第125話 令和3年8月8日(日)「空はどこまでも繋がっている」湯崎あみ

「とてもお美しくなられましたね」


 そんなお世辞をわたしは笑顔でやり過ごす。

 思い出の地となった軽井沢だが、つかさがいなければ特別でも何でもない。

 今日は先週行えなかった埋め合わせのパーティーに参加している。


 紳士淑女と呼ぶには若い面々が集ったパーティーはコロナ禍により新しいマナーの下で開催されている。

 意識の高い人々の集まりということで会話の際はマスクを着用し、会場のあちこちには消毒液が置かれている。

 顔が見えないのにお美しいと言われてもねと苦笑したくなるが、マスクの下で口角を少し上げる程度に抑えて顔に出さないように気をつけていた。


「あみ様もこちらにいらしたら?」と声を掛けてきたのは同じ臨玲高校の生徒である吉田さんだ。


 その言葉の裏には「そんな隅っこで休んでいなくて来客をもてなせ」という意図が込められている。

 このパーティーは彼女が主催する形で開かれているし、わたしは彼女に大きな借りがあった。

 わたしは目に笑みを浮かべ、溜息は心の中だけにとどめる。

 ゆっくりと人々の輪の中に入っていき、「どんなお話をしていらっしゃるの?」と関心を態度で示した。


「湊様が本当にお綺麗で、その秘訣を伺っていましたの」と隣りの女子が説明してくれた。


 わたしもひときわ注目を集めている女性に目を向ける。

 視線の先には吉田さんの友人である湯川湊さんが優美なドレスを身に纏って佇んでいた。

 ヨーロッパ育ちと聞くが、実際に他の人とは一線を画すほど洗練された物腰をしている。


 彼女も同じ臨玲高校の生徒だが吉田さんと違ってほとんど面識はない。

 顔立ちはちょっと癖のある感じだ。

 だが、スタイルが良く人目を惹きつける魅力を持っている。

 この年代だと彼女のように意志の強さを明確に表に出す人の方が人気を集めやすい。

 裏で調整することに長けている吉田さんのようなタイプは不利だ。

 ましてや意志の強さが欠片もないわたしなんて空気のような存在だろう。


 一世一代の勇気を振り絞り、つかさに告白して一週間が経つ。

 しかし、神奈川に戻ってからは一度も会う機会が作れなかった。

 わたしは受験生だし、彼女も夏季講習があって多忙だったからだ。

 それでも、いままでは理由がないと連絡を取り合うことさえ覚束なかったのに用事がなくてもLINEや電話をできるようになった。

 非常に大きな前進だ。

 苦労をした甲斐があったというものだ。

 もちろん実際に会って話をしたい。

 同じ空間で、手を伸ばせば触れ合える距離にいたい。

 思いを伝えたいまも胸が焦がれることに変わりはない。

 インターネットを通してではなく、リアルで逢う価値の高さを改めて実感した。


 つかさに会う時間を少しでも作ろうと、わたしはなけなしの気合を込めてこのパーティーに行きたくないと両親に訴えた。

 友だちと直接会うことの大切さを切々と語ったが、「それが分かるならパーティーの大切さも分かるはずよ」とブーメランとなって返って来た。

 夏休みが終われば毎日会える高校の友人と長期休暇の時しか会えないパーティー客とを比べられるとそれ以上は反論できなかった。


「顔に出ていますよ」と吉田さんに注意される。


 彼女にはつかさをこのパーティーに呼ぶことを提案されたが断ってしまった。

 もう少し時間があったなら、つかさにパーティーのマナーを身につけさせたのに。

 手取り足取り……。


「つかさ、ダメよ。こうするのよ」とわたしは彼女の腰に触れて姿勢を正す。


「先輩……」とくじけそうになったつかさは潤んだ瞳をこちらに向ける。


「つかさ!」「先輩!」


 ふたりは固く抱き締め合い、そのまま……。

 と、妄想に耽っていると「聞いていますか?」と吉田さんの表情が心配そうになっていた。

 わたしは慌てて緩んだ顔を引き締め「ごめんなさい。大丈夫です」と返事をした。


 パーティーの経験が多少はあると話していた1年生の後輩みるくちゃんには声を掛けた。

 だが、彼女は「つかさ先輩に悪いですよ。それに課題を早めに終わらせておきたいので」と誘いに乗らなかった。

 今年の1年生にはかなり手間の掛かる課題が出ているようだ。

 それに夏休みの終盤は生徒会の短編映画のお手伝いをすることになっている。

 わたしはつかさと会えることにしか意識が行っていなかったが、夏休みの課題が多い下級生たちは大変みたいだ。


 今日は男の人からもよく声を掛けられるなんて思っていると、ようやく集団から解放された様子の湯川さんが近づいてきた。

 あんな風に囲まれていたら、わたしなら5分で逃げ出してしまうだろう。

 彼女は疲れた顔も見せずに、高貴な態度を保っている。

 ひとりでいるとまた人が集まってくると考えたのか、わたしに「ちょっとつき合って」と声を掛けた。


 ふたりでバルコニーに出る。

 風は冷たいと感じるほどだ。

