第四章 インターハイ予選 四 ラストチャンス

 由美が洋達に勉強会の話を持ち込んだあの日、もうひとつ別の出来事が、ここ新潟市内にある老舗(しにせ)の喫茶店で始まろうとしていた。


 喫茶店のドアが開くと、入って来たのは藤本であった。


 アンティークな臙脂色(えんじいろ)の椅子に白いテーブルで統一された伝統の重みを感じさせる店内を見渡すと、奥のテーブルに目指す男の姿があった。


「何か面白い記事でも載っているのか」


 藤本がそう問い掛けると、


「あっ、早かったですね」


 と、その男は言った。


 視線を藤本に移してそう言った男の顔、確かに以前見た顔である。そう、彼の名前は鈴木修一。藤本が洋に紹介したスポーツ店の店長である。


 店員が水とお絞りを持って来た。


「ジャーマンブレンド」


 藤本がそう告げると、店員は小さく会釈(えしゃく)をしてカウンターに下がって行った。


「相変わらず、苦いのが好きですね」


「ブラックで飲むんなら、これくらいが普通だろ」


「僕はアメリカンですよ」


「今日は定休日なのか」


「ただの休みですよ。店はやってます。こんな時でないと、なかなかじっくり話せないですからね」


 こんな時とは、高校の試験休みのことである。


「それより、話したいことって何だ?」


「立志戦勝利、おめでとうございます」


「ああ、ありがとう」


「初日は見に行けたんですが、決勝戦の日は店長会議があったものですから」


「仕事第一だよ……とにかく、第一目標は突破出来て、俺としては一安心ってところかな」


「今年は行けそうですか」


「手応えはある。しかし、うちもそうだが、立志もチームとしてまだ十分には練られていない。地に足が付いていないと言うのか……しかしこの一ヶ月で大きく変わる可能性は十分にある。塚原さんはそれが出来る人だ」


「それにしても、今年の一年、と言うよりは、目と矢島は凄いですね。彼らがいなかったら、多分立志には勝てなかったでしょうね……ただ、正直言って、矢島があれほどの活躍を見せるとは驚きでした」


「あいつは……そうだな、やっぱり努力家だな。だが、他の奴等とは違う何かも持っている」


「何かって、どんな?」


「俺も上手く説明出来ない。ただ、今はっきり言えるのは、あいつは俺には無い視点を持っているということだ」


「言っている意味がよく分からないんですが……」


「俺はフォワードの出身だ。矢島はポイントガード。視点が自ずと変わるのは当然だが、それだけではない。その先に見える世界が俺と矢島では全く違う」


「たとえば?」


 そう問われると、藤本はフルコートプレスをあっさり破った洋の股通しパスについて語った。


「へえ、そんなことがあったんですか」


「バスケットは空中戦だ。誰もが上を見る。しかし矢島は違う。あいつはいつも下を見ている」


「そう言われれば、村上戦の時も下を向いていましたね」


「あいつが下を向いているのは主に守備のときだが、攻撃でも下を向いているときがある」


「ノールックですか」


「いや、それとも違う。少なくとも俺にはそう思える……まあ、矢島に限らず、それぞれの個性を把握するだけの時間をまだ費やしてはいない。しかし、それでもあいつは期待させる何かを持っている。良い意味で、何かをしでかしそうな……」


 店員がコーヒーを運んで来た。


「アメリカン、もう一つ」


 鈴木が追加注文をした。


 藤本は香りを嗅いでから、一口飲んだ。


「何か……ですか。言われてみれば、そうかもしれないですね。店で見たときは、体格ばかりに眼が行きましたが、試合をしているときの彼は雰囲気が確かに変わって見えました。あの肘鉄を食らっても冷静さを保っていたのは、大したものですよ」


「矢島に言わせれば、中学の時にも似たようなことがあったらしい。経験が物を言ったんだろう」


「実力差は歴然でしたが、そうは言ってもやはり彼のドリブルとパステクニックは一流ですよ。あの杵鞭と比較しても劣ることはないと思います」


「それは言い過ぎだ」


「いや、贔屓目(ひいきめ)でなく、本当にそう思います。特にスティールは……あれは杵鞭には無いものです」


「そうだな。あれはうちのチームにとって大きな武器だ。しかし……杵鞭はやはり器が違う。テクニック、スピード、体力……どれを取っても超高校級だ。奴と比較するのは、気の毒と言うものだ」


