第三章 春季下越地区大会 十四 決勝

 片や立志サイドでは、塚原が休んでいる選手に向かって第三クォーターに向けての戦術を話していた。


「ボックスワンはまだ発展途上と言わざるを得ないが、それでも17番のスタミナはかなり奪えたはずだ。目的はまずまず達成出来たと言える。福田、後半も徹底的にマークして奴を抑えろ」


「先生」


「何だ?」


「どうして、あのタイミングで止めたんですか」


「ボックスワンのことか」


「時間は残り1分を切っていました。あのまま続けていても何の問題も無かったと思います」


「今知りたいか?」


「はい」


「答えはもう言ったぞ」


「えっ?」


「目的は果たした。あれ以上続けていたら、後半戦に引きずっていた」


「何をですか」


「イライラし過ぎるな。PGが感情を剝き出してどうする?」


 福田はハッとした。


 塚原はそれを見ると、少し笑って福田の肩を叩いた。


「次に山並の得点だが、昨年までは5番の早田がポイントゲッターだったが、この試合に限って言えば、一年生の12番が稼ぎ頭だ。松山、12番にはお前が付け。野上は出来るだけ攻撃に専念しろ。お前の得意とするスリーポイントを狙え」


 松山と野上がそれぞれ、


「はい」


 と返事をした。


「それから、野上……」


「はい」


「8番にはお前が付くことになるが、無理はするな。あれは放っておいても勝手に熱くなる。上手くいけば、5ファウルで退場だ」


「はい」


「得点差は8点だが、これは射程距離内だ。第三クォーターまでこの得点差を維持出来れば、うちの勝ちだ。いいな」


 塚原の檄(げき)に最後は全員で、


「はい」


 と力強く返事をした。


 10分のハーフタイムも残り3分となった。


 両チーム共に、コートに出るとアップを開始した。


「ねえねえ」


「何?」


「あの青いユニフォームの17番なんだけど……」


「一番背の低い子?」


「そうそう。あの子、試合中、私を見ていたような気がするんだけど」


「えっ?」


「気がつかなかった?」


「全然」


「気のせいかな」


「何か思わせぶりなことでもしたんじゃないの?」


「するわけないでしょ」


「波原にそのつもりが無くても、美人はちょっとした素振りで、そう思わせるものだからね」


「あの子とは会ったこともないのよ」


「ほら、さっき玄関のところで……あの中にいたんじゃないの」


「えっ、いた?」


「一目惚れだったりして……」


「そんな事ないわよ」


「いいのかな、それで。福田に言っちゃうぞ」


「もう、やめてよ」


「モテる女は辛いわねえ」


 癪(しゃく)に障(さわ)る言い方に、波原は更に言い返そうとしたが、言えば言うほど自分の首を絞めかねない。


 波原はコートにいる福田に目を向けて、耳を傾けないようした。


「洋さん、後半も出るかしら?」


 同じ洋絡みでも、こちらは信子が心配を隠さないでいた。 


「どうして?」


「洋さん、少し疲れているように見えたし、あまり体が丈夫じゃないから」


「それに緊張もしてるだろうな。初の公式戦で、いきなり優勝候補と対戦しているんだからな」


「あなたもそうでした?」


「どうだろう?もう昔のことだからな。でも、やっぱり緊張していたと思うよ」


 信子はコート上でドリブルの感触を念入りに確かめている洋を見た。洋は信子の心配を吹き飛ばすかのように、軽快な動きを見せていた。しかし、そんな洋の姿を見ていればいるほど、なぜか祈りたくなるような気持ちにならずにはいられなかった。


「どうやら始まるみたいだぞ」


 アップをしていた選手達がそれぞれのベンチに引き上げた。


 山並は、藤本を囲うように全メンバーが立って話を聞いている。


「話が終わったみたいですね……あれっ?」


「どうやら、洋はベンチのようだな」


 第三クォーター、山並の先発は洋に代わって日下部が入った。


 それを見た福田は、


《17番が下がった》


 と胸の内で呟いた。


 これまで福田が幾度も対戦した相手は日下部である。第一クォーターが始まるときも、日下部が出ないことに驚いていた。しかし、前半戦を戦い終えた後、福田の脳裏は洋一色になっていた。福田にとって背番号17はこれまで見てきたどのポイントガートとも異なっていた。何をしでかすか分からない、先の読めないプレーヤーだった。《日下部が出て来た》とは思わず《17番が下がった》という思いは、まさしく得体の知れない洋からの解放が思わせたものであった。


