第21話 令和3年4月26日(月)「ティータイム」初瀬紫苑
食後のコーヒーがかぐわしい香りを放つ。
久しぶりに訪れた新館のカフェは静謐に包まれている。
店の調度品はもちろん食器も清廉な白で統一されていた。
校舎から遠く、学校内とは思えない雰囲気が私の心を落ち着けた。
「それにしても」とコーヒーカップを手に持ったまま私は口を開く。
テーブルの上には無粋なアクリル板が設置されている。
私たち3人は無言で食事を摂り、ようやく団欒のひとときを迎えた。
「自分たちで選挙を前倒ししておいて、任期満了まで居座るってどういう神経の持ち主かしら」
先週の金曜日に生徒会長選挙が実施され、可恋が次の会長に決定した。
にもかかわらず、正式に就任するのは来月半ばだと聞いた。
彼女の応援をしていただけに何だか腑に落ちない気持ちだ。
「別に良いよ」と可恋は微笑み、「前倒しをしたのは選挙管理委員会ということになっているからね。まん延防止等重点措置適用前に選挙が行われたのでお手柄という評価だし」と言葉を続けた。
その声には余裕があり、不満の色は見えない。
私が憤ることではないかと思い直し、彼女の整った顔立ちを眺めた。
そこにはやり遂げた充実感よりも、次に目を向けようとする気構えが浮かんでいた。
「新生徒会が発足するまでにやっておきたいことも多いからね」
可恋のその発言に日々木が「例えば?」と質問する。
臨玲の古臭い制服を着ていても彼女の外見は目を引く。
見られることにも慣れている。
売れるかどうかはともかく、私のマネージャーが声を掛けたくなるのは理解できる。
「副会長はひぃなに任せるとして、ほかのメンバーをどうするかは大きな問題だね」
通常は1年間経験を積んだ2年生を中心とした構成となるが、可恋がこれまでの流れを断ち切ったので一から集めるつもりなのだろう。
生徒会に入りたいという奇特な高校生がどれほどいるのやら。
そう考えるとなかなか大変な作業になりそうだ。
「紫苑はどうする? 入ってくれるのなら広報のポストを新設するよ」
可恋がこちらに視線を向けた。
私は「生徒会ねえ……」と独りごちる。
ほんの少し前まで私が生徒会に入るかどうか考えるなんて夢にも思っていなかった。
本業は女優であり、高校生活は片手間で済ますものだと捉えていた。
その考えはいまも変わらない。
仕事自体は映画一本に絞っているので、撮影に入るまでは拘束される時間が少ない。
周りからは高校進学を強く勧められた。
それを撥ね除けるだけの理由と熱意がなかったから、いまここにいる。
だが、そのお蔭で日野可恋と出会うことができた。
「仕事優先でいいよ。所属してくれたら生徒会に箔がつくって理由だけだし」
勉強や運動ができると聞いているが、彼女の凄みはそこではない。
私は大人に混じって働いているから理解できる。
短期間でも彼女の視野の広さ、思考の柔軟性、決断力や実行力の高さは伝わって来た。
初めは新しいおもちゃくらいに考えていたが、いまは将来のビジネスパートナーとしても考慮に入れている。
聞けば、英語も堪能らしい。
私はいつかハリウッドに進出する夢を抱いている。
その時に可恋の力があれば……。
沈黙していた私に「返事は急がないから」と可恋は言った。
そして、マスクを外してティーカップを口元へ運ぶ。
彼女くらいの美人はたくさんいるが、ひとつひとつの所作に品があってつい見とれてしまう。
「可恋は芸能界に入る気はないの?」
私の問い掛けに彼女は「まったくその気はないね」と即答した。
可恋はタレントとして使われる側よりも使う側の方が似合っていそうだ。
私は「日々木はどう?」と尋ねる。
彼女が興味を示せば、可恋も無関心ではいられないだろう。
「わたしの目標はファッションデザイナーで、先にわたし自身の知名度を上げた方がいいかなって思う時もあるよ。でも、最初はわたしが作ったものを先入観なしに評価して欲しいの」
彼女以外が言えば、何を真に受けて答えているのかと笑われそうだ。
しかし、彼女の外見ならモデルとしてそこそこは名前を売れるだろう。
自分の価値を冷静に見極めていて、私は黙ってそれを聞いていた。
可恋は見守るような温かい視線を日々木に送っていて、それが癇に障る。
私はコーヒーカップに口をつけた。
もうすっかり冷めてしまっている。
