第四章 インターハイ予選 十三 山並VS礼和学園 第二クォーター ―逃げたい―
第一クォーターの終了を知らせるブザーが体育館内に響き渡った。
電光表示器が示す得点は山並が20点、礼和学園が14点。
試合展開は、終始スローペースで行われた。その理由としては、礼和が速攻よりもセットオフェンスに重点を置いたことが挙げられるが、奥原がプレーヤーとして使えなかった、事実上山並が4人でプレーしていたことも大きな理由であった。ただ、パスを出す主な先を奥原から滝瀬に切り替えてから、攻撃のリズムが良くなり、地力(じりき)に勝る山並が逆転で終了のホイッスルを迎えた。
この第一クォーター、ある意味、奥原が主役であった。と言うのも、礼和は一度タイムアウトを取った。その後(ご)、奥原に的を絞った攻撃を徹底するようになった。序盤のプレー内容、周囲の奥原に対する激励を見れば、奥原が穴であるのは容易に理解出来る。
対して、山並側から見た第一クォーターを総括すると、滝瀬を中心にした攻撃による得点と徹底的に奥原を攻撃されたことによる失点が相殺、リードの6点はその他の得点と言ったところである。
コート上にいる選手達がそれぞれのベンチへと戻って行く。
ベンチにいた山並メンバーは全員立ち上がり選手達を迎えた。
「奥原」
笛吹はそう呼び掛けると、二・三度奥原の肩を軽く叩いた。
菅谷は山添と右手でハイタッチをした。
滝瀬は、
「ナイスファイト」
と声を掛けた日下部に対して、
「まだまだ、これからだ」
と、語気強く言った。
第一クォーターと第二クォーターのインターバルは2分。10分間フルに動けば体力の消耗も激しい。この2分はとても貴重な休息である。しかしそれと同時に、監督が指示を出す有効な場でもある。第一クォーターの戦況を分析して第二クォーターに繋げるのが監督としての仕事である。
奥原はともかく、滝瀬は打倒加賀美を内に秘めてリバウンドを何度ももぎ取り、洋からの効果的なパスもあって得点も重ねた。前半の重苦しい雰囲気を、滝瀬のプレーが明らかに山並を上昇気流へと乗せた。滝瀬には何らかの賞賛があって然(しか)るべきだった。
しかし、藤本の口から出た言葉は意外なものだった。
「よく鍛えられている」
藤本の第一声の意味がメンバーにはよく分からなかった。
「この試合を見る限り、個々人の能力はうちが上だ。しかし、組織力という点においてはよく鍛えられている。個人技の不足を連携でカバーしている。そんな印象を受けた」
藤本は言葉を選んで、そうメンバーに言った。
「第二クォーターも引き続きこのメンバーで行く。菅谷」
「はい」
「次はお前を起点に攻撃を仕掛けていく」
「はい」
「滝瀬と目(さっか)は菅谷のフォロー。それから、目」
「はい」
「個人技は出来るだけセーブしろ」
「もうセーブしてます」
「矢島、お前は菅谷を意識したパスを考えろ。直接パスが無理と判断したら、滝瀬と目に回せ。いいな」
「はい」
そして、藤本は最後に全員を見遣ると、
「第二クォーター、礼和は速攻も仕掛けてくるかもしれない。そのことも頭に入れておけ」
「はい」
最後はベンチにいるメンバーも含め全員で返事をした。
ただ、俯(うつむ)き加減の奥原は返事をしたのかどうか分からなかった。
第二クォーター開始のブザーが鳴った。
「先生」
「何だ、矢島」
「スローペースでいいですよね」
「お前に任せる」
「はい」
そう返事をすると、洋もコートに向かった。
「羽田」
「はい」
「礼和の監督は何という名前だ?」
そう言われると、由美はスコアブックを見て、
「これ、ミナミグモでいいんですか」
すると、日下部が、
「南雲(なぐも)って読むんだよ」
と言った。
「あっ、すみません」
由美の顔が見る見るうちに赤くなった。
第二クォーターは礼和のスローインから試合が始まる。コートでは主審が水野にボールを渡したところだった。
藤本はそれを見ると椅子に座り、由美にも座るように促(うなが)した。
「下の名前は?」
「あっ、ええっと、誠二です」
「南雲誠二」
藤本はそう呟くと、礼和のベンチを見た。座ったままでは南雲は見えなかった。
《聞き覚えはない。しかし、似ている》
藤本はコートに目を戻した。
藤本から一番離れた所に座っている立花がふと隣に座っている清水を見た。
清水は試合に意識を向けている。唯一滝瀬の本音を知る清水はどうしても滝瀬のことが気掛かりでならない。
「清水」
「何?」
清水は試合を見ながら返事をした。
「さっき、奥原さんは何も言われなかったな」
「えっ、何が?」
「……いや、何でもない」
すると鷹取が、
「それは後で考えよう」
と立花を見て言った。
意外とも言える鷹取からの返事に、立花は少し驚いた。しかしこの時、なぜか分からないが由美から聞いた鷹取の味利きをふと思い出した。勉強会の時に見せたあれである。
