第388話 令和4年4月28日(木)「変わりゆくもの」塚本

 明日からゴールデンウィークが始まる。

 私は暦通りの出勤となるが、教師の中にも休みを取って長期休暇を堪能する者も少なくない。

 臨玲は職員の量と質に優れ、教師の負担が少ないことが背景にある。

 主幹の北条さんの功績と言えるだろう。

 また、お嬢様学校らしくまとまった日数を掛けて家族旅行をする生徒もいて、そうしたことに寛容という校風があった。

 中には海外に行くという強者の存在も聞いている。

 数年前なら当たり前だったことが、このコロナ禍でいかに制限されてきたことか。

 このまま元の生活に戻って欲しいと願いながら私は職員室にある自分の席から立ち上がった。


 職員室は本館にある。

 この部屋だけを見ればそこらの公立高校との違いを感じられないだろう。

 昔に比べると若干減ったはずだが、どの机にもうずたかく本や用紙が積み上げられている。

 この見慣れた光景も本館の建て替えとともに消えて行く定めなのだろう。

 私は新しい職員室ができるまでは勤めていたいものだと思いながら古びた職員室をあとにした。


「お待たせしました」


 私が本館にある会議室のひとつに腰掛けて待っていると北条さんがそう言って入って来た。

 彼女はこの高校を救った最大の功労者だ。

 いや、それは一方的な見方に過ぎないだろうか。

 おそらく彼女がいなければ現理事長はこの学校から叩き出され、元学園長がいまも権勢を振るっていただろう。

 すでにこの本館は建て替えられていたはずだ。

 ほかの学校法人の傘下に入っていた可能性も高い。

 それはそれでひとつの未来としてはありだった。

 この1年の劇的な人気急上昇は起こらなかっただろうが、臨玲の名前に守られてそれなりのポジションをキープしていたと思う。

 その時に私の居場所があったかどうかは神のみぞ知るといったところか。


「5月の予定の修正案です」と北条さんは1枚のプリントを私に手渡す。


 私相手でなければ直接会わずにすべてデジタルでやり取りしていたはずだ。

 いまの若手、特に最近この高校に引き抜かれてきた教師はパソコンを使った作業に慣れている。

 私も昔はデジタル機器を使えない教師をバカにしていた。

 しかし、気がつけばバカにされる側になってしまった。

 これまでのやり方に慣れると、新しいことは億劫になる。

 チャレンジ精神を失ったことに何度呆然としたことか。

 新しいものが導入されるたびに教えを請うて何とかついて行ってはいるが、北条さんのように私の気持ちを察してくれる人はこうしてアナログなやり方を受け入れてくれる。


「かなり変更が多いですね」


「事件の影響ですね。SNSの利用法に関する講習は4月にも行いましたが、5月にも実施することになりました」


 生徒が事件や事故に巻き込まれるケースは昔から一定の確率で起きる。

 私が子どもの頃ならほとんど取り上げられなかった事例が問題視されるようになる一方で、全体的な認知件数は変わらない印象だ。

 今回の事件だって以前なら騒ぎになっていなかっただろう。

 変わったのは事件や事故の内容ではなく、周囲の反応だったり社会の捉え方だったりする。

 特に誰もがSNSで発信できるようになってからはこれまでの常識では通用しなくなっている。

 高校では情報科の授業が行われるようになったがリテラシーが十分でないのは生徒だけでなく教師も同様だ。


「今回の事件をケーススタディとして教師全員にも講習が必要ですね」と私が提案すると、「希望者のみで準備を進めていますが全員ですか?」と北条さんが確認する。


「講習を希望しない人、つまり問題意識が低い人にこそ講習が必要ですから」


「そうですね。準備します」


 現在、臨玲の学園長はお飾りとなっている。

 対外的な仕事のみで、校務を司るのは副校長が担っている。

 だが、その副校長の権限も弱く、事務方のトップにいる北条さんの意に沿うように動いていた。

 習熟度別授業も理事長の意志を受けた北条さんが主導して急遽導入された。

 私は主幹教諭という立場で教師と北条さんの間を繋ぐ役目を負っている。

 これが紆余曲折の末に私がたどり着いた場所だった。


「5月は学生側の重大行事として生徒会長選挙があります。芳場さんの時はいろいろありましたが、今回はすんなり終わって欲しいですね」


 いくつかの項目について話を済ませた後、北条さんが希望を述べた。

 芳場さんが生徒会長になったのは随分昔のことのように感じるが、わずか3年前だ。

 新入生だった彼女は茶道部入りを断られ、生徒会長を目指した。

 当時官房長官の娘として校内では知名度があり、本命視されていた前年度の生徒会副会長を選挙で破った。

 負けた側は不正を訴えたが、その頃はまだ学園長派の教師も多く残っていた。

 学園長派と繋がりを持った芳場さんは批判を封じ込めた。

 その時に暗躍していたのが高階たかしなさんだったようだ。


「日野さんは大丈夫ですか?」と私は懸案材料を口にする。


 生徒会長選挙で問題が起きるとすれば、臨玲の理事も務める現生徒会長の日野さんが不正を行ったり選挙結果に異議を唱えたりした場合だ。

 北条さんは少し考えてから躊躇いがちに「日々木さんに勝ってもらいたいですね」と口にした。

 それ以上追及することは避け、私は「教師が大勢替わりましたからね。あの時のようなことは起きないと思います」と嘆息する。

 芳場会長に楯突いた生徒は教師からも嫌がらせを受けていた。

 いつからあんなに学園長派の教師の質が低下していったのだろう。

 前学園長がいた頃はあんなヒドいことはなかったのに。


「塚本先生に御協力いただきそれが果たせたのです」


 頑なに中立を目指していた私だったが、さすがに見かねて同僚の不正を証拠とともに北条さんに訴え出たのだ。

 彼女はそれを受けて教師たちを次々と辞めさせていった。

 あまりのことに「教師が足りなくなるのでは」と進言すると、「大丈夫です。給与と待遇を最高水準に引き上げますから、いくらでも集まりますよ」と彼女は言ってのけた。

 その言葉通り、優秀な人材を引き入れることに成功した。

 元々良かった待遇はさらに良くなったが、教師陣の入れ替えは学園長派の一掃だけでは終わらなかった。

 理事長派の教師であっても能力不足と見るや潔く切る。

 能力主義の外資系で働いていただけあって彼女は情け容赦がない。

 それについて行けないベテランも辞め、気がつけば私は臨玲最古参の教師のひとりとなっていた。


「高校は顧客である生徒がわずか3年で卒業していきます。従って毎年新しい生徒のニーズを読み取り、どんどん変わっていかなければ取り残されてしまうのです。それに応じた教職員のスタッフを用意することが私の務めです」


 サラリとそう言い切る北条さんを目の前にして、ここ最近私は1年1年が勝負だと感じるようになった。

 定年まで安泰なんてことは決してない。

 主幹教諭であっても能力不足と見なされれば首を切られるだろう。

 それをやり甲斐があると感じるか、辛いと感じるか。

 どちらが正解かではなく、どちらも感じるのが人の心というものだ。

 ただチャレンジする気持ちを忘れてしまうと、あの時の学園長派の教師のように醜く成り果ててしまうのではないか。

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