 それを聞くと、鈴木がフッと笑った。


「どうした?」


「先輩が慎重に言葉を選ぶときは、むしろ相当買っているときですからね。矢島に期待しているのがよく分かりますよ」


「……それは確かにそうだが、しかし杵鞭はU18代表でもあり、あのままプロに行っても即戦力になれる逸材だ。それに引き換え、矢島はまだ高校に入学してまだ二ヶ月も経っていない。誰だって慎重になるさ」


「じゃあ、こう言う言い方ならどうですか。目とのコンビプレーは誰が見ても超高校級ですよ」


「今日はやけに食い下がるな」


「私も楽しみなんですよ。今年の山並はひと味、いや、大きな可能性を秘めている。だからこそ、聞きたいんです。先輩の意見を。目はどうですか」


「高校一年であれだけのプレーをする奴を俺は見たことがない。奴ほどの実力なら、神代に行っても不思議ではない。むしろ、どうして山並に来たんだろうって、今でも思う」


「それは彼個人の問題ですから、深く追求することではないですよ」


「個人の問題か……あいつには何かギラギラしたものを感じる。奴にしかない目標に向かって日々努力しているように見える。まあ、それが今のところは良い方向に向かっている……そんなところだ」


「ギラギラですか……それが案外矢島とのコンビを良くさせているのかもしれませんね」


「それは言えると思う。こんなプレーをするんだという目の強い意志を、矢島が上手く舵取りをしているように思える。さっきのコンビプレーについて言えば、まさにその通りだと言える……矢島はああ見えて凄いアイデアマンなんだよ」


「それは、あの新聞に載っていたプレーのことですか」


「それもあるが……とにかく、目とは普段からよく練習をしている……今は平安戦が楽しみだ」


「スーパープレーも努力の賜(たまもの)ってわけですね」


 アメリカンが鈴木のもとに運ばれて来た。


「鷹取はどうですか。僕は最初、矢島よりも鷹取を買ってたんですが……」


「あいつは結構おしゃべりなんだよ。そう言う意味では菅谷と似ているが、才能という点で言えば、目に劣ることはない。しかし……」


「何かあるんですか」


「あいつはどうもリバウンドに興味があるみたいだ」


「じゃあ、目標は加賀美ですか」


「お前はセンターかパワーフォワードと言ったのが、あいつには強く印象に残ったみたいだ。目の攻撃力を生かすためには、鷹取にはパワーフォワードになって欲しいし、あいつにはその力がある。二年後、あいつは絶対凄い選手になっている。ただ、契約は今年で終わりだ。その時まで俺が監督をしているかどうかは分からん」


「あっ、そうか。もう五年が経つんですね」


 藤本が山並の監督に就任したのは、立志北翔がインターハイ、ウインターカップと連覇で全国制覇をしたその年である。


 新潟市内のスポーツクラブに勤務していた藤本はそこが運営している社会人バスケットサークルのコーチもしていた。


 山並は文武両道を掲げている。私立と雖(いえど)も同じ目標を掲げている立志北翔の存在は予(かね)てから山並の関係者を強く意識させていたようだ。


 たまたまそのスポーツクラブに通っていた山並の関係者が藤本の存在を知り、校長に進言したところ、一度話す機会が設けられることになった。


 藤本は当初この話を断った。監督をするとなれば、勤務先のスポーツクラブを辞めなければならない。監督としての報酬は、それを埋めるだけの金額ではない。共働きではあったが、収入が減ればその分生活が厳しくなる。


しかし、意外にも藤本の背中を押したのは、彼の妻だった。


「高校バスケットの指導者になれるチャンスなんておそらくこれが最初で最後だと思う。だから悔いの残らない選択をして……」


 後進を育てたいという思いはあった。しかし、全国制覇を成し遂げてみせるという程の野望もなかった。楽しんでバスケットが出来れば良い。バスケットサークル時代はそれだけであった。


 藤本にとってはまさに降って湧いたような話であったが、悩んだ末に出した結論は、山並の校長を喜ばせた。その後勤務先も交えて話し合った結果、藤本はスポーツクラブに在籍のまま、山並で部活の指導をすることになった。部活が始まるまでの時間はスポーツクラブで勤務するということである。


