第四章 インターハイ予選 七 まさかの来訪
試験開けの練習が行われたのが一昨日(おととい)の金曜日。
昨日の土曜日、滝瀬は姿を現さなかった。
加賀美は滝瀬と同じクラスなので、登校していたのは当然知っている。中学からの付き合いなので、それなりに滝瀬のことは知っているつもりでもいる。朝、教室に入ってきた滝瀬を見ても、特段変わった様子を加賀美は感じなかった。強いて言えば、いつもよりも憂鬱(ゆううつ)そうに見えたが、もともと寡黙(かもく)な方なので気にしなかった。
異変に気づいたのは、午前中の授業が終わった後であった。
加賀美が練習前の軽い昼食を取り始めたとき、滝瀬が教室を出て行くのを見た。多分売店に行くんだろう。最初はそう思った。しかし、手にはスクールバッグを持ち、練習着を入れるはずのリュックを滝瀬は背負っていなかった。加賀美はそれで《おやっ》と思った。
まさかとは思ったが、悪い予感は的中した。
「滝瀬はどうした?」
と藤本に問われたとき、加賀美は咄嗟(とっさ)に、
「体調が優れないので帰ると言ってました」
と嘘をついた。
いや、それは嘘ではなく、滝瀬に確認していない以上、本当かもしれない。しかし、加賀美に何も告げず帰ったのはやはりおかしい。
今日、加賀美はいの一番に学校へ来た。無論、滝瀬が来るかどうか、それを誰よりも先に確認したいからである。練習着を着て加賀美はいつも使っている出入口を見ていたが、しかし滝瀬が現れる気配は感じられなかった。
「加賀美」
加賀美は振り返った。日下部が近づいて来ていた。
「滝瀬のやつ、今日も来ないのか?」
「分からん」
今のところ、コートにいるのは加賀美と日下部のみ、と思っていたところへ、清水が用具室から出て来た。
「どこが悪いんだ?」
再度確認のために、日下部が尋ねると、
「あれは、嘘だ。多分」
「どう言う意味だ?」
「昨日、あいつは何も言わずに帰った。リュックも背負っていなかった」
「リュック?」
「練習着を持って来ていなかった」
「……もっと分かりやすく言ってくれないか」
加賀美は返事をせず、ただ神妙な顔をするだけだった。
「……まさか、辞めるって言うんじゃないだろうな」
日下部が小声で言った。
「だから、分からんと言ったんだ」
「辞める理由なんて無いだろ」
「俺もそう思う。しかし……あいつとは中学の時からずっとバスケをしてきたが、練習を休んだことなんて、ただの一度も無かった。サボるなんてあり得ない……それが何の断りもなく二日も続けて休むとなると……」
と、ここで早田が近づいて来た。
「真面目くさって、何話してんだ」
早田がそう言うと、つい今し方話し合ったことを日下部が伝えた。
それを聞いた早田は加賀美と日下部同様、苦虫(にがむし)を噛み潰(つぶ)したような顔つきになった。
「心当たりはないのか」
「無い」
とだけ、加賀美は言った。
「あいつ、何やってんだよ。これからだって言う時に……」
「加賀美、先生には俺から伝えておく。熱が引かないってことで良いな」
「そうだな」
「早田も、この事は……」
「分かってるよ。それより、もし明日も来なかったら、どうする?」
「俺が奴と……」
「待て」
加賀美が日下部を制した。
「あいつとは、俺が一番長い付き合いだ。俺に任せてくれないか?」
「……頼む」
切りの良いところで話を終えられたようだ。用具室から着替えていた者達がぞろぞろと出て来た。
「じゃあ、そう言うことで」
と言うと、日下部は藤本が来るのを待った。
昨日(きのう)、一昨日(おととい)は藤本の考案した練習と洋の提案した練習に時間を費やした。中越平安との実戦に備える練習は、未来の状況把握をする上で必要不可欠である。特に、指揮官である藤本には、困難に陥った時の打開策を講ずる柔軟な思考が求められる。イメージトレーニングは何も選手だけがするものではない。
今日はそれに加えて、対中越平安戦に特化した練習がもう一つ始まろうとしていた。ビデオを見た日に藤本が伝えた外周である。
本日の外周は4周。1周あたり約1・2キロ強。計約5キロ。
外履きに履き替えたメンバーは体育館の近くにある通用門から外に出た。
最後に出て来たのは藤本と由美だった。由美はエクセル表で作成された名簿を挟んだクリップボートとストップウォッチをその手に持っていた。
藤本はクリップボードを渡すように由美に伝えると、
「前回やった外周の平均タイムは約24分。トップは早田の18分50秒。ワーストは菅谷の26分。今回は一年も入ったことだし、是非前回の記録を破ってもらいたい。特に、立花」
「はい」
「お前は中距離の選手だったから、期待してるぞ」
「あっ、はい」
藤本は由美にクリップボードを返すと、由美はストップウォッチのボタンに親指を当てて、
「じゃあ、行きます。用意、スタート」
と言って、ボタンを押した。
外周の方向は現地点から正門に向かって反時計回りである。
外周の経験者である二・三年生はすぐにスタートを切ったが、初めての一年は時計回りなのか反時計回りなのかが分からず、一瞬立ち往生した。
奥原が洋とぶつかった。