口の中にコーヒーの苦みが広がった。
「あとはクラスの親睦を図りたいな」と唐突に可恋が口を開いた。
新しい生徒会をスタートする前にやっておきたいことの続きのようだ。
私は興味がないことを示すようにコーヒーカップをソーサーに戻して椅子の背にもたれ掛かる。
「賑やかに食事をすることもできないし、大勢で遊びに行くのもいまは無理だし……」
「オンラインだけじゃあ仲良くなるのは難しいものね」と日々木が深く頷く。
真剣に考え込むふたりには悪いが、私にはどうでもいいことだ。
私は大きく伸びをする。
コーヒーの力で午後の授業は睡魔から逃れることができるだろうか。
心もとない気持ちになっていると、可恋が私と日々木を見比べるように視線を動かした。
「ふたりに競ってもらおうか」
私は眉をひそめる。
日々木も表情を曇らせる。
「人気投票みたいな……」
可恋の呟きに「勝負にならない」と私はひと言で切り捨てる。
日々木は心配そうに「派閥ができてしまうんじゃない?」と口を挟む。
それでも可恋は頬に手を当てもの思いにふけっている。
「私が負けると思っているの?」と苛立ちを露わにすると、可恋は目を細めじっと私を見た。
「みんなストレスを抱えていると思うから外に敵を作ってまとめるより、ライバル関係をつくって切磋琢磨するのが良いと思うんだよ」
「ライバル?」
「紫苑には南条
「あんなの、ライバルじゃないから!」
私の言葉に聞く耳を持たず、可恋は「遅かれ早かれ校内に初瀬派・日々木派ができるんなら最初からそれをコントロールしながら作ればいい」と自分の考えを述べていく。
そして、「紫苑には上に立つ者として派閥の統制を試みて欲しい。今後のファンとのコミュニケーションでも役に立つんじゃないかな」と思慮深い瞳を私に向けた。
「新しく生まれ変わった生徒会最初のイベントとして、ミス臨玲コンテストを開催しよう」
日々木が「ミスコン!」と目を丸くしている。
私は冷めた目つきで「やる気、ないわよ」と告げる。
可恋が「負けるのが怖い?」と揶揄しても私の態度は変わらない。
「初瀬紫苑はクールが売りなの。ミスコンに出て喜ぶようなキャラじゃないから」
「それで構わない。と言うか、その姿勢は貫いて欲しい」と可恋は意に介さない。
「紫苑は私に求められて仕方なく出場したという演技をしつつ、ファンが暴走しないように上手く管理してくれないかな」
キャラのイメージを損なう問題は回避できるが、それでも面倒なことに変わりがない。
ファンのコントロールは私が考える女優の仕事には含まれていない。
「いつまでも事務所に守ってもらうつもり? 独立してハリウッドを目指すって本気じゃなかったの?」
可恋は私の痛いところを突いてくる。
彼女は私の過去のインタビュー記事を読んでいるようだ。
だが、そういうところをカバーするために可恋と手を組みたいと思っているのだ。
「勝ったら、私が勝利したら、可恋は私のものになってくれる?」
私は無理な条件を突きつけてこの話をなかったことにしようとした。
だが、可恋はまったく動じない。
「私は誰のものにもならないけど、そうだね、紫苑が勝てばひとつだけ何でも言うことを聞くよ」
私より早く日々木が「可恋!」と悲鳴を上げる。
ゴクリとツバを飲み込んでから私は「その言葉、忘れないでね」と睨みつけた。
「詳細なルールを作った上で誓約書を取り交わそうか」と語る可恋の顔には敗北の不安は見当たらなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代にカリスマ的人気を誇る若手女優。言動が不安視され事務所は映画出演以外の露出を極力避けている。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。理事長から生徒会改革を期待されて入学したが、わずか1ヶ月でミッションをクリアした。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血が色濃く容姿に反映された美少女。白く透き通る肌や小顔、赤茶色の長い髪など日本人離れしている。
南条
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