第四章 インターハイ予選 三 勉強会
思わぬ正昭の話であったが、それはそれで彼らには為になる話であったようだ。少し重苦しくなった雰囲気が変わって、最後の勉強である英語に気持ちよく取り掛かれた。
勉強会が終わったのは、六時前だった。
信子が強く誘ったこともあって、勉強会のメンバーは夕飯にもお呼ばれされた。今日の夕飯はカレーである。
食べ盛りの高校生が六人。しかも、そのうちの三人は体格が並外れているとなれば、普段炊いているお米の量では足りない。
信子は電子ジャーだけでなく、土鍋を使ってご飯を炊くことにした。
カレーの良い匂いが勉強している洋達のもとへ届いたのは何時くらいだったであろうか。
鷹取ならともかく夏帆のお腹が鳴ったのを聞いたときは、笑って良いのか聞こえない振りをすればいいのか、誰もが一瞬判断に迷った。しかし、真っ赤な顔をした夏帆に、
「お腹減ったよな」
と、洋がさりげなく声を掛けたことで、夕飯が待ち遠しい雰囲気が出来上がった。
男四人は二人一組になると、それぞれ座卓と炬燵(こたつ)を運んで一つの大きなテーブルを作った。
「夏帆ちゃん、由美ちゃん、ちょっと手伝ってくれる」
信子のお願いを聞いて、
「何か手伝いましょうか」
と、山添が言うと、
「大丈夫。女三人いれば十分」
と、信子は嬉しそうに言った。
夏帆は大きな皿に盛られたポテトサラダを持って来た。続いて、由美がお盆に載せたお皿を持って来た。
配膳の準備が整うと、由美がお皿にご飯を装って、夏帆がカレーを掛け、信子が渡した。
それぞれの前には、カレー、サラダ用の小皿、そしてお味噌汁。お味噌汁の具はワカメと豆腐である。
「おじさんは?」
夏帆が尋ねると、
「向こうで食べるから大丈夫」
「えっ、でも」
「さっき、色々と話せて楽しかったって言ってたわ。だから心配しなくて良いの。じゃあ、皆さん召し上がって」
信子からそう促されたので、
「では、頂きます」
と、山添が率先して言った。不断余り見せないそのハキハキとした口調は年長者としての自覚がそうさせたのであろう。
山添が堅い雰囲気を壊すと、各々頂きますと口にして、目の前のご馳走を食べ始めた。
「美味しい」
夏帆が思わず声を上げると、
「お店のカレーみたい」
と、由美も素直に感動を表に出した。
「いつもは辛口なんだけど、今日は女の子もいるから中辛にしたの。良かったわ、お口に合って」
男四人は何も言わず二口三口と食べていた。が、鷹取だけは何かを探るような顔をしながら食べていた。
「これって、二つのカレールーを使ってますよね」
と、鷹取が何気なく尋ねると、
「よく分かったわね」
と、信子は心底驚いたようであった。
「えっ、そうなんですか」
「そうなの。それがカレーを美味しく作るコツなの」
と、由美の問いかけに信子が答えた。
「鷹取にそんな繊細な事が出来るなんて信じられない」
「うちは中華屋なの。味見には結構うるさいんだよ」
「あっ、そうだよな。特技は味利きだったよな」
洋が言うと、
「子供の頃から親父に鍛えられたからな。将来は店を継がせたいのか、中華だけでなく、色んな料理を作っては味見をさせられた」
「味見はともかく、鍋振りは似合いそうだな」
と、目が言った。
「うん、それは認める」
夏帆も笑いながら同調した。
「何だよ。そんなこと言うと、中華奢(おご)ってやんねえぞ」
「じゃあ、次の勉強会は鷹取の家でするのか?」
山添が尋ねると、
「いや、そう言う訳ではなくて……」
「歯切れが悪いわね。そうだって言えばいいじゃない」
と、由美が間髪を入れずに言った。
「商売してるんだから、無理に決まってるだろ」
「中華も食べたいな」
「お前まで突っ込んで来んなよ」
珍しい目の突っ込みに、その場に居た全員が笑った。
襖の開く気配がした。
夏帆が振り向くと、信子がこっそり部屋を出ようとしていた。夏帆は何か話しかけようとしたが、自分を見ている夏帆に信子は気がつくと、にっこり笑いながら人差し指を自分の口に当てて、音を立てないようにゆっくりと襖を閉めた。
勉強会後の夕飯は、たわいの無い話であっても盛り上がり、絶えることのない笑いは締め切った襖からでも溢れ聞こえていた。
「じゃあ、気をつけて」
正昭がそう言うと、
「今日は色々とありがとうございました」
と、山添が正昭に向かって頭を下げた。
「私の経験談が役に立つかどうかは分からないが……後は君の精進だ」
「はい」
山添はそう返事をすると、もう一度小さく会釈をしてから、自転車に乗った。目と鷹取もそれぞれ礼を言うと、自転車組の三人は洋の家を後にした。
彼らの姿が見えなくなるまで見送ると、
「じゃあ、ちょっとやるか」
