回の試合で使ったのは、実践でどの程度使えるのか、それを試したかったのか、それとも矢島を抑えなければ勝てないと踏んでの思わぬ誤算だったのかは分からない。何(いず)れにせよ、立志がボックスワンという戦術を使えるのは分かった。中越もあの試合を見て、俺と同様の考えを抱いているだろう」
「えっ、中越が?」
「どうした、矢島」
「いや、何で中越が知ってるんだろうって……」
「中越の偵察が来てただろ」
菅谷が言うと、
「えっ、そうなんですか」
「観客席にビデオを持ったおじさんが居ただろ」
「……あっ……でも、菅谷さんは何度も見てるから知ってるんですよ。俺は初めてだったし……」
「杵鞭の事と言い、偵察の事と言い、こんな所は妙にとぼけてるよな」
と、笛吹が少し笑いながら言った。
「では、話を続ける。立志のボックスワンは得点源となるエースを抑えるのではなく、試合の流れをコントロールするポイントガードを徹底的に抑え、敵のリズムを狂わせることを目的としている。守備によって敵を陥落(かんらく)させる戦術と言える。しかし、今回それに惑わされることなく自分達のペースを保てたのは、フルコートプレスの副産物、つまり早田をリードオフマンにしたことだ」
山並が神代戦の切り札にしようとしているフルコートプレスの陣形は相手に対して早田が中央、右に目、左に洋というポジションである。この練習で早田は出来る限りドリブルをして来る相手を洋のいる方に誘導するよう心掛けている。なぜなら、洋はスティールを得意としているからだ。ドリブルしている間はどんなに背が高い相手であっても、ボールは低い位置にある。ダブルチームで追い込めば、背の高さに関係なく、洋がスティールする確率は高くなる。その場合、洋がドリブルをしてボールを運ぶよりもパスを出した方が絶対に早く敵リングまで持って行ける。しかし、必ずしも自分達に都合の良いように出来るわけではない。フルコートプレスを突破され、逆に得点を許したら、攻守が入れ替わり、今度は神代のプレスを受けることになる。そうなった時、スローインの受け手となるのはまず洋である可能性が高い。洋にはドリブルでディフェンスを突破する力があるが、相手は神代のダブルチームである。ターンオーバーを許してしまうことは十分あり得るし、実際過去にその苦い経験がある。藤本はプレスを仕掛けるだけでなく、仕掛けられた時の対処法も考えた。それが早田をリードオフマンにすることであった。ボール運びを洋ばかりに頼るという事は、洋にボールが集中するということでもある。それでは相手の守りを楽にさせているようなものだ。フルコートプレスを仕掛けられた時は、洋だけなく状況に応じては早田にボールを集める。早田には脚力があるから、一気に相手ゴールに攻め入る事が出来るし、フリーになった洋を囮(おとり)に使うことも出来る。ボックワンを使うことによって、洋の動きを封じるはずが、逆に守備の堅い福田がチームから切り離され、立志は山並の速攻を許してしまうことになった。結果論ではあるが、早田の副産物は立志北翔戦においても山並にとって非常に大きな戦術となった。
「次に仕掛けてきた1―3―1は素早く攻撃に転ずることを強く意識した守備陣形と言える。その証拠がトップに野上を据えたことだ。彼は得点能力が高い。速攻だけでなくマンツーマンでの駆け引きに持ち込まれても、得点出来る能力を持っている。その上、守備もいい。左右に振られても、バランスを崩すことなく、相手に食らいついてくる。ただ、ボックスワン、1―3―1、どちらもまだ発展途上にあると、俺は思っている。立志が戦術の精度を上げてきたら大変厄介だが、例年のことを考えれば、トーナメント戦の組み合わせは、おそらく準決勝で中越と立志が対戦することになるだろう。そう願いたい……さて、その中越だが、加賀美、お前ならどのように対応する?」
「……目は進撃の巨人と言いましたが、あれはどう見ても超大型巨人です」
一瞬、場が静まり返った。藤本ですら目(め)が点になった。菅谷がプッと吹き出した。
「何か可笑(おか)しいこと言ったか?」
「いや、そういう訳では……」
と言いつつも、菅谷は必死で笑いを堪(こら)えていた。
「加賀美、お前はくそ真面目に言ったんだよな」
「その通りです。何か変ですか」
