第四章 インターハイ予選 九 笑顔の真剣勝負
インターハイ(高校総体)予選に向けて日々練習に励んでいるのは何も男子バスケット部だけではない。女子バスケット部もそうであり、バレー部、サッカー部、柔道部などもそうである。
ただ、チアリーディング部は状況が少し違う。先に挙げた競技は公益財団法人全国高等学校体育連盟に加盟、その主催の元で全国大会が行われているのに対し、チアリーディング部は公益社団法人日本チアリーディング協会に加盟、その主催のもとで全国大会が行われている。
毎年、チアリーディング全国大会であるJAPANCUP日本選手権大会は八月下旬に開催される。
山並チアリーディング部はそれに向けて日々厳しい練習に取り組んでいる。しかし、今年に限って言えば、それも少し違う。JAPANCUPの予選大会は六月下旬に行われる。例年なら、まずはこれに向けて練習をしてチームを仕上げていくが、今年は男子バスケット部のインターハイ予選で演技を披露することになった。バスケットの試合期間は五月三十日から六月三日までの四日間。演技が披露されるのは、三日目の準決勝、四日目の決勝である。
今回これに参加するチアリーディング部は昨年行われた予選大会の上位四チームであり、準決勝、決勝にそれぞれ二チームずつ参加、演技を披露する。山並は決勝で演技を披露することになっているが、もう一チームは奇(く)しくも中越平安のチアリーディング部である。そしてこれを呼びかけたのが、あの伊藤である。
山並は公立の進学校である。文武両道を掲げている以上、その均衡は保たなければならない。そうなれば練習時間の上限も自(おの)ずと決まって来る。練習量と演技の上達が大凡(おおよそ)比例する以上は、全国大会で優勝するにはこの条件は不利である。
しかし伊藤は着任するとき、学校側から伝えられたこの条件を敢えて呑んだ。生来(せいらい)負けず嫌いの伊藤の性格に、この逆境が火を点けたのは確かだが、伊藤なりの勝算もあったように思われる。
それが練習の質である。
だらだらと練習を行えばその分無駄な時間を費やすことになる。それは練習時間を減らすという事と同義である。必要最低限の練習時間を最上の練習時間へと昇華させるには徹底的に無駄な時間を削ることであり、延(ひ)いてはそれこそが練習そのものとなる。チアに絶対不可欠なテキパキとした動きのキレを身に付けさせることになる。
伊藤はそれを徹底的に生徒達に教え諭(さと)し、叩き込んだ。練習の準備と後片付けの時間、練習と練習の合間に生まれる空白の時間も決して無駄にはしない。
いつぞやは、夏帆が伊藤から説教をされたが、その背景にはこのような事情もあったのである。
第一体育館では、今日も厳しい練習が行われている。
由美は藤本の隣で練習の様子を見ている。
今ここに滝瀬の姿はない。
藤本はそのことについて何も触れないが、日下部から事情を聞いている由美はやはり気掛かりである。先生は一体どう思っているのであろうか。
三線の練習をしている女子バスケの向こう側。そこでは、チアが練習に取り組んでいる。一人一人の動きが本当にきびきびとしている。
赤いTシャツを着ている夏帆が一際はっきりと見える。
お互い入部した頃はたまに目が合っていた。夏帆は恐らく洋のことが気になってバスケの練習に目を向けていたのだろうし、由美は同じ寮住まいの誼(よしみ)からだろうか、何となく夏帆が気になっていた。しかし、互いに目指す目標が決まった今では、二人の目が合うことはもうなかった。
この日も練習が終わると、夏帆も由美も真っ直ぐ寮に帰った。学校と寮は目と鼻の先であり、二人の高校生活はその往復だけと言ってよかった。田舎の高校だから寄るところも無い。遊ぶ時間が無いと言われると気の毒に思われがちだが、今の二人には夢中になれることがある。それはやはり幸せなことだ。
夏帆は今自室で勉強をしている。寒くはないが薄着ではまだいられない。今日はジャージではなくパジャマを着て、その上にパーカーを羽織り膝掛けをしている。
