第58話 令和3年6月2日(水)「茶道部例会」矢板薫子
よく手入れされた長い髪を優雅にかき上げると、亜早子は「以上が昨日話し合われた内容です」と報告を締めくくった。
時に人を見下すような態度を取ることがあるものの、確固たる己というものを持った少女だ。
いつものように堂々としていると言いたいところだが、今日の彼女はわたしの目にはどこか苛立っているように見えた。
放課後、茶道部の例会が行われている。
和室の広間に車座となって8人が座布団の上に座っていた。
3年生が部長を含め3人、2年生がわたしと亜早子、そして今回から1年生3名が加わった。
きちんと正座している中でただひとり胡座を組んでいる
隣りに座る
「臨玲高校は近年評判を落としています。直接の原因は学園長と理事長の派閥争いだったり、高階さんの問題だったりしましたが、それらの影響を受けて生徒の箍が緩んでいるのかもしれません」
茶道部部長のゆかり様は正座姿も非常に美しい。
背筋が伸び、制服姿でも様になっている。
ここにいるのは日常の所作が洗練されていて、作法の先生から褒められるのが当然といった面々ではあるが、ゆかり様はその中でも群を抜いていた。
茶道部の部長ということで権力者と見られ、悪し様に言われたり恐れられたりすることもある。
だが、彼女を良く知る部員たちの多くが敬愛の念を持って接している。
「改革の理由を聞くと応援したくなるね」と湊様が感想を述べ、暁様は「だけど、できるのか?」と疑問を呈した。
昨日、生徒会長が打ち出した方針は部活動の掛け持ちを禁止することと、1、2年生の部活または委員会への所属を強制化することのふたつだ。
わたしは昨日のうちに亜早子から会議の内容について知らされた。
この方針自体は直接茶道部に影響を与えるものではない。
しかし、間接的には見過ごせない大問題を孕んでいると思われた。
「1年生の生徒会長は、茶道部がどちらの側につくか態度を明確にするよう迫っていますね」
わたしがその可能性もあるのではと考えていたことを部長が断言した。
そうかと納得していると、1年生たちが話について行けないという顔をしていることに気がつく。
どう説明しようかと悩んでいるうちに湊様が「生徒会の方針にOG会は強く反対するでしょう。そうなった場合、茶道部は生徒会につくかOG会につくか中立を守るか決めることになると思うの」とフォローを入れる。
「OGはゴチャゴチャうっせーんだよ」と非難する暁様を、部長は「お姉様方のお力添えがあって茶道部はいまの環境があるのです。それは暁も理解しているでしょう?」と柔らかな口調で諭す。
「あと1年したら私たちもOGだよ。暁は卒業しても顔を出して後輩にウザがられるタイプだと思うな」と湊様が笑い、暁様は「ケッ」とそっぽを向いた。
茶道部は由緒正しい家柄でないと入部が許されない。
そのためここで構築されたネットワークは卒業後も大変有益だ。
臨玲のOG会は茶道部OGが中心を担う。
従って茶道部が生徒会の側に立ってOG会と敵対することはあり得ないことだった。
亜早子が生徒会長の依頼を受諾せずに部長にお伺いを立てる判断をしたのはそういう背景があってのことだ。
おそらく自分で決められなかったことが彼女の苛立ちの原因だろう。
たいていのことなら事後報告で済むが、OG会との対立となれば彼女ひとりで決断することは難しい。
「私も最近のOGの振る舞いを見ていると暁の気持ちも分かるんだけどね」と湊様が苦笑した。
実はいま茶道部にはOGからの問い合わせが殺到している。
2年生3年生はその応対に大わらわだ。
先月開催された茶会に初瀬紫苑という1年生が参加した。
彼女は若手では屈指の人気女優であり、女性からもカリスマ的な扱いをされている。
それでいてマスコミやメディアへの露出は少ない。