「いや、お前らしいと思ったまでだ……確かに、あれは超大型巨人だ。しかも二人。まさにツインタワーだ」
「あっ、なるほど」
ボソッと答えた加賀美に、菅谷がまた笑い出しそうになった。
「目、お前が対戦したときは、あの二人どのくらいあった?」
「身長ですか?2メートルくらいじゃないですか」
「清水の話だと、今は2メートル6センチあるそうだ。加賀美が196センチだから、ちょうど10センチの差だ。この差は大きい。大き過ぎる。ただ、目と山添の動きと比べれば、それほど俊敏ではない。狙うとすれば、それしか無い」
「でも先生」
藤本は笛吹の顔を見た。
「スモールフォワードの8番は、攻守の展開を見る限りでは、去年と比べたら実力はちょっと劣ると思います。おそらく目はそいつとマンツーマンになると思いますので、1ON1なら目は間違いなく勝てると思います」
「笛吹の見方は正しいと思う。しかし、シューティングガードの7番は、3ポイントこそ無いものの、トータルでは今年の方が上だと思える。その理由は、杵鞭を起点としたあの3人の連係プレー、特に速攻の速さは去年の中越には無かったものだ」
「ツインタワーのリバウンド力が物を言っているってことですよね」
加賀美の問いに、藤本は、
「その通りだ」
と答えた。しかし、重要なのはそれではないと言わんばかりに、
「だが、そのツインタワーも含めた攻守を上手く引き出しているのが、杵鞭だ。技術だけでなく、あの視野の広さは高校レベルを超えている。全く白眼の持ち主ではないかと思えるほどだ」
藤本は時々漫画を用いて言わんとすることを譬(たと)えることがある。藤本自身、漫画が好きなこともあるようだが、今時の生徒と共通認識を持つためには、漫画が有効であるとも考えているようだ。
「でも先生、視野の広さなら矢島も負けてはいないと思いますが……」
「笛吹がそう言うのも分かる。おそらく、他のみんなもそう思っているんだろう。だが、仮に矢島が杵鞭と同等の才能を持っていたとしても、経験値が違う。これは絶対の差だ。矢島、お前はどう考える?」
「いや、どうって言われても……」
「凄いと思ったか?」
「それはもう……」
「勝てないと思ったか?」
「いや、それは……」
洋の返事を聞いて、藤本はフッと笑った。
「大会までは、対中越戦に特化した練習を行う。奥原」
「はい」
「外周をするので、お前が作った名簿を後で羽田に渡しておけ」
これを聞くと、メンバーから何とも言えないざわめきと溜息が起こった。
「先生」
「何だ」
「じゃあ、僕も走るんです……よね」
「当たり前だ。うちには羽田という立派なマネージャーがいるんだ」
これまでタイムを計るのは奥原の仕事だった。だから、外周の時は堂々と練習を休むことが出来た。それがもう出来ない。メンバーの中で一番落胆(らくたん)したのは、きっと奥原であるに違いない。
「明日から中間テストの休みに入る。勉強はしっかりしておけ。ただし、30分程度の自主練はするように。腹筋やスクワットで基礎体力を落とさないようにしておくこと。それから、自分に必要と思われるイメージトレーニングもしておくこと。いいな」
「はい」
「では……」
「あっ、先生」
「何だ、鷹取」
「……いや、何でも無いです。すみません」
「そうか。では、解散」
藤本がそう言うと、皆立ち上がった。
羽田がカーテンを開けた。
日の傾き掛けた弱い光が部屋を黄昏に包み込んだ。
***********************************************************************************
お知らせ
今日から『サブマリン 第四章 インターハイ予選』の連載を開始します。
連載に対するご意見を頂いて考えた結果、文章量を大幅に増やすことにしました。一回の投稿につき、四百字詰め原稿用紙でおよそ十四~二十枚程度にするつもりです。
これは今までの2.5~3倍になります。
ただし、そうなりますと、週一の連載は厳しくなりますので、連載の頻度を隔週にします。
働きながら執筆している上に、何分筆が遅いものですから、その点はご了承頂ければと思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます