第四章 インターハイ予選 六 踏み台

 今日から試合に向けての約二週間、練習のメニューはフットワーク、三線速攻、シュート練習で前半を終え、小休憩を挟んで後半はフルコートプレス、最後に対超大型巨人用に藤本が苦し紛れに考えた練習で一日を終える予定であったが、これに洋の試したいことが加わったので、練習の時間配分が変わり、フルコートプレスの練習時間が削られた。


 三線速攻の練習が終わると、シュート練習を始める前に、全員体育館の外に出て、水を飲みに行った。


 春の日差しが夕暮れに変わりつつある。北風が涼しい。


 コートに戻ると、メンバーはいつものように二人一組になった。シュート練習の時は、片方がシュートを打ち、片方がボールを拾う役目をしている。


 組み合わせは自(おの)ずと決まり今に至っている。日下部と早田、加賀美と滝瀬、山添と菅谷、笛吹と奥原、目と鷹取、清水と立花、洋は由美と組んでボールを拾ってもらっている。


 だが、今日は少し趣(おもむき)が変わった。


 立花が清水に向かって、


「ちょっと組み合わせを変えてもいいかな」


 と言って来た。


「ああっ、いいけど、誰と?」


 と言うと、立花は笛吹のところに行って、


「すみません、これからしばらくの間、僕とシュート練習を組んでもらえないでしょうか」


 と言った。


 笛吹は突然の申出に最初は少し驚いた顔をしていたが、


「俺は構わんが、いいかな、奥原」


 と言うと、


「別にいいよ」


 と、奥原は何も考えずに言った。


「ありがとうございます」


「しかし、何でまた俺と組みたいんだ?」


「俺のフォームを見てもらいたいんです」


「シューターを目指すのか」


「目指すというよりは、それしか無いと……俺が生き残るための武器はこれしか無いと思ったからです」


「……言いたいことは分かった。しかし、それを目指すと言うことは、俺はお前のライバルになると言うことだ。道を譲るつもりはないぞ」


「俺が目指しているのは来年じゃありません。自分が三年生になったときです」


 笛吹は、立花のその確固たる返事を聞いて、


《忍耐強い奴だな》


 と、半ば呆れ気味にそう思った。


 奥原と清水は早々に組んで既にシュート練習を始めていた。


 藤本は講堂に少し凭れ掛かり腕組みをして、遠目にその二人の様子を見ている。勿論、立花と笛吹がまだ練習を始めないで立ち話をしていることにも気がついている。しかし何か思うことがあるのか、藤本は敢えて彼等を急かすことはしなかった。


 立花がボールを持った。先輩を差し置いて先に行うのだから、おそらく笛吹がそうするように言ったのだろう。


 立花がシュートを放った。ジャンプシュートではなく、それはセットシュートだった。


 放たれたボールは綺麗な弧を描きはしたが、リングに弾かれた。


「良いフォームだ。バスケを始めてまだ二ヶ月足らずとは思えない」


「ありがとうございます」


「自主練してるのか」


「イメージトレーニングは自宅でずっとしています」


「他にもやっているのか」


「昼休みに……これから始めようと思っています」


「なるほど……」


 さほど関心はないと言うような素振りで全体を見渡しながらも、立花のシュートをその横目で厳しくチェックしていた藤本は、何かを得心したかのように、フッと笑みを浮かべた。


 対神代戦に向けての秘密兵器であるフルコートプレスの練習が終わり、いよいよ新しい練習に向けての準備を始め出した頃、女子バスケット部の練習が終わった。


 チアの練習はまだまだ熱気に満ちてはいるものの、真ん中のコートから人が居なくなると、やはり静かさが増したように感じられた。


 夏帆は、しかしそんな最中(さなか)でも、洋をその目で追うことなく練習に勤(いそ)しんでいた。初志貫徹、恋愛は恋愛。夏帆のそんな思いは、女傑からの忠告に促されたことをきっかけに始まり『サブマリンになる』という洋の決意を聞かされたことによって結実したものである。夏帆の気持ちが揺らぐことはもうない。


 藤本の指示を受けた由美は、フォワードのメンバーに踏み台を手渡した。


 踏み台は昇降運動にも使えるトレーニング用のステップ台で、10センチ、15センチ、20センチと三段階に高さを調節出来るようになっている。色は紫、青、ピンクと三種類あった。色の区分けに意味はない。おそらく一色だけだと何となく面白みに欠けると、藤本はそう思ったのであろう。