「すみません」
洋が謝ると、
「俺も慣れてないから」
と言って、走り出した。
それを見た由美は、走り去る皆を見送った後、
「言うの忘れちゃった」
と呟いた。
藤本はそんな由美を見ながら、もしこれが奥原だったら注意が足りないと言って怒っていただろうかと、ふとした事に気を取られた。
スタミナの差は一週目で早くも現れ、立花が打っ千切りで一週目を通過、少し遅れて早田、更に少し遅れて笛吹、日下部が立花の後を追った。
スタミナが無いと自覚している洋は、加賀美、山添、目、鷹取が形成している三番目の集団に何とか食らいつき、予想外の奮闘を見せていた。
ラスト4週目になっても立花の勢いは衰えず、そのまま一着でゴールインした。
「羽田、タイムは幾つだ?」
藤本が尋ねると、
「18分3秒です」
と答えた。
「さすがは元陸上部だな。まさか、早田がこんなにも差を付けられるとは思わなかった」
「そんな大した記録じゃないですよ。高校男子5000の平均タイムがこんなもんですから。上には上がいるんですよ」
「これで平均なの。信じられない」
由美は唖然(あぜん)とした。
「そう謙遜(けんそん)するな。あれだけ走った後でも、お前の息は乱れることなく、俺の言ったことに平然と答えている。お前のスタミナは間違いなく武器になる」
立花は感情を表に出すタイプではない。どちらかと言えば飄々(ひょうひょう)としている。クールと言えば聞こえが良いかもしれない。それでも褒(ほ)められればやはり嬉しいものだ。立花の口元が少し緩んだ。
「お前が笛吹に教えを請うのは決して間違っていないと思う。だが、それだけでは不十分だ」
と、ここで早田がゴールインした。タイムは18分41秒だった。
藤本は早田のゴールを気にすることなく、
立花を見たまま話を続けた。
「他に何かあるんですか」
「中越のシューティングガードに漆間(うるま)という奴がいる。先日見たビデオ、覚えてないか」
「確か、7番でしたよね。速攻に出るのが速かった……」
「奴の動きはお前の今後に役立つ可能性が高い」
「どうしてですか」
「速攻に対する切り替えの早さを身に付ける事が出来れば、矢島のパスの選択肢が広がる。それは攻撃の幅を広くするということだ。矢島の視野が広いとは言っても、受け手側がそれに対応出来なければどうにもならない。俺が考えている動きをお前が可能にするためには、底無しのスタミナが必要だ。それに近い動きをしているのが漆間だ。分かるか?」
「はい」
「お前の目標は新人戦だ。腰を据えて練習に取り組め。いいな」
「はい」
藤本の立花に対するこの言葉は明らかに将来を見据えた発言である。裏を返せば、洋達の世代が主役となる時までは、立花の出番は無いと言われたことに等しい発言でもある。
しかし、それでも立花は嬉しかった。先生が何を考え、何を自分に期待しているのか、はっきりと理解出来たからだ。
これまではただ漫然と練習しているに過ぎなかった。目的意識が定まらなかった。だから、自分に出来ることは何なのか、このチームで生き残るためには何が必要なのか、考えに考え倦(あぐ)ねた結果、それがスリーポイントを的確に決めるという事だった。そうして出した自分の結論に対して、藤本は背中を押すように道筋を示してくれた。先生は俺のこともちゃんと見てくれている。
由美は藤本の発言を聞いて、思わず胸が熱くなった。
そんな最中(さなか)、笛吹、日下部、山添、加賀美、目が続けざまにゴールイン。それから少し遅れて鷹取、洋、またそれから少し遅れて、菅谷、奥原、それから更に遅れて最後に清水がゴールインした。
藤本は由美からクリップボードを受け取ると、前回のタイムと見比べながら、
「三年生は、まあまあ大体こんなものか。悪くはない。山添は入部した頃と比べると、かなり伸びたな。目はこれが初めてだが、山添と同等のタイムを出せたと言うことは、課題のスタミナもまずはクリアしたと見て良いだろう。
「鷹取は、帰宅部時代だった中学のことを考慮しても、これでは……お前は徹底的に基礎練習を積んでいかなければいけない」
「それは分かってます」
「ならいい……矢島は、まだ頑張れるか?」
「伸びしろはあると思っています」
「スタミナ克服がお前の永久課題だ。それ次第で山並の闘い方が変わる。分かるな」
「はい」
「菅谷」
「はい」
「お前は前回よりも落ちてるぞ」
「えっ?」
「緊張感が足りん。もう一周して来い」
「はい」
菅谷は焦って返事をすると、慌てて走り出した。これ以上雷を落とされたくないと思ったのだろう。
由美がクスッと笑った。
「羽田」
「はい」
「お前も走るか」
「あっ、いや、また今度にします」
「最後に、奥原と清水だが、これでは困る。もう一周して来い」
「はい」
二人同時に返事をすると、奥原と清水は菅谷の後を追った。
「残りの者は体育館に戻って練習の準備だ」
藤本は一本筋の通った声でそう言うと、踵(きびす)を返して歩き出した。
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