と、正昭が言った。
洋は少し微笑むと、
「はい」
と言って、二人は家の中に戻った。
その頃、信子は夏帆と由美を車に乗せて学校の寮に向かっていた。
門限は九時。
家を出たのは八時過ぎだから十分間に合う。
女三人寄ればかしましいと言うが、車内はまさにそれであった。
「それにしても、今日のカレーは美味しかった。また来ても良いですか」
「ちょっと、由美」
「いつでもどうぞ。私もこんなに楽しい時間が過ごせて嬉しいわ。夏帆ちゃんも遠慮しないでね」
「夏帆って、不断はこんなんじゃないんですよ。もっとおしゃべりで、もっと明るくて……」
「いいよ、そんな事言わなくても」
「やっぱり矢島がいると、猫を被るのかな」
「そんなことないわよ」
「ほらほら、怒った。夏帆ってこんな一面もあるんですよ」
信子が笑った。垣根の無い笑いだった。
「夏帆ちゃん、次は何が良い?」
「えっ、何がですか」
「勉強会のご飯よ。期末テストの……」
「ええっ、何だろう」
「私、ラーメンがいいな」
「それって暑くない?」
「私は平気です」
「ラーメンかあ……だったら、私はバリカタがいいな」
「バリカタ?」
信子が少しキョトンとした顔をした。
「それって、豚骨?味噌?」
「えっ、バリカタってご存じないんですか」
「私も知らない。何それ?」
「あっ、そうなんだ」
夏帆は独り言のように呟(つぶや)くと、
「麺の堅さのことなんです。バリカタは硬めって意味なんです」
「夏帆ちゃんはどこ出身なの?」
「福岡です」
「福岡ではそう言うのね。初めて知ったわ」
「テレビでも言ってたりして、結構有名だと思うんですけど……」
と言いつつも、地方地方で用いる言葉は自分が思っている以上に知られていないものだと内心驚きもした。
が……
《じゃあ、ひょっとしたら……》
ある事が夏帆の胸中に閃(ひらめ)いた。
「……夏帆、夏帆」
「んっ、何?」
「何笑ってるの?」
「ううん、何でもない」
「そんな訳ないでしょ。一人でニヤニヤして。何か思いついたんでしょ」
「本当に何も無いって。ラーメン食べるんだったら、やっぱり冬の方がいいなって。夏は冷やし中華かなって……」
「ああっ、それはいいかも……」
「でも、さっき鷹取が奢ってくれるみたいなことを言ってたから、じゃあ何が良いかなって、色々美味しいものを考えてたの」
「だったら、そうめんが良いかもしれないわね」
「ああっ、良いですね」
信子の提案に夏帆が飛びついた。
「私もそうめん大好き」
由美が話に乗ってきた。
占めた!
夏帆はニヤニヤした本当の理由をこれで誤魔化せたとホッと一安心した。
車が寮の正門前についた。
二人は車から降りると、
「今日はどうもありがとうございました」
と信子にお礼を述べた。
信子は運転席に座ったままで、
「こちらこそ、本当に楽しかったわ。また勉強会しましょうね」
「明日でしたよね。スマホを買いに行かれるのは……」
「そうなの。良いのがあればいいんだけど。夏帆ちゃんも持ってるのよね」
「はい。でも門限の時間になったら、管理人さんに預けなければならないんです」
「あら、そうなんだ。厳しいわね……じゃあ、そろそろ。ここで長話すると怒られちゃうからね」
と言うと、信子は軽く手を振って窓を閉めた。
走り去るテールランプが見えなくなると、夏帆と由美は寮の玄関に向かって歩き始めた。
「どうしてスマホのこと聞いたの?」
由美が唐突(とうとつ)に尋ねた。
「だって楽しみじゃない。離れていても話せるんだから」
「何それ~完全にのろけじゃん」
「由美はどうなの?」
「何が?」
「好きな人、いるんでしょ」
そう言われて、由美はあの一瞬を思い出した。
「……うん、いる」
それを聞くと、夏帆は思わず歩く足を止めた。
「えっ、誰?」
「今は言えない」
「どうして?」
「時期じゃないから」
「時期?タイミングが悪いってこと?」
「見守っててよ、ねっ」
「あっ、うん」
由美が誰のことを想っているのかは分からない。しかし、この短い会話の中で見せた由美の表情には確かに真剣さと切なさがあった。
「勉強会、またやろうね」
夏帆が由美に言った。
「そうだね」
二人は、そうして、何となく笑みを交わすと、再び寮の玄関に向かって歩き始めた。
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お知らせ
2021年1月、PVが8万を超えました。ありがとうございます。
これからも鋭意努力をしていきますので、ご支援よろしくお願いします。
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