鷹取は体格がガッチリとしている。風貌はどちらかと言えば硬派である。しかし、見た目とは裏腹によく喋(しゃべ)る。そのアンバランスな側面ばかりで周囲は鷹取を見がちである。それは立花も例外ではない。しかし、いくら滝瀬が気掛かりだとは言え、清水でさえ気に留めなかった些細な事を、鷹取はおそらく立花と同じ視点で見ていたと思われる。鷹取は誰よりも繊細なのかもしれない。
立花はそれを直感した。だから、鷹取の味利きをこのタイミングで思い出したのかもしれない。
既に試合が始まっているコート上では、江藤が0度の位置から数歩トップ側に寄ったところだった。
ドリブルをしながらサイドラインに寄った田中は江藤にパスをしようとするが、洋のディフェンスがそれをさせない。
田中はフリースローラインの位置に来た古谷にパスを出した。
目が身構える。
古谷はペイントエリアの中を見ながら、目のしつこい守備を躱(かわ)そうと右に左に体の向きを変えている。
その一瞬、水野がローポストに入った。
古谷は体勢を低くして目のディフェンスを強引に掻い潜(くぐ)り、アンダーパスを出した。
パスは水野の正面から少しずれたものの、水野は体勢を立て直すと、その場でジャンプ、シュートを放った。
奥原も当然ディフェンスに向かった。しかし、完全に抜かれただけでなく、後方から伸ばした奥原の取って付けたようなディフェンスの手が届くわけもなく、ボールは軽やかにネットを揺らした。
奥原がエンドラインの外に出て、洋にスローインをした。
藤本が試合を凝視している。
洋はドリブルをしながら、チラッと奥原を見た。
奥原は洋を見ることなく真っ直ぐフロントコートへと向かっている。今のところ第一クォーターで見られたおどおどした感じは見受けられない。しかし、それとは入れ替わった何か妙な落ち着きが見て取れた。インターバルが奥原に平常心を取り戻させたのであろうか。
洋はそんな雰囲気に何か得たいの知れない共感を感じた。
《何だろう、この感じ?》
洋はゆっくりとフロントコートに入った。
水野はやや距離を置いて奥原をマーク。
洋はすぐにはパスを出さず、全体を見ている。頃合いを見計らうと、洋はここで奥原にパスを出した。
奥原がボールを持った。
水野が両手を左右に広げてディフェンス。
奥原は洋にボールを戻すことなく、ピボットを使って、攻めのディフェンスを回避、サイドラインに寄った菅谷にアンダーパスを出した。
攻撃の起点と指示されていた菅谷は勇んでリングに近づこうとするが、江藤もまた執拗(しつよう)なディフェンスで菅谷を自由にさせない。
と、そこへ、滝瀬がエンドライン沿いにリング下に入って来た。
しかし、菅谷は江藤のディフェンスを破れない。
洋がサイドラインに寄った。
菅谷は洋にボールを返した。
洋はドリブルしながらゆっくりトップに戻った、と思ったら、いきなり加速、目の方へ向かった。
それを見た目は洋とポジションチェンジ、トップへ向かった。
しかし、洋の視線は菅谷へ放たれた。
菅谷がリング下に向かった。
と、そこへ、洋からのパス。
虚(きょ)を衝(つ)かれた江藤は菅谷の背後からシュートカットに向かうも、菅谷はそれを掻(か)い潜(くぐ)りシュートを決めた。しかも、審判は江藤の手が菅谷の手に触れたと判断、それはバスケットカウントとなった。
山並ベンチから、
「おおっ」
と驚きの喚声が起こった。
「菅谷がカットイン……」
「矢島のパスによく反応したな」
早田の独り言に加賀美が答えた。
菅谷はフリースローも決めて、これで得点は23対16、その差を7点に広げた。
藤本がコートを凝視している。
水野がエンドラインの外に出た。
田中が水野からのスローインを受け取った。
そして、これまでなら、ここからゆっくりしたペースでボール運びをしていたはずが……
山並の各選手はまだ自分のポジションに付いていない。
意表を突かれた……しかしその中にあって洋だけは田中をピタッとマークしていた。
田中は洋を振り切ろうと加速、そのまま一気にリングへ向かった。
意外な攻撃に山並は誰もカバーに入ることが出来ず、結果、洋と田中の1ON1となった。
ペイントエリアが迫った。
田中がステップを踏んだ。
洋もほぼ同じタイミングで跳んだ。しかし、リングに対してやや右側から入ってきた田中よりも内側に位置する洋は、右利きである田中のシュートをより近い手でカットするために田中と同じく右足で一歩目のステップを踏み、右手でシュートカットをしようとした。左利きの洋には明らかに不利な体勢である。
だが、シュートは運良くバックボードに弾(はじ)かれた。
弾(はず)んだボールが落ちてきた。
リバウンドを制したのは……
目!
「奥原さん」
目はそう叫ぶと、ボールを無人のフロントコートへ放った。
しかし、そこには誰も走っておらず、ボールだけが転々と転がって行った。
ベンチにいる山並のメンバーの誰もが信じられない驚きで無人のフロントコートを見ていた。
ただ、藤本の顔色だけは全く変わっていなかった。
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