第四章 インターハイ予選 十五 山並VS礼和学園 第四クォーター ―ゼロステップ―
洋がドリブルをしながらフロントコートへと向かっていく。
そうして、センターラインのやや手前に来たところで、洋はまず奥原を見て、それから目(さっか)に目(め)を向けた。
《んっ?》
洋は目(さっか)をマークしている者が古谷から富澤に替わっていることに気がついた。
洋の目(め)が条件反射の如く動いた。
山添には古谷がマークしている。
当然指示を受けての交替だろうが、この展開を目はどう受け止めているのだろうか。
洋が今一度奥原を見た。
《こいつ、何笑ってやがる》
洋の笑みが相当癇(かん)に障(さわ)ったようだ。水野はもう後先(あとさき)見ずに、洋に向かって猛然とダッシュした。
洋の目に、水野がズームアップして来る。
ダブルチームになるのか?
一瞬、驚く洋。
が……
正面衝突するのではないかと思われるほど接近した、まさにその瞬間を狙って、洋は左手から右手にフロントチェンジ、ボールが右手に収まったと同時にロールターン、一気に抜きに掛かった。
しまった!
そう思った時には、既に洋のユニフォームを摑(つか)んでいた。
審判がホイッスルを吹いた。手首を叩くジェスチャーを見せた。
水野はイリーガルユースオブハンズを取られた。
南雲が、
「田中、行けるか?」
と声を掛けた。
「大丈夫です」
「水野と交替だ」
田中はそう言われると、急いでテーブルオフィシャルズの所に行った。
一方、山並ベンチでは、
「……村上の時と言い、立志の時と言い、よく倒されるな」
そう鷹取が言うと、笛吹が、
「矢島みたいに背が低くてちょこまかと動くプレーヤーはどうしてもそうなる」
「でも、前は二回ともアンスポーツマンライクファウルでしたよね」
「思わずユニフォームを摑(つか)んでしまったって感じだったからな。イリーガルが妥当なところじゃないか。立志の時は、完全に肩を摑んでいたからな。審判にも因(よ)るだろうけど……」
すると、清水が、
「あいつ、本当に倒されたんですかね!?」
「どう言う意味だよ?」
鷹取が尋ねると、
「ほら、こっそりやっていた練習」
「あっ……」
「ああっ、言われてみれば」
倒されたことばかりに目が向いていたので、まさかこの場面で洋が秘密練習の成果を出す、つまり試してみたい病が出たかもしれないという事までにはさすがに意識が及んでいなかった。しかし、動きはほんの一瞬だったので、仮にその意識があったとしても、判別出来たかどうかは分からない。
「あっ、誰か替わるみたいですよ」
鷹取がそう言ったので、笛吹は振り向くと、背番号7の田中がコートに入るのが見えた。
水野がどかっと椅子に座った。
誰が見てもこの交替は順当であろう。それよりも気になるのは、富澤と古谷の交替である。
藤本は今のところ何も指示を出していないので、富澤のマークはこの後(あと)も山添に任せるようだが……
奥原がサイドラインの外に出た。
ディフェンスには交替した田中がそのまま就いた。
洋は奥原からスローインのボールを受け取ると、センターライン近くまで上がって来た目に間髪(かんはつ)入れずパスを出した。
富澤がピタッとマーク。
目と富澤が睨(にら)み合う。
《あいつとどう違うと言うんだ?どうせ、この試合……》
と思った瞬間だった。
目、リングに向かってドリブルイン。
富澤は完全に出遅れた。
小林が慌てて目のディフェンスに向かった。
目、スリーポイントラインの内側に足を踏み入れた。
と、その瞬間、目はステップバック、小林に詰め寄られる前に3ポイントラインの外に出ると、その場でジャンプ、シュートを放った。
ボールが綺麗な放物線を描いていく。
ザッ。
観客席のあちらこちらからキャーという声援が飛んできた。
「ファンクラブでも出来るんじゃないのか」
黄色い歓声に、菅谷が呆れるように言うと、そう言うことには余り関心の無さそうな立花でさえ、
《ほんとだよな》
と、胸の内で呟(つぶや)いた。
背番号12が自陣へと戻っていく。
《面白い》
不貞腐(ふてくさ)れていた富澤に再びメラメラと対抗心が燃え上がってきた。
「なあ、清水」
「何?」
「今のプレー、どう思う?」
「どうって?」
「俺もさあ、ネットや本でバスケの勉強してるんだけど、誰かがこんなことを言ってたんだよ……NBAのプレーヤーがフェイダウェイやスピンムーブをいとも簡単にしているように見えるかもしれないが、それは体幹がしっかりしてるから出来ることだって……そんなプレーを日本の高校生がおいそれと真似出来るものじゃないって……それって、正しいんだよな?」
「……俺にそんなこと言われても……」
「いや、お前なら分かるかなって思っただけだ」
鷹取の問い方は終始神妙としたものであった。それ故に、清水もきちんと答えなければと思ったようだが、結局出来なかった。
水野と替わった田中はトップの位置に就き、加藤は左45度へ移った。田中のマークには奥原がそのまま就いた。
富澤が0度からフリースローラインの所まで上がってきた。
良いタイミングだった。すぐにパスを出せば、リズム良く攻撃出来たかもしれない。
しかし、田中は思わず、
「チッ」
と舌打ちをした。
だが、そんなことには委細構わず、富澤は俺によこせと言わんばかりに田中を睨(にら)んでいる。
田中は渋々パスを出した。
富澤にボールが通った。
マークに付いているのは、山添。
山添に対して背を向けている富澤は、古谷のいる方に向かってドリブルをした。
スクリーンを使うのか?