 契約は五年間。学校側から提示された期間は三年であったが、それでは全国制覇を達成できるチームは作れないと藤本は言い切った。やるからには絶対に成し遂げてみせる。


「県内ベスト4が過去最高の成績だ。文武両道を謳(うた)う学校としてはそれで十分満足しているようだが、しかし、実際に戦っているのは生徒達だ。厳しい練習に耐えて、あいつらは日本一を目指していた……ただ、公立でしかも進学校という立場であることを考えてみれば、よくここまで来たとも思う。大学受験が控えているからとご両親から言われれば、こちらはもう何も言えない……五年目の今年は俺にとってもラストチャンスだ」


「中越平安……大きな壁ですね」


「文字通り、壁のような選手が入ってきやがった」


「えっ、そうなんですか」


「まだ知らないのか。黒人のハーフ。しかも双子だ。偵察部隊のビデオを見たが、あれはもう反則だ」


「デカいってことですか」


「2メートル6センチ」


「それが二人も?」


「動きも悪くはない。あのダブルポストは杵鞭のパスをより効果的にしている」


「厄介ですね」


「厄介どころじゃねえよ。杵鞭のパスをより生かせるという点では、去年よりもオフェンス力は上だ。全く、どういう対策を取ればいいのか見当もつかん」


「参ったなあ」


「何が?」


「いや、今日先輩に来てもらったのは、ある情報を伝えたかったからなんですが……」


「何だ、ある情報って……」


「朱雀井高校、覚えてますか」


「確か、去年のベスト4だったよな」


「そうです、準決勝で神代に敗れた……このチームに磯山って奴がいるんですが、これがとんでもない選手になっているようで、地元の京都では日本一は間違いないって言われているんです」


「中越相手にどうなるか分からんのに、今そんな情報を持って来るのか」


「立志戦の勝利にちょっと浮かれまして……まさか、中越にそんな凄い奴が入ったなんて知らなかったものですから」


「それで、その情報は確かなんだろうな」


「京都に私の友達がいまして、三度の飯よりバスケが好きな奴ですから」


 と言うと、鞄からUSBメモリーを取り出してテーブルの上に置いた。


「朱雀井のいる地区大会の決勝戦です」


「ひょっとして、お前の友達がくれたのか」


「はい」


「敵に塩を送るとは」


「違います。自慢ですよ。今年は絶対に朱雀井が日本一になる……」


「大した自信だな」


「でも、これを見れば、それも頷けます」


「磯山……そんなに凄いのか」


「はい。しかも、チームとしても今は一枚岩になってますから」


「今は?前は違っていたのか?」


「朱雀井の乱って言うのがあったんですよ」


「何だ、その日本史みたいなネーミングは?」


「単純に言えば、練習のボイコットです」


「よくある先輩と後輩の対立か?」


「違います。部員全てが磯山に反発して……」


「天狗になっていたわけだ」


「まあ、そうです」


「そうなるからには、実力は相当図抜けていたんだろうな」


「これを送ってくれた友達の話によりますと、バスケ部が消滅する一歩手前まで行ったそうです」


「それで、最後はその磯山って奴が頭を下げたのか」


「本人はヒーローのつもりだったみたいですが……」


「英雄気取りを天狗って言うんだよ」


「まあ、そうですが……ただ、当人にはかなりショックだったみたいで、登校拒否が二週間くらい続いたそうです」


「最終的には双方話し合いってところか」


「そうですね。雨降って地固まる……」


「心技体の心が一つになった……分かった。とにかく、これは有り難く頂くとしよう」


 と言うと、藤本はUSBメモリーを上着のポケットに入れながら、


「ただ、これを見るのは、新潟代表になってからだ」


「ところで、日下部は腐っていませんか」


「どうして?」


「レギュラーを矢島に取られましたからね」


「……あいつは、お前が思っている以上にずっと大人だよ。主将という言葉が相応しい男だ」


「先輩がそう言うのであれば……」


 この後、二人は中越平安への対抗策としてどのような練習をすれば良いのか話し合った。鈴木は矢島と目に続く第三の男として鷹取の猛特訓を進言した。藤本もこれには異論は無かった。しかし同時に胸の内では、


《今年、うちに入った部員は六人なんだぜ》


 と、心密かに思ってもいた。


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2021年2月、PVが8.5万を超えました。ありがとうございます。


これからも鋭意努力をしていきますので、ご支援よろしくお願いします。

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