また彼女が所属する事務所はガードが堅く、特権をかざして接触することができないらしい。
そのため初瀬紫苑と会わせろだの、彼女が出席することを知らせないとは何ごとかだの、次の茶会に自分を招待して彼女も呼べだの数多くの無茶なお願いが部に寄せられている。
OGたちの後輩に対する言動は威圧的なものが多く、わたしは心が削られる思いを味わっている。
神奈川県にまん延防止等重点措置が発出していることを理由に断っているが、すんなりと応じてくれる人ばかりではない。
理事や教師を通して圧力を掛けてくる人、校外(他県)での茶会開催を目論む人、お金や権力で有無を言わせない人、脅迫する人など様々だ。
部長は今月はそれで乗り切れるとしても来月は難しいという見通しを立てている。
個々人でこれなのだから、OG会として結束されたらひとたまりもない気がする。
わたしは「これまで同様、中立を目指すべきでしょうか?」と部長にお伺いを立てた。
学園長と理事長との対立では、学園長に与した生徒会とは異なり茶道部は中立を保った。
いまの状況を見ればその判断は正解だったと言えるだろう。
現在の生徒会には理事長が背後にいるため一筋縄ではいかないと思うが、OG会相手に太刀打ちできるとは思えなかった。
「生徒会は代替わりしました。これから彼女たちと長くつき合うのは貴女がたです。この件に関して茶道部の方針をどうするかは私たちが口出しすることではありません」
ゆかり様はそう述べると何ごともなかったかのようにペットボトルのお茶を手元のグラスに注ぎ口元に運んだ。
湊様は静かに頷いている。
暁様も「そりゃそうだ」と納得の声を上げた。
「しかし……」と巨大な責任が突然重くのし掛かったように感じてわたしは呻いた。
「OG会は決して一枚岩という訳ではありません。そうですね、3年生が卒業するまでは暴走しないように押さえましょう。湊、暁、いいですね?」
部長の発言に「マジかよ」と暁様が嫌な顔をしたが、「可愛い後輩のためじゃない」と湊様に押し切られた。
わたしは自分の考えを整理する時間を稼ぎたくて「1年生はどう思いますか?」と話を振った。
これまで会話に参加できなかった1年生たちは顔を見合わせる。
そして代表するようにその中のひとり、三浦さんが「申し訳ありません。OGの方々について1年では判断できません」と頭を下げた。
ほかのふたりも追随する。
これまでOGとのやり取りは上級生が行っていたし、入学してまだ2ヶ月程度の彼女たちでは分からないのももっともだ。
「ごめんなさい、そうですね。では、確か三浦さんは生徒会長と同じクラスでしたね。彼女についてどう思いますか?」
わたしは謝罪した上で切り口を変えてみる。
亜早子や先輩たちはこの新しい生徒会長の人となりをある程度掌握しているが、わたしは言葉を交わす機会がほとんどなかった。
彼女について亜早子から話は聞いているが、ほかの視点でも聞いてみたいと思ったのだ。
三浦さんは部長に次いで正座姿が板についている。
高級旅館の跡取り娘らしい。
穏やかそうな顔つきだが、芯はしっかりしているようだ。
彼女はしばらく考え込んでいた。
やがて躊躇いがちに口を開く。
「それほど話したことはないのですが、とても危険な人だと感じました」
「危険、ですか?」と問い返すと、「はい」と首を縦に振る。
生徒会長は大柄で目つきの険しい女性だ。
大人っぽく堂々としていて歳下ということを感じさせない。
確かに近くで見て怖い感じはした。
だが、危険という言葉のイメージにはそぐわない気もする。
「危険と言ってもいろいろありますよね? どういう感じの危険なのでしょう?」
周りを見れば亜早子や先輩たちは危険という言葉にある程度心当たりがあるような顔をしている。
わたしひとりが取り残されたように思ってしまう。
さすがに暴力的ということはないよね?