目(さっか)はそう考えると、山添とすぐにスイッチ出来るように、その意識と次に移す行動を頭の中でリンクさせた。
富澤が果敢にドリブルをしてくる。
古谷が山添を止めた。
富澤、0度に向かって尚もドリブル。
スイッチした目が富澤をマーク。
富澤、目のディフェンスを受けつつ、そのまま0度まで向かった。
富澤の右足がエンドラインぎりぎりで止まった、と同時に、レッグスルーを何度が繰り返した。
しかし、目(さっか)の迎撃態勢は揺るがない。
左手にボールが収まると、富澤の右肩がリングに向かって切り込んだ。
目、両手を上げてディフェンス。
富澤、目(さっか)を背にしながらボールを保持すると同時に右足を軸にして180度回転、更に踏み出した左足を軸に今度は背後に向かって180度回転、そして右足をコートに着地させると、ここでジャンプ、左手を使ってフックシュートを放った。
ボールが弧を描いて目(さっか)の頭上を越えていく。
しかし……
ボールは手前のリングに当たった。
弾かれたボールが宙に浮き、落ちて来た。
滝瀬が小林をブロックしながらリバウンド。
「滝瀬さん」
奥原が叫んだ。
滝瀬は奥原にパス。
奥原、直(す)ぐさまドリブル、コート中央を駆け上がっていく。
右サイドラインには、洋が併走。
奥原がリングに向かう。
しかし、田中も必死にディフェンス、奥原をリングに近づけさせない。
洋が奥原の背後に回った。
が……
「奥原さん」
目の声が背中に聞こえると、躊躇(ためら)うことなく振り向きざまにパスを出した。
目(さっか)はペイントエリアに少し入ったところでボールをキャッチ、そのまま、ワンツーステップ。
リングが目(さっか)に近づいてくる。
と、その時、右後方から伸びて来る手が目(さっか)の視界に入った。
富澤のブロックショット!
しかし……
目(さっか)は慌てるどころか、完全にレイアップの体勢に入る前にフローターシュートに切り替えた。
ボールがふわっと浮かんだ。
ザッ。
ボールはネットを揺らして、そのままコートへ落ちて行った。
「くそっ」
富澤は悔しさをつい声に出してしまった。
しかし、目は何事も無かったかのように自陣へと戻って行った。
背番号12が遠く離れて行く。
「あいつ、上手くゼロステップを使ったよな」
「テクニックだけなら、目に引けを取らないだろうな」
早田の問い掛けに日下部はそう答えた。
バスケットボールには二種類のファウルがある。一つはパーソナルファウル、もう一つはテクリカルファウルである。パーソナルファウルは、山添がよくするイリーガルユースオブハンズのように選手同士の不当な接触によって起きるファウルのことを言う。それに対してテクニカルファウルは身体の接触がない状況下で、スポーツマンらしくない不適切な言動や行動を行ったと見做(みな)された際に宣告されるファウルである。
この二種類のファウル以外でルール違反とされている行為、例えば、時間制限の3秒ルールや5秒ルール、ラインクロスやダブルドリブルなどをバイオレーションと言う。
そのバイオレーションのひとつにトラベリングがある。トラベリングとはボールを持った状態で三歩以上歩いてはいけないというルールである。つまり、ボールを持ったタイミングでコートに着いた足が、あるいはボールを空中で持った後で先にコートに着いた足が一歩目となり、それを軸足(ピボットフット)としてもう片方の足を動かすことは許されるが、軸足がズレてしまったり、軸足をコートから離して再びその足をコートに着けてしまうとトラベリングになる。
このトラベリングに関するルールが公益財団法人日本バスケットボール協会によって2018年4月に変更され、ゼロステップという考え方が適用されることになった。
ゼロステップとは、ボールを保持すると同時にコートに着地させた足を0歩目として数えるというものである。
従来のトラベリングのルールではボールを保持したタイミングと足の着くタイミングが同じであれば、その足は1歩目と数えられていた。しかし、新しいルールではボールを保持すると同時に足をコートに着地させればその足は0歩目、即(すなわ)ちゼロステップとなり、その後(あと)の2歩を有効に使うことが出来る。
青春時代をバスケ一筋で過ごしてきた藤本は、最近になってようやくこのゼロステップという概念に慣れてきたが、当初は切り替えることがなかなか出来ないでいた。理屈は分かっても体に染み付いた旧ルールは易々と変えられるものではなかった。
ゼロステップを意のままに操(あやつ)ることが出来れば、それは大きな武器になる。
早田は富澤のゼロステップを何気なく口にしたが、ただ、菅谷や笛吹達はそれよりも洋に匹敵するようなパスを奥原が出したことに大きく沸いていた。
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