 夕方に降った雨は上がり、夜の帳が下りようとしていた。


 彼女は「失礼」と胃ってマスクを外すと小さなバッグから取り出したウェットティッシュで口元を拭う。

 鮮やかな赤のルージュが引かれた唇に思わず見入ってしまった。

 会場内の喧騒がBGMのように遠くに聞こえ、虫の鳴き声が主役の座を取って代わった。

 少し離れただけなのに、別世界に来たような隔たりが感じられる。


「こっちのパーティーは行儀良すぎて退屈」


 わずかに眉をひそめて彼女は言った。

 わたしからするとパーティーとは混沌の極みのような存在であり、マナーというシールドでかろうじて身を守ることができる場所だ。

 彼女からは違う光景が見えているのかもしれない。


「隣の芝生は青いってだけなんだろうけど、手が届かないと思うと、ね」


 そう言って湯川さんは空を見上げる。

 雲の切れ間から星は見えたが月は出ていなかった。

 つかさはいま何をしているんだろうと、わたしは夜空を見て思う。

 そして、湯川さんは空を見上げて誰のことを想っているのだろうともの悲しい横顔を見て思った。


「先輩、飲み物をお持ちしました」とバルコニーに少女が現れた。


 手にトレイを持ち、透明の液体が入った細長いグラスがふたつ載せられている。

 快活そうな面容の彼女は真砂まさごさん。

 今年臨玲に入学したと聞いている。

 社交性に富み、こうしたパーティーでは常に存在感を示す人だ。


「ありがとう」と湯川さんがグラスに手を伸ばす。


 遠慮しても悪いと思い、わたしも「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べてからグラスを受け取った。

 甘くないソーダ水が喉に心地いい。

 わたしは「冷えますし、そろそろ戻りましょうか」と声を掛けた。


「そうね」と湯川さんが頷き、グラスを返すとマスクを整えて歩き始めた。


 わたしもあとを追おうとしたら、真砂さんから「湯崎様、少しお話をしてもよろしいですか?」と問い掛けられた。

 驚いて、「わたし?」と声を上げてしまう。

 湯川と湯崎で間違えたのかと思ったほどだ。


「湯崎様は生徒会と懇意にしているとお聞きしました。生徒会長はクラスメイトでもあるのですが、これまであまり接点がありません。そこで口添えをしていただけたらと思いまして……」


 この発言を耳ざとく聞きつけた湯川さんも振り向いて「私も生徒会長ともっと接触を図りたいのよ。湯崎さんに頼めば何とかしてくれるのかしら」と期待に満ちた瞳をこちらに向けた。

 確かにわたしというか文芸部は、生徒会と一緒に仕事をしている。

 部活動改革であったり、臨玲祭の映画撮影の協力であったりと。

 単にこき使われているだけのような気もするが、生徒会に近いと言えば近い。


「わたしの口添えなんて役に立つかどうか分かりませんよ」と正直に告げても、謙遜と受け取ったのか真砂さんは「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 湯川さんには「クラブ連盟長は茶道部の人でしたよね?」と遠回しに断ろうとしたものの、「部内でいろいろあるの。お願い」と手を合わされ無碍にできなくなった。

 ふたりは何度も礼を言い、わたしを褒めそやす。

 わたし自身の能力とはまったく関係ないことだが、感謝されて悪い気はしない。

 気が大きくなって「任せて」なんて請け負ってしまったが、ふたりと別れて冷静になると途端に顔が青ざめた。

 会長よりも先につかさに報告だ。

 わたしはスマートフォンを持ってトイレに駆け込むと、『助けて! つかさ』とSOSを発した。




††††† 登場人物紹介 †††††


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。先週もゆかりに助けを求めて、これからは自分の力で乗り切ろうと誓ったはずだが……。


新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。こうしたパーティーとは縁遠い環境に育った。


嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。あみとつかさの接近に大いに貢献した。


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。上流階級の社交はお手のもの。


湯川湊・・・臨玲高校3年生。茶道部幹部。旧華族の家柄。そこを飛び出した母とヨーロッパで暮らしていたが日本に連れ戻された。


真砂まさご大海ひろみ・・・臨玲高校1年生。茶道部に入部しなかったが吉田家と比べても遜色ない家柄を誇る。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。

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