暴走したら止められないというのはあり得そう。
今回だってそういうことかもしれない。
あるいは権力を笠に着るタイプとも考えられる。
生徒会長となったのだから、前会長の芳場さんよりも強権的に行動する可能性も……。
そんなことを考えていると、ようやく三浦さんが「うまく言えませんが、近づかない方が良いと思います」と答えた。
わたしの質問の答えにはなっていない。
ただ畏れのようなものは感じられた。
「やはり生徒会とは距離を取った方が良さそうですね。亜早子はそれで良い?」
「……遅いかも」と亜早子はポツリと言った。
「え?」と聞き返すと、「もうあたしたちがどんな結論を出そうと、逃げ出せないんじゃないかって思う。人より何手先も読むような……読んで手を打っているような人だから」と苦々しげに彼女は答えた。
誰も亜早子の言葉を否定しようとしない。
わたしは彼女たちが感じる危険がどういうものか分かった気がした。
それでも「そんなことができるの?」と呟いてしまう。
「私も用意周到な人だと思います。これまで私たちは彼女の手のひらの上で踊らされているのかもしれません」
部長の口調は淡々としたものだが、内容は衝撃的だ。
油断があったとしても1年生相手にこの部長が後れを取るなんて信じられない。
わたしは泣きたくなるのを堪えて縋るようにゆかり様を見つめた。
彼女は穏やかな顔つきで言葉を続ける。
「彼女は私ができないことをやり遂げました。だから、心より尊敬しているのです」
この言葉はほかの3年生にも驚きを与えたようだ。
いまの臨玲にはお嬢様学校と呼ぶに相応しい要素がほとんど残っていない。
唯一それを引き継いでいるのが茶道部だ。
その部長はわたしたちの憧れだ。
それだけに尊敬という言葉で下級生を語られるとどうしていいか分からなくなってしまう。
困惑するわたしは助けを求めるように「亜早子はどうしたい?」と尋ねた。
彼女にとってもゆかり様は特別な存在であるはずだ。
ショックを受けていると思うが、ここで何かを語れるとしたら彼女しかいない。
「あたしは……、あたしは自分の力を試したい」
彼女は迷いを振り切るように力強く言った。
みんながその言葉の先を聞きたくて視線を向ける。
「あたしなら生徒会長よりも上手くすべてを成し遂げられると思っているの。駆け引きをするのではなく、実力で彼女をねじ伏せて見せる」
自信に満ち溢れていて、わたしは素直に羨ましかった。
わたしでは絶対に言えないセリフだ。
考えてみれば亜早子は1年生に主導権を握られて黙っていられる性格ではない。
昨日はグッと我慢をしたのだろうが、今日の大言壮語を吐く姿こそ彼女らしいと言える。
「わたしは次期部長として亜早子をサポートします。ですから、この件は彼女の好きなようにさせてください」
うまく行かないかもしれない。
茶道部が危機を迎えるかもしれない。
しかし、それで死ぬ訳ではない。
亜早子と一緒に落ちるところまで落ちてしまえばいい。
傷をなめ合ったっていいのではないか。
彼女となら地獄にだってつき合うよ。
普段のわたしからすれば一世一代の決断だ。
失敗を恐れ、一歩を踏み出す勇気を持たないわたしからすれば。
「薫子……」と亜早子が潤んだ瞳をこちらに向けた。
「亜早子……」とわたしも熱く呼び掛ける。
周りが見えなくなっていたわたしたちに「続きは茶室でしろ」と暁様がからかうように言った。
わたしはハッとして顔を真っ赤に染めるが、亜早子はキョトンとした顔で「続きって何ですか?」と尋ねる。
「部長命令だ。薫子、ちゃんと教えておけ」と部長ではなく暁様が見事なウインクとともにわたしに命じた。
††††† 登場人物紹介 †††††
矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。例会メンバーのひとりで次期部長に指名されている。
加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。生徒会クラブ連盟長。自信家であり、そのための努力は惜しまない。
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母は臨玲の理事。丁寧で粘り強い交渉能力を武器とする。
湯川
榎本
三浦ゆめ・・・臨玲高校1年生。高級旅館の跡取り娘。可恋と同じクラス。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。中学時代は”魔王”の愛称で恐れられた。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。令和元年のクリスマスに大ヒットした映画でブレイクした女優。発言に危ういところがあるので事務所が露出をコントロールしている。
芳場美優希・・・臨玲高校3年生。現職の首相の娘。前生徒会長。
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