第22話 令和3年4月27日(火)「昼休み」芳場美優希/篠塚清子

「ミス臨玲?」


 私が言葉の響きを確かめながらそう口にすると、対面に座る次期生徒会長が「ええ」と頷いた。

 彼女は4月に入学したばかりの1年生だが、その貫禄は高校生とは思えない。

 かなり短めな黒髪に化粧気のない見目。

 以前も感じたが、父の秘書に混じっていてもおかしくない雰囲気がある。


「制約の多い日常にストレスもあるでしょうから、新しい生徒会が発足するタイミングで発散できるイベントをやろうと思っています」


 生徒会長選挙が盛り上がりに欠けましたからと彼女は口にするが、それは彼女が立候補後に選挙活動を行わなかったせいでもある。

 しかも、投票日当日に対立候補だった真澄が立候補を辞退して信任投票になってしまった。

 裏事情を知らない大半の生徒にとっては例年と変わらない予定調和の選挙戦のように感じたはずだ。


「私に立候補して欲しいということですか。確かに私がもっとも”ミス臨玲”に相応しいと思いますが……」


「いえ、芳場会長にはコンテストの名誉審査員として盛り上げていただきたいと考えています」


 会長が協力してくだされば成功間違いなしですと期待され、事実上初代ミス臨玲は芳場会長ですからと持ち上げられては断れない。

 私が立候補しないと初瀬紫苑の圧勝に終わってしまうのではと心配しても、彼女は「あくまでお祭りですから」と意に介さなかった。


「良いでしょう」と私は背筋を伸ばしその大役を請け負った。


 私と向かい合って座る日野という1年生は入学式では大変な無礼を働いた。

 しかし、円穂かずほの一件以来このように生徒会長である私を敬う態度を取るようになった。

 誰でも間違うことはある。

 父が現職の内閣総理大臣であり、私にひれ伏すべきことを知らなかったのだろう。

 私は寛大だ。

 これからもこういう態度を取り続けるのであれば、大目に見てあげてもいいと思っている。


「ところで、このカフェだけど」


 私は店内を見回す。

 今日、初めて足を踏み入れた。

 決して広くはないものの、なかなか洗練されている。

 もう少し豪華さが欲しいところだが悪くはない。


「これからも利用していいのよね?」


「ご覧のように入場できる人数が限られます。従って今後は予約制にしようと思っています。芳場会長にはできる限りいつでもご利用していただけるよう善処致します」


「そう」と頷いた私は「次は瞳たちを連れて来てもいいかしら?」と尋ねた。


 今日は私だけと言われ、ひとりで新館までやって来た。

 わたしはたいてい生徒会室で昼食を摂る。

 貧乏くさい臨玲高校の中で唯一私に相応しく飾り立てられた場所だからだ。

 だが、最近は円穂のせいで昼休みがお通夜のようになっていた。

 円穂がいなくなったのは正しかった。

 また以前のような雰囲気に戻って行くはずだ。

 みんなでここに来ることはそのための良い気分転換になるだろう。


「申し訳御座いません。芳場会長は特例ですので」と日野は恭しく頭を下げた。


 私は不機嫌な顔をして「どういうこと?」と詰問する。

 彼女は「高階さんの悪事に加担したという容疑が晴れない方の入場は許可できません」と告げた。

 彼女の言う悪事とはクラブ活動費を巡る不正についてであった。

 生徒会のメンバーや私が普段つき合うグループはみな裕福な家庭の出身だが、だからといってお小遣いが無尽蔵に使える訳ではない。

 詳しいことは分からないが円穂は生徒会予算とは別に活動費という名目で私たちが使えるお金を用意してくれた。

 次期生徒会長は生徒会室のマスターキーを入手すると真っ先にそのお金の流れを調べ始めたようだ。


「芳場会長は高階さんの排除に多大な貢献をしてくださいました。表沙汰になれば週刊誌が喜びそうな不祥事が多々ありますが、今回は見なかったことにします。しかし、ほかの方々まで免罪することはできません」


