第四章 インターハイ予選 十三 山並VS礼和学園 第二クォーター ―トマホークダンク―
この場面、洋は田中をディフェンスするためにリング下まで来ていた。目(さっか)はリバウンドに向かっていた。となれば、トップにいるのは奥原のみ。試合展開を考えれば逆速攻も十分あり得る。実際、リバウンドを取ったのは目であった。この時点で得点は約束されたようなものだった。
しかし、奥原は走っていなかった。この状況になれば体が勝手に反応するくらいの練習はしてきたはずなのに、足からまるで根が生えていたかのように、奥原はその場に佇(たたず)んでいた。
「奥原さん、来ますよ」
洋が大声で言った。
スローインを終えた田中と水野がフロントコートに入りつつある。
奥原はポカンと口を半開きにしたまま、水野のマークに付いた。
それを見た田中は、すかさず水野にパス。
水野はパスを受けるやいなや、ツードリブルをしてジャンプシュート。これが見事に決まった。
23対18。
礼和ベンチが一斉に、
「ナイスシュート」
と、水野に声援を送った。
山添が少しイライラし始めた。左足が小刻みに貧乏揺すりをしている。
笛吹は何も言わず眉間(みけん)に少し皺(しわ)を寄せた。
洋を除いた山並のメンバーがフロントコートに入り、それぞれのポジションに付いた。
洋はセンターラインを越える直前でその全体を見渡した。
第二クォーター開始前、洋は藤本にスローペースで構わないかと尋ねたが、それは24秒をいかに使うかということを考えていたからであった。
理由は二つある。一つはスタミナである。無論これには洋自身のスタミナと言う意味もあるが、それを上回る問題がここにある。それが奥原である。奥原は洋よりもスタミナがない。藤本は最後まで奥原を使うと宣言した以上、奥原は試合終了のホイッスルが鳴るまで確実にコートの上に立っている。今のままのペースで試合を行えば、奥原のスタミナは間違いなく最後まで持たない。
もう一つは藤本の指示である。菅谷を起点と言ったその言葉の裏にはローポスト範囲内での連係プレーを重視せよと言う意味が隠されていると洋は捉(とら)えている。なぜなら、菅谷には優れた個人技がない、と同時に目(さっか)の個人技は封印されたに等しい状況にあるからだ。
では、どうする?
パス回しは緩急を付けた方が良い。ただ早くパスを回すだけでは礼和の隙を突くことは出来ない。むしろ、単調なパス回しはボールをカットされ速攻を仕掛けられる危険性がある。それと同様に、ローポストを意識したインサイド攻撃に山並が固執(こしつ)すれば、攻撃の選択肢を自ら減らすことになる。それは単調な攻撃に陥るということである。
その上、さっきはスローペースから一転、田中一個人(いちこじん)が早い攻撃を仕掛けてきた。セットオフェンスと速攻を織り交ぜた緩急のある攻撃パターンは山並の守備連係を崩すかもしれない。そうなれば、攻撃のリズムまで狂ってしまう。
目のポストプレーも考えたが、そうすると今度は菅谷を起点とした攻撃の意図に反する。
洋の頭の中は、藤本の指示通りに試合を組み立てるにはどうすれば良いのか、それを考えるだけで手一杯であったのに、ここに来て奥原の精神状態である。追い込まれた精神状態は想像以上に体力を削(けず)る。
《どうする?》
思案に暮れて、胸の内でそう呟いた時だった。
「奥原さん、頑張って下さい」
と、立花が声を掛けた。
洋は奥原を見た。
しかし、奥原は立花に気がつくことなく、ただ無表情に大きく口を開けて肩で息をしている。
はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……
奥原の様子を見ているだけで、その苦しい呼吸が脳裏の奥まで聞こえてきそうだ。
とその時であった。記憶の奥底から、何かが聞こえてきた。
《……、……、矢島、頑張れ》
洋はハッと息を呑んだ。
《しまった》
これはもう洋が夏帆に話したことであるが、中学時代、練習試合をするために、隣県(りんけん)の中学にまで遠征に出かけたことがあった。その時洋は二年生、控えの控えの存在であり、チーム自体は強くなりかけていた時だった。試合は終始リードした展開だった。点差もそこそこあったし、監督をしていた先生も多少気持ちの余裕が生まれたのだろう、洋を試合に出した。ところが、試合慣れしていない洋は皆の足を大きく引っ張り、せっかくの勝ち試合を負け試合にしてしまった。洋に残ったのは負い目と逃げ出したい気持ちと先生から言われた『お前は二軍なんだ』という言葉だけであった。