ドアのノック音がした。
夏帆は振り返ることなく、
「どうぞ」
と言った。
ドアが開くと、由美がパジャマ姿に半纏(はんてん)を羽織って入って来た。
「どうしたの、由美」
「何で分かったの?」
そう言われると、夏帆はここでようやく振り返って、
「だって、私の所に来るのって由美しかいないもん」
「まあ、そうだけど……勉強してたの」
「うん」
「偉いね」
「勉強会が良い刺激になったみたい」
「そうね。それはあるかもしれない」
「それで、どうしたの」
「理由がないと来ちゃダメ?」
「そんなことはないけど、由美も色々と大変そうだし……」
「練習はどう?」
「きついよ。体力もそうだけど、最初から最後まで笑顔を絶対に絶やさないってことがこんなにきついなんて……」
「矢島とは連絡を取ってるの」
「ううん、全然」
「えっ、何で?」
「別に理由は無いけど、矢島は予選で頭がいっぱいだろうし……」
「ふーん」
「何よ」
「矢島もせっかくスマホ買ったんだから、毎日連絡してくるんじゃないかって……」
「本音を言うとさ、声を聞きたいし、お休みのラインくらいしてくれてもって思うけど……」
「けど、何?」
「そんなことを言ってると、どんどん離されてしまうようで……」
「言ってる意味がよく分かんないんだけど」
「もし決勝戦まで行ったら、あの杵鞭って人と戦うんでしょ」
「そうだね」
「矢島の頭の中はその人のことでいっぱいだと思う。だって、その人に勝たないとインターハイに出られないものね」
「そうだね」
「そもそも、矢島の負担になるようなことはしないでって言ったのは由美だし……」
「えっ、私そんなこと言ったかな」
「言った、言った。その時の由美の顔って言ったら、もう鬼の形相(ぎょうそう)だったよ」
「それはない。私、そんな酷(ひど)い顔はしてない」
「でも、怖かったのは本当だよ。由美の真剣な思いが伝わって来たもん」
「それはもういいからさ、離されるって……」
「……矢島は日本一を目指して毎日練習してるわけでしょ。それもまだ一年でありながら、レギュラーとしてチームを引っ張っていかなければならない。矢島を見ていると、あいつだけがどんどんどんどん先に進んで……でも、うちはまだまだ駆け出しで、こんままやとレギュラーになれるかどうかも分からんとよ。うちは一人置いてけぼり。それがえずうて……やけん、もう毎日必死でやっとっとよ……何笑いよーとよ」
「たまーに出るよね、博多弁」
「えっ、今私使ってた?」
「本音が出るとき、たまにね」
「別にいいじゃない」
「でも、初めてじゃないかな、楽しそうな博多弁を聞くのは」
「そう?」
「そう言えば、練習ってさ、どんなことしてるの。同じ体育館にいても、ちゃんと見たことないから分かんないんだよね」
「ああ、そうね……最初はアップ用のダンスをして、次が先生が考えたオリジナルのアップ体操、それからタンブリング、音楽に合わせてキック練習……」
「ねえねえ」
「何?」
「何でお団子が出て来るの?」
「えっ?」
「今、ダンプリングって言ったよね」
「……あっ、違う違う。私が言ったのはタンブリング(tumbling)。由美が言ってるのはダンプリング(dumpling)」
「あれっ、そうだった?」
「タンブリングは床やマットの上で飛んだり回ったりすること。由美の言ってるダンプリングがお団子のこと」
「えっ……でも、私どうしてそんな事知ってたんだろ」
「ほら、あれよ、勉強会したとき、鷹取が餃子のことを英語で何て言うか知ってるかって聞いたじゃない」
「そうだ。確か、pan-fried dumplingだったよね」
「それは焼き餃子。水餃子がboiled dumpling 」
「あっ、思い出した。それで、お団子は何て言うのかって調べたら、rice dumpling ってあったんだよね」
「ああっ、びっくりした。まさかタンブリングがお団子になるなんて思ってもいなかった」
「私達、今何話してたっけ?」
「お団子?いや、違うよ、練習の話」