 選ぶ権利を持っているのは三年生である。加賀美は迷うことなく紫を選んだ。山添は青を選択、残りのピンクを目(さっか)が手にした。


 リングから少し離れたところに、加賀美が付属のマットを床に敷いて踏み台を置くと、早速その上に立ってみた。


「加賀美、手を上げてみろ」


 藤本がそう言うと、加賀美は両手を上げた。


「うわっ、何だこれ」


 菅谷が思わず声を上げた。それはもうまさに巨人の壁であった。


「今は20センチの高さになっている。公称、双子の身長は2メートル6センチ。加賀美、お前は幾つだ」


「196センチです」


「そうなると、今の高さは216センチ、約10センチ高いことになる。この練習の目的の一つは奴等の高さに慣れることだ。しかし、高過ぎてもいけない。適切な高さに慣れていないと、いざ対戦というときに感覚に狂いが生じる。いいか、それぞれ踏み台に乗るときは、高さを調節するように。ガード組もまずはこの高さに慣れろ、いいな」


「はい」


 メンバー全員で返事をすると、加賀美と滝瀬はその場に残り、菅谷と山添は反対側のバスケットゴールに、目と鷹取は女子が使用していたコートへと向かった。


「いやあ、それにしてもさっきの高さにはビビったな。目、お前よくあんな奴等と戦えたよな」


「何言ってる。お前もこれから奴等と戦うことになるんだよ。鷹取が踏ん張らなければ、俺達の不敗神話は作れない」


「簡単に言うなよ……」


 鷹取に素質と才能があるのは間違いない。藤本も目もそれは認めている。鷹取は間違いなく期待されている。しかし、それを鷹取自身が開花させられるかどうかはまた別の問題だ。その上、目や山添のような凄いプレーを見ていると、ずぶの素人である自分にもあんなことが本当に出来るのか、不安と焦りが過(よぎ)ってくる。練習を重ねれば重ねるほど、ドリブルの未熟さ、パスを出すタイミング、セットシュートに至っては全くフォームが固まっていないなど、その実力差を痛感してしまう。彼らと肩を並べられるだけの実力がこの先自分に身につくとはとても思えない。鷹取はそう思うとき、いつもこう自分に言い聞かせる。


《バスケットを始めてまだ二ヶ月も経っていないではないか。これからだ。俺はまだまだこれからだ》


 菅谷同様、不断はよくしゃべるが、現状に限って言えば、それは心に湧き上がってくる不安をかき消すためなのかもしれない。


 一方、二年生はと言うと、


「山添、お前頑張れよ」


 と二人並んで歩きながら、菅谷が話しかけたところだった。


「何他人事みたいに言ってんだよ」


「俺はレギュラーじゃないし、レギュラーになれるだけの力もないからさ」


「先生は総力戦って言ってただろ」


「中越や立志クラスになれば、俺の出番はないよ。それより、攻略出来るのか?」


「分からん」


 山添はそう言ったが、本音は分からないと言うよりは迷っていると言った方が正しいと思われる。格下相手には余裕を持って戦うことが出来た。洋が肘打ちを食らった村上商業戦を振り返れば、それは明白だ。しかし、立志北翔戦では、そうは行かなかった。思うようにプレーが出来ず、頭に血が上ってしまった。藤本がベンチに引っ込めなければ、おそらく5ファウルで退場していただろう。


 山添もそれは分かっている。分かっているからこそ、勉強会のときに聞いた正昭の話があれからずっと解けない知恵の輪のように、胸の内で燻(くすぶ)っている。


 しかし、今の山添に必要なのは技術ではない。己を知ることだ。ただ、救いなのはそれを知るヒントはある。


『ソフトフォワード』


 いや、自分のプレーが由美にそのように見えたのなら、藤本もそれに賛同したのなら、ヒントではなくそれが答えなのだ。しかし、その答えが山添には理解出来ないでいる。


山添が踏み台を置いた。


菅谷がその上に立った。


 見上げることなど、バスケットを始めてからただの一度もなかった。これが自分と巨人の揺るぎない差であると言うのか。


 モヤモヤが消えないまま目の前に聳(そび)える人の壁を見ながら、山添はそれと相俟(あいま)って膨(ふく)れ上がる巨人の脅威をどうしても感じずにはいられなかった。


 三年生は既に加賀美が踏み台の上に立っていたので、そのまま練習開始と思われた。しかし適切な高さに慣れろと言う藤本の指示もあったので、加賀美は一旦降りて高さの調節をしようとした。


 すると、それを見た早田が、


「滝瀬、お前が先に乗れよ」


 と、言った。


「何で?」


 滝瀬は深く考えず、条件反射的にそう言い返すと、


「付けたり外したりするのは面倒くさいだろ。滝瀬が先に乗れば、高さの調節は一回で済むからな」


 と言った。


 それはごく普通の会話だった。不断なら、誰も何も気にすることはない、ありふれた会話だった。


 しかし、この何気ない一言が、心の奥底に溜め込んで来た自己否定の塊に亀裂を生じさせた。


 滝瀬はこれを切っ掛けに、次の日から練習に来なくなった。

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