 法律家のような顔つきになった彼女からそう言われると、何も言い返せない。

 私は視線を逸らすと話題を変えることにした。


「新しい生徒会役員は決まったのかしら?」


「いえ、時間を掛けてじっくり集めるつもりです」


 そう答えた彼女は「ただ……」と言葉を続ける。

 目を細め、どこか遠くを睨むような表情で「篠塚さんにはしばらく協力してもらえないかと思っています」と語った。


「篠塚?」


 生徒会の雑務を担当している3年生だ。

 家柄は生徒会に相応しくないが、その実務能力を買って私の前の生徒会長が引き入れた。


「真澄は? 彼女を生徒会に残す気はないの?」


 副会長の真澄は私に従順だ。

 彼女が生徒会にいれば、私の影響力をもっと保つことができるのではないか。

 日野が再び態度を変えないとも限らない。

 真澄が間近で日野の言動を監視してくれれば大いに助かる。


「本人の意向にもよりますが、現在のところ考えてはいません」


「私が言えば生徒会入りを希望するわ。考えておいて」


 私の言葉に彼女はわずかに視線を落とし、それから「分かりました」と了承した。

 意見が通ったことで、私は気分良く鷹揚に頷く。

 真澄が私の後任にならなかったことは残念だが、やりすぎた円穂が学校を去り、真澄が生徒会役員として力を保持していればそんなに悪い結果ではない。

 臨玲での最後の1年間をこれまで通りに過ごすことができるのなら誰が次の生徒会長でも大きな差はない。


「ちょっと失礼」と日野がスマートフォンを取り出した。


 画面を一瞥してから顔を上げる。

 表情は変わらないが、雰囲気が若干和んだように感じた。


「何か良いことでもあったのかしら?」


「そうですね。会長に来ていただいた甲斐がありました」と彼女は意味の分からない発言をしてニコリと微笑んだ。



 * * * * * * * * *



 授業が終わると、私は黙って教室を抜け出す。

 布製の手提げ袋には通学時に買った菓子パンと水筒が入っていた。

 いつものように生徒会室に真っ直ぐ向かう。

 頑丈そうな分厚いドアの横に手をかざそうとしてセンサーが反応しないことに気づいた。


 ……そうか、今日は生徒会長がいないんだ。


 この部屋はマスターキーでセンサーをオンにしないと認証ができず入室できない。

 普段は副会長が毎朝センサーのスイッチを入れてくれていた。

 しかし、その副会長は学校を欠席している。

 昨日は会長が昼食を摂りに来た時に開けてくれたが、今日は新館に行くと話していたことを思い出した。


 ……どうしようかな。


 ここのマスターキーを持つのは生徒会長、副会長、クラブ連盟長の3人だけということになっている。

 そのうちふたりがいないので、現在の所有者は生徒会長のみだ。

 いや、高階さんの分は次期生徒会長が持つと言っていたかな……。

 どちらにせよ、生徒会室に入るには新館まで行く必要があった。

 だが、新館はここから遠い。


 私は周囲を見回した。

 ひと気はない。

 今日はほかの生徒会メンバーは来ないだろう。

 いまの時期に生徒会室に足を向ける一般生徒もいないはずだ。

 私はポケットから財布を取り出すと、ファスナーを開く。

 そこに4つ目のマスターキーが入っていた。


 ……今日だけならバレないよね。


 私がこれを持っていることをいまの生徒会メンバーは知らない。

 前の生徒会長が私にこれを預けたが、その時に秘密にするよう言われたからだ。

 その言葉を2年近く守っている。

 生徒会の裏帳簿とともに、墓場までは大げさにしても私の卒業までは知られてはならないものだと思っている。


 マスターキーを差し込むとセンサーが稼働した。

 手をかざすと鍵が外れる音がした。

 薄暗い室内に身体を滑り込ませる。

 高階さんがつけていた錠前は取り外されていた。

 生体認証の鍵だけだと心もとない気がしたが、誰も来ないよう祈るしかない。


 ゴタゴタした部屋の隅に私の席がある。

 クセでパソコンの電源を入れた。

 モニターの明かりが煌々と輝く。

 私は安っぽい椅子に腰を下ろし、机の上に手提げを置いた。


 水筒のお茶をひとくち飲んでから菓子パンの封を切る。

 ビニール袋には高級の文字が書かれているのに、全然高級感のないクリームパンに私はかぶりつく。

 OSが立ち上がった。

 パスワードを入力し、私は画面を見つめた。


 このパソコンはインターネットに接続していない。

 裏帳簿を完全に消去したいのならハードディスクを物理的に破壊するのがベストだろう。

 だが、それを私の一存ですることはできない。

 卒業した前生徒会長から指示があれば……と思うが、こちらから連絡を取る術を持っていなかった。


 私は入学早々勉強ができるからという理由で生徒会に強引に入らされた。

 高校生になったばかりの私にとって1歳の差はとても大きく感じて、先輩に逆らうことなどできなかった。

 生徒会はお嬢様だけが入ることを許される。

 私には場違いなところだ。

 そこで会計として大量の事務仕事を押しつけられた。

 元々は学校の職員がやっていた作業だったそうだ。

 その他にも面倒な役割が次々と回ってきてこき使われた。