「あっ、そうだ。どこまで聞いたっけ?」
「タンブリングの話だったから、その次は……」
「どうしたの?」
「……タンブリングって鬼門なんだよね」
「鬼門って?」
「バク転出来ない子がいるんだよね」
「練習しても出来ないの?」
「それ以前の問題。怖いんだって」
「ああ、そういうこと」
「私は恐怖心はほとんどなかったけど……はんぺん使っても、駄目な子には駄目みたいで。二人辞めちゃった」
「はんぺんって何?」
「えっ?」
「だから、はんぺん。おでんに入れる具じゃないよね」
「ああ、どうだろう?多分そうだと思う」
「えっ、どう言う意味?」
「タンブリングの時に使うマットをうちらははんぺんって呼んでるの」
「何で?」
「何でって言われても、先輩がそう言いよっとよ。きっと見た目が似てるからじゃないかな。明日、うちらが練習始めたら見てみるといいよ」
「うん、そうする」
「それより、由美の方はどうと?」
「えっ?」
「部活」
「ああっ、そう言うこと?そうね、私は先生にある事を頼まれて、それをチェックしているの」
「ある事って?」
「それは言えない。先生に口止めされてるから。あっ、だからこの話自体誰にも言わないでね。矢島に言っちゃ駄目だよ」
「あっ、分かった」
「それより、最近上級生来てる?」
「うちの所には来てない」
「そうだろうね。矢島はキッパリと好きな人がいますって宣言したからね」
「そっちは……」
「たまに来てるけど、目(さっか)は眼中にないみたい。頭の中はきっと打倒神代でいっぱいなんじゃないかな。あっ、でもね……」
「何?」
「もう言ってもいいよね……実を言うとね、うちのクラスの男子で、矢島のことを悪く言う奴がいたの。なんであんなチビが夏帆と付き合ってるんだって……一年二組のマドンナは学年のマドンナでもあるわけだから」
「止めてよ、そんな言い方」
「でも、あの新聞が出た後は、びっくりするくらいピタッと悪口が止まって……極めつけは杵鞭さんだよね。日本代表のプレーヤーがわざわざ矢島に会いに来たんだから。今朝なんて、私のクラスはその話題で持ちきりだったもん」
そう言われると、夏帆は椅子の背凭(せもた)れに体を押しつけて、背中をぐーっと反らしながら、
「うち、どうすれば良かとね?」
と言った。
「……笑顔の真剣勝負って言ってたのは誰かしら」
夏帆はそれを聞くと、ハッと由美を見た。
チアリーディングはタイムを競ったり、得点を取り合ったりするスポーツではない。チアリーディングはいかに観客を魅了し、引き付けることが出来るかどうかを競う表現のスポーツである。見ている人々に元気・勇気・笑顔を届ける。
チアリーディングが『笑顔の真剣勝負』と言われるのはまさにこれが所以(ゆえん)であり、夏帆が今最も心の拠り所としてる言葉である。
「そうばいね。うち、矢島を元気づけるために頑張っとったはずなんに、何やっとよ……ありがとう」
由美が夏帆の部屋に来たのはただ何となくである。特段の理由があったわけではない。しかし、やはり夏帆とは馬が合うと言うのか、話が弾(はず)むと楽しいし、落ち込んでいれば励まし合える。
たわいない会話であったが、夏帆はすっきりとした気持ちになれたし、由美は何となく嬉しかった。
この後(あと)も由美と夏帆はしばらくたわいない話で時間を過ごした。女の子にとって、おしゃべりはきっと心に潤(うるお)いを与える保水ケアのようなものなのであろう。
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お知らせ
更新は毎週土曜日の14:00の予定でしたが、執筆の時間確保が難しくなってきたため更新は不定期になります。何卒ご了承下さい。
*2021年9月、PVが13.2万を超えました。本当にありがとうございます。次の更新が楽しみと思われるよう頑張りますので、ご支援よろしくお願いします。
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