第四章 インターハイ予選 三 勉強会

 中越平安のビデオを見た翌日、洋はいつもより三十分早く家を出た。


 今日から中間テストの期間に入る。試験勉強期間が土日を含めて七日間、試験日が三日間。最終日が終われば、練習は再開されるので、中間テストによる部活の休止は実質九日間となる。


 しかし、洋の早出は中間テストによるものではない。


 昨日一昨日(きのうおととい)と、洋は正昭からあることを教わった。それを一日も早く習得するために、洋は練習へと向かったのだ。たった一人の朝練である。


 しかし、試験期間中に体育館で練習をすれば、先生から小言をもらうことになる。洋はどんな練習をするつもりなのであろうか。


 朝練後、何事も無かったかのように教室に向かうと、廊下に二人の女子生徒が立っていた。よく見ると、窓から教室の中を覗いている。


 洋は何だろうと思いつつも、やはり気になるらしく教室に入る間際ちらっと二人を見た。胸ポケットに付いている学年章がⅢであった。


夏帆は洋の席に座って鷹取と何やら話をしていた。しかし洋に気がつくと、


「おはよう」


 と、溌剌(はつらつ)とした笑顔を見せた。洋も柔和(にゅうわ)な笑顔を添えて、


「おはよう」


 と言った。


 夏帆は今とても爽やかで充実した気持ちでいる。一昨日、洋と話し合えたことが夏帆を夏帆の信じる未来に導いている。


「あっ、ごめんね」


 そう言って、夏帆は立ち上がると、


「鷹取、あれ何?」


 と言いながら、洋は彼女達に見られないように指を指(さ)した。


「そうなんだよ。俺もさっきから気になって、水家と何だろうって話してるんだけど」


「三年生が何の用なんだろう?」


 洋はそう言いながらスクールバッグとリュックを床に置くと、急に教室の引き戸が開いて、


「矢島君、ちょっといい?」


 と、一人の女子が周囲を憚(はばか)るように声を掛けてきた。


 鷹取と夏帆は彼女達の待ち人が洋であることを知ると、二人は驚いた表情で洋を見た。


「いや、知らないよ」


 洋自身もまさか自分を待っていたとは夢にも思っていなかったので、声を掛けられてもまだ自分を呼んでいるとは思えなかった。


「矢島君」


 そう言って、彼女は手招きをした。


「あっ、はい」


 相手は三年生なので、洋は言われるとおりにした。


 鷹取は洋の後ろ姿を見つつ尚も驚いた顔を見せながら、


「上級生なのに、何で矢島のことを知ってるんだろう?」


 と、独り言のように呟(つぶや)くと、急に、


「あっ」


 と声を上げた。


「どうしたの」


「新聞で知ったのかなあ?」


「新聞?」


「俺も昨日知ったんだけど、地方紙に矢島と目のプレーが載ってたんだよ。あれは俺が見てもカッコイイと思ったからな」


 と言うと、鷹取は《あっ》と思い、チラッと夏帆を見た。


 夏帆の視線の先、そこには開(あ)いている窓越しに二人の女子が何やら洋に話しているのが見える。


 と、突然、教室の引き戸がガラガラッと開いた。


 そこに立っていたのは由美だった。


 由美はすぐそばに洋がいることに気がつかず、そのまま急いで教室に入った。


「あっ、いた。矢島は今どこにいる?」


 由美は夏帆に向かって尋ねたのだが、


「矢島なら、ほら、そこ」


 と言ったのは鷹取だった。


 由美は振り向くと、


「……あっ、やっぱり」


 と言った。


「どうしたの?」


 夏帆が尋ねると、


「うちのクラスに、上級生が目(さっか)見たさに五~六人来てて……」


「それ、新聞だろ」


「やっぱりそうだよね。だから、ひょっとしたら矢島の所にも来てるんじゃないかって……」


 と、その時であった。


「僕には好きな人がいます」


 と、きっぱりとそして落ち着き払った洋の声が聞こえた。


 三人は思わず窓の外を見た。


 洋が三年生の女子に対して頭を下げていた。


 洋を見ていた夏帆の顔が急激に赤くなった。


 鷹取と由美が顔を見合わせた。二人は急にくすくす笑い出した。



 すごすごと去って行く彼女達を余所(よそ)に、洋が教室内に戻って来た。


「お疲れ」


 鷹取がニヤニヤ笑いながら言うと、洋はそれに対する返事はしないで、


「あれっ、何で羽田がいるの」


 と言った。


「まあ……ねっ」


 と、由美は夏帆の方に振り向いて相づちを求めた。


 夏帆は何も言わず、ただ頷いて見せた。


 すると、


「あっ、そうじゃないよ。私、皆を誘いに来たんだ」


 と、何かを思い出したように、由美が言った。


「あのさ、今度の週末、勉強会しない?」


「あっ、そうね。それいい」


 と、夏帆がその場を取り繕(つくろ)うように言った。


「夏帆はOK。鷹取はどう?」


「ああ、いいけど、どこでするの?図書館?」


「矢島ん家(ち)」


「はあ?」


「いいでしょ?」


「何で俺ん家(ち)ですんだよ」


「おばさんは遊びにおいでって言ってくれたよ」


「いつ」


「車の中で」


「言ってないよ」


「じゃあ、おばさんに聞いてみてよ」


「おかしいだろ」


「何でおかしいのよ、友達の家に集まって勉強会することが」


「そう言うことじゃなくて」


「おばさん、夏帆に凄く会いたがっていたし……」


それを聞くと、洋は夏帆と待ち合わせた日の、信子との会話を思い出した。これでは言い返せない。


 由美が夏帆に自分の笑顔を殊更(ことさら)強調して見せた。


 夏帆はそれを見て、由美の意図を何となく察した。


「目もOKだよ」


「あいつが……」


「矢島ん家まで自転車漕ぐのは良いトレーニングなるからだって」


「それは良い考えだな」


「ねっ、鷹取もそう思うでしょ」


「お前等、外堀から埋めていくな」


「矢島は土曜と日曜、どっちがいい?」


「どっちって」


「そう言えば、日曜日はスマホ買いに行くって言ってたよね」


「あっ、そうなんだ。じゃあ、土曜で決まりね」


「おい」


「それじゃあ、おばさんによろしく言っておいてね」


 と言うと、由美は笑って教室から出て行った。


「……もう勝手に決めるなよ。こっちだって都合があるんだからさ」


「でも、本当にいいの?」


「おばさんパートがあるから。でも、一応聞いてみるよ」


「しかし、女のパワーってすげえな。完全に寄り切られたよな」


 と言うと、鷹取は笑った。


 洋は全くだと言わんばかりに溜息をついた。


 夏帆は、迷惑を掛けたのではと思いつつも、しかし洋の家に行けるのはやはり嬉しいのだろう、夏帆の洋に向ける眼差しはとても幸せに満ち満ちていた。



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お知らせ


次回は12月19日にアップする予定です。

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