 しかも、高階さんが生徒会に入ると、前会長と結託して裏帳簿を作るようになった。

 その管理も私に任された。

 犯罪に加担しているようで嫌だったが、生徒会長から命じられると従うしかない。


 いまの生徒会メンバーは私を雑用係くらいにしか思っていない。

 それは別に構わないが、裏帳簿について相談できる相手が居なくなってしまった。

 前会長はともかく、高階さんが生徒会を去ることは想定していなかった。


 ……削除しておいた方が良いよね。


 次期生徒会長からは協力を要請されているが、全部をなかったことにできるのならその方が良い。

 証拠隠滅という言葉が頭をよぎる。

 でも、これが発覚すれば退学処分だってあり得るだろう。

 そんなことは絶対に避けなければならない。


 削除の準備を進めていると、微かな音を立てて生徒会室のドアが開いた。

 私はマウスに置いた手を止める。

 誰が来たのかと気配を窺っていると、入って来たのは見ず知らずの女性だった。


 私は身を硬くする。

 相手は小柄だが、服装から判断すると教師か学校職員だろう。

 この部屋はほかに出口がないので、ドアの前に立たれると逃げ場はない。

 モニターの背後に隠れるものの、電源がついたままだとすぐに人がいることは分かってしまう。


 彼女がこちらを向いた。

 心臓がバクバクと脈動する。

 ゆっくりと近づいてきた。

 私は身を潜めようとして机の上の水筒に肘をぶつけた。

 ガタンと大きな音を立てて床に落ちる。

 泣き出しそうになった。

 手で顔を覆う。

 そんなことで隠れたことにはならないが、ほかにどうしようもなかった。


「篠塚さんね」


 問い詰めるような口調ではなかった。

 それでも、私は「ごめんなさい」と謝る。

 彼女は頼りなさげな笑みを浮かべて、「怖がらないで。これから生徒会を担当する戸辺です。私を助けてくれると嬉しいのだけれど……」と顔の前で手を合わせた。


 生徒会は理事長と対立していることもあって教師や職員の侵入には警戒感が強い。

 過去には理事長派から協力するように迫られて板挟みになることもあった。


 ……この人は大丈夫そうかな。


 私はそう判断し、気を取り直して「な、何でしょう?」と返事をした。

 彼女は私の横に来てモニターを覗き込む。

 そして、耳元でこう告げた。


「過去2年間の生徒会活動費の収支を見せて欲しいんだけど」と。




††††† 登場人物紹介 †††††


芳場美優希・・・臨玲高校3年生。生徒会長。任期は5月中旬まで。父親は現職の総理大臣。


篠塚清子せいこ・・・臨玲高校3年生。生徒会会計。生徒会の実務のほとんどをひとりで担っている。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。新館の運用は彼女に一任されている。


戸辺シャーリー・・・臨玲高校教師。一般企業から転職したばかりだが、担任を受け持ち生徒会の担当も引き受けた。


高階たかしな円穂かずほ・・・退学処分を受けた。元生徒会・クラブ連盟長。


名垣瞳・・・臨玲高校3年生。生徒会書記。


岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。現在学校を欠席中。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代に人気のカリスマ若手女優。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋のパートナー。


 * * *


 可恋は生徒会長と1対1で話がしたいと言って新館に向かった。

 学校で可恋とふたりきりで過ごす時間が持てないことは残念だが、彼女はわたしのために頑張ってくれているのだ。

 だから、わたしはわたしのやるべきことをする。


 純ちゃんと一緒にお昼ご飯を食べ終わると、わたしは教室の中を見回した。

 女の子しかいない教室はあちこちで黄色い声が上がっている。

 いくつかのグループがお喋りの花を咲かせていた。

 一方で、ひとりだけで昼の休み時間を過ごしている子もいる。


 わたしは窓際に座ってひとり外を眺めていた少女に声を掛ける。

 武器である笑顔とともに。


「こんにちは、小山おやまさん」


 初めから敵意丸出しという相手を除けば、仲良くなるのはとても簡単なことだ。

 表情や仕草から感情を読み取り、共感できることを探っていけば互いの理解が進んでいく。

 アプローチの仕方はその人のタイプに応じて変わってくるが、真摯に向き合えば思いは通じるものだ。


 人気投票で初瀬さんに勝つなんて大それたことができるかどうかは分からない。

 可恋は自信があるようだが、”聖女”なんて言われてもピンと来ない。

 わたしはわたしの強みであるコミュニケーション能力を生かして、前向きに頑張るだけだ。

 すべてを可恋に頼るのではなく、精一杯できることをした上で足りないところを可恋に補ってもらう。

 そうすれば、可恋はあんな約束は果たさずに済むはずだ。


 可恋も初瀬さんもいない教室で、わたしはひっそりと戦いのゴングを鳴らした。

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