 第三クォーターは山並のスローインで始まる。


 日下部がサイドラインの外に出た。


 山並のメンバーも各々ポジションに付いた。


 立志もマークに付いた……


 だが、それを見た時、藤本は、


《おやっ?》


 と思った。


《マークが入れ替わった》


 藤本は思わず苦笑いをすると、


「目、山添、お前等もこのままで行け」


 と指示を出した。


 二人は藤本を見た。二人の様子に別段変わったところはなかったが、藤本の指示は伝わったようだ。


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作品のお知らせ


カクヨムでは『サブマリン』を連載中ですが、kindle、iBooksでは有料で作品(長編二作、中編一作、短編多数)を公開しています。ただ、有料と言いましても、それほど高いものではないので、是非手にして頂けたらと思います。




本日の紹介作品

タイトル:Kill The Japanese


 400字詰め原稿用紙換算枚数788枚(縦書き)


 小説の構成


 第1章 東京の思い出

 第2章 パール・ハーバー

 第3章 東京大虐殺

 第4章 生き残りし者の義務



 前書き


 『Kill The Japanese』と言う小説を書き始めたのは、2001年9月のことです。

 いずれは書きたいと思っていた小説で、派遣社員としての契約が8月いっぱいで終了したことから、これを契機に書こうと思うに至りました。

 物語の展開は東京大空襲にスポットを当てた四部構成となっており、『戦争に正義はない』というテーマのもとに書き進めました。

 ただ、これだけを見ると、日本人が主人公のように思われるでしょうが、実はアメリカ人なんです。

 彼の名前はフランクリン・スチュワート。

 この小説を書き終えた後、伝を頼りにある大手の出版社の方に読んで頂きましたが「アメリカ人を主人公に据えたのが面白い」と言うのがその方の書評の一つでした。

 まあ、これについては後で書くとしまして…

 2001年9月と言えば、アメリカで同時多発テロが起きた年です。

 この事件は本当に衝撃でした。

 もちろん、事件そのものに対する衝撃もありましたが、奇しくも戦争にスポットを当てた小説を書く矢先の出来事でしたから、自分のやろうとしている事がまさに天命のように思われてなりませんでした。

 9月から翌年2月までの半年間、全く働かず貯蓄を切り崩して生活していました。

 本当に、朝から晩まで書き続けました。

 色々な意味でしんどかったですけど、好きなことに一日中没頭出来たのは、幸せなことでした。

 そうして、完成したのが2002年7月。

 先程も言いましたように、伝を頼りにある出版社の方に読んで頂いたわけですが、この時は、本当に怖かったですね。友人知人に自分の書いた小説を読んでもらったことはありますが、プロの書評を頂くのはこれが初めてでしたから。何を言われるんだろうとビクビクしていました。

 頂いた書評は直接ではなく、伝を通して間接的に聞きました。

 当然のことながら、長所短所を指摘されたわけですが、言われた事には全て納得しました。

 プロってすげえなあと心底思いました。

 特に、短所に関しては自分自身も気になっていた箇所だったんですよ。ですから、それらをズバッと言われた時は本当に恐れ入りましたの一言でした。

 もちろん、長所もありまして、時流に乗れば売れると言われたことはそのひとつでした。

 その後、この小説は出版社の5人の幹部にも読まれたわけですが、賛否両論の末、見送りとなりました。

 辛かったですねえ~

 精魂込めて書き、この小説に自分の人生の全てを賭けたわけですから、お先真っ暗でしたよ。

 ただね、これを機会に自分が書き続けられる小説は何だろうかとも考えるようになりました。

 それで書いたのが『ようこそ、守谷家へ』です。

 まあ、これに関しましては、また別の機会に書くことにしまして…

 この小説の良いところは丁寧に書いてあることだそうです。 

 ですから、当時を知らない若い方が読まれても、この時代に感情移入しやすいのではないかと思っています。

 読み終えた後で、何かしら考えることがあり、それが読まれた方々の人生に少しでも役に立ったなら、嬉しく思います。 



 あらすじ


 時は西暦1935年。

 アメリカはニューヨークから、一人の白人青年が東京の下町である三筋に降り立った。

 彼の名前はフランクリン・スチュワート。

 幼少の頃に母親と死別。その後は、日本人の乳母である加藤ハツに育てられ、彼女を実の母親のように慕うようになった。

 しかし、ハツもまたガンで亡くなった。

 三筋を訪れたのは、ハツが育ったと言われる東京の下町を見たかったからである。

 三筋には、父の仕事仲間であるマケインの友人、村上源次郎・君子夫婦が住んでいた。

 彼は村上夫婦に東京の下町を案内してもらった。

 ところが、村上夫婦と接しているうち、彼は次第次第にこの夫婦に理想の父母を見るようになり、ついには、お父さん・お母さんと呼ぶまでになった。

 しかし、温かい気持ちになれたのも束の間、時代はいつしか戦争に突入。

 フランクが再び東京の地に足を踏み入れる事が出来たのは、焼夷弾で瓦礫の地となった終戦直後の事であった。

 これは、日本人に愛情を注いでもらった一人のアメリカ人が、戦争によって得た経験から『戦争に正義はない』と考えるに至った、数奇な運命の物語です。

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