奥原は諦(あきら)めたのだ。第二クォーターに入って妙に落ち着いたプレーをしていたのは、冷静な判断が出来るようになったからではない。平常心を取り戻したからではない。試合に勝ちたい、皆のために頑張りたいという意志と意欲が消え失せた結果だったのだ。勝利へ向かうために藻掻(もが)き、足掻(あが)き、苦しむ。そんな茨(いばら)の道を奥原は捨てたのだ。
新しいユニフォームを着て練習試合をした時も、村上商業戦の時も、緊張はあったかもしれない。しかし奥原なりに頑張ってプレーをしていた。だから、この試合も自信を持ってプレー出来ると洋は勝手に思い込んでいた。
《奥原さん!》
洋は心の中で叫んだ。
しかし、試合には勝たなければならない。そのためには心を鬼にして今の奥原を切り捨てなければならない。しかし、だからこそ奥原にはチャンスをあげたい。何としても自分で自分の殻を破ってもらいたい。しかし、試合は止まってくれない。
洋はジレンマに陥(おちい)った。
と、その時であった。
目(さっか)が物凄い目つきで洋を見ている。
洋にはその凄みの意味が分からなかった。
しかし……
《任せた》
洋は胸の内でそう叫ぶと、センターラインを超えた瞬間、目(め)の覚めるようなパスを目(さっか)に放った。
目がパスを受け取った。
古谷が両手を広げて腰を落とした。
やや前屈(まえかが)みになった目が物凄い形相で古谷を見ている。
《えっ?》
古谷がそう感じたときには、目は既に古谷の脇を抜いていた。ましてや、小林がカバーに入れることなどあろうはずがない。
目の足がコートを蹴った。
ボールを持った右手が天井に届くのではないかと思えるくらいに伸びた。
上半身が大きく反(そ)った。
「バーン!」
トマホークダンク!
場内からどよめきが起こった。
ボールはコートへと落ちていくと、転々と跳ねながら転がって行った。
奥原がリングを見つめたままぼうっと突っ立っている。
そこへ、目(さっか)がゆっくりと走りながら近寄って来た。
「あいつら、黙らせましょう」
そう言うと、目はそのまま自陣へと戻って行った。
背番号12を見つめる奥原。
しかし、この時目の後ろ姿を見ていたのは何も奥原だけではない。洋もまたそうであった。
目は確かに凄い選手であるが、決して順風満帆なバスケット生活を送ってきたわけではない。むしろ凄い選手であるが故に、洋や奥原とはまた違った日の当たらない道を彼もまた歩んできた。
《自分一人で悩むことはない。あの時とは違う。違うんだ》
洋はそう自分に言い聞かせると、奥原もきっと何とかなると、光明を見い出そうとした。
一方、対する礼和はこれまで何が起ころうとも顔色ひとつ変えることなく、淡々と試合を進めてきた。それが彼等のチームとしてのリズムであった。しかし、目の一撃がそれに罅(ひび)を入れた。シュートを入れられた直後の礼和の対応が明らかに遅かった。
ブザーが鳴った。
どうやら、礼和がタイムアウトを取ったようだ。
山並の選手もベンチに戻って来た。
藤本は立ち上がると、
「菅谷、さっきのカットインは良かったぞ。フリーになれるタイミングを常に考えろ。いいな」
「はい」
「滝瀬も積極的にシュートを狙っていけ」
「はい」
「目」
「はい」
「リバウンドを頼む」
「後半もですか」
「いや、第二クォーターだけでいい」
「分かりました」
藤本はチラッと電光表示器を見た。
得点経過は25対18。
《得点的にはあり得るが、それでもまだ早い》
藤本はそう思うと、
「第二クォーターは今のペースで構わない。後はお前に任せる」
と言って、藤本は洋を見た。
「はい」
タイムアウト終了のブザーが鳴った。
礼和の選手がコートへと戻っていく。
藤本は南雲を見た。
南雲は立ったままコートに散った選手達を見ていた。
身長はおそらく175センチくらい。それから考えれば、かつてのポジションはポイントガートかシューティングガードと思われる。年齢は藤本と然程(さほど)変わらないように見える。
「先生」
「何だ?」
「何か気になるんですか」
由美は藤本に尋ねたが、
「まあ、ちょっとな」
と、言っただけであった。
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