第20話 令和3年4月25日(日)「才媛たち」北条真純
社会に出れば人間の優秀さは年齢とは比例しないと知ることになる。
なのに、子ども相手だとその事実を失念する大人は多い。
高校生の中には凡百の大人を凌駕する人材が少ないながらも存在する。
私は先日その実例をまざまざと見せつけられた。
東京都に緊急事態宣言が発出された。
昨年から猛威を振るう新型コロナウイルスに対して3度目となるものだ。
ここ鎌倉は28日からまん延防止等重点措置の対象地域となる。
ゴールデンウィークを間近に控え、ニュースでは賑わいを見せる行楽地の様子が映像で流されている。
今後緊急事態宣言の対象地域が拡大されないという保証はない。
また、臨玲高校の一部生徒は都内から通学している。
それらへの対応もあって今日は休日出勤を余儀なくされた。
「理事長は少し外に出て日に当たった方が良いと思うのですが」
今日も理事長はサーバールームの一角でパソコンのモニターとにらめっこをしていた。
ここは人が来ないので彼女のお気に入りの場所だ。
温度管理が徹底され、1年中同じ服装でいられることも理由かもしれない。
理事長が仕事熱心かというとそうとも限らない。
本来するべきことより興味が湧いたことを優先する傾向があり、それが仕事の役に立っているとは言い難い時も多い。
生徒会の件が片付き、理事長には校舎の建て替えに向けた根回しを最優先で行ってもらいたいところだが、そういう折衝事は避けてばかりだ。
「外は危険だ」
「こんな生活を続けていたら身体を壊しますよ」
私はそう言って溜息を吐く。
彼女は私よりも歳上だが、まともな社会人とは言えない。
IQはかなり高いようだが、生活能力は皆無に近い。
母親が遺した財産とこの臨玲高校の理事長の座だけが彼女を支えている。
それすら元学園長の策略の前に風前の灯となりかけていたのだ。
「大丈夫。死にはしない」と理事長は動こうとしない。
酷い時には返事すらしなくなるのでいまは機嫌は良いのだろう。
なにせ懸案だった問題に決着がついたばかりだ。
とはいえ、やるべきことは山積している。
理事長にはもっと働いてもらわなければならない。
私は今週面会予定の理事、銀行、OG会メンバー、その他支援者の名前を挙げていく。
本来秘書が担うべき仕事だが、ほかの者では理事長の我がままを窘められない。
「変異株が怖い。面会はすべてキャンセルだ」
こんなことを言い出すから私以外では務まらないのだ。
有能な秘書を雇うことも検討したが、この学校における私の影響力が削がれる恐れがあった。
「オンラインで行えるものはオンラインで対応しますが、直接会う必要があるものは会っていただきます」
「私を殺す気か」
「仕事優先です」と私はキッパリと言い切る。
遊びならともかくこれは仕事だ。
ゼロリスクなんて追求できない。
神奈川にまで緊急事態宣言が発出されれば考え直すが、いまは理事長にしかできない仕事はやってもらわないと困る。
理事長は子どものようにぶつぶつと愚痴を呟いている。
私はその姿に再び溜息を吐くのを堪えて、気になっていたことを口にした。
「新しい生徒会は大丈夫でしょうか……」
ほとんど治外法権に近い権力を有していた生徒会を排除するため、理事長と私は日野さんという新入生に頼ることにした。
彼女は驚くほどあっさりと生徒会に潜む闇を暴き、元凶を退学に追い込んだ。
私たちも3年生の
日野さんは頭が良いだけではなく実行力があり、何より荒事を厭わない。
私は一般的な業務であれば彼女に負けることはない。
しかし、暴力が絡むと手に負えない。
私たちは生徒会に対抗するために、より強大でコントロール不可能な力を引き込んでしまったのではないか。
そんな不安が拭えなかった。
「彼女に任せておけば大丈夫だ」と理事長はすっかり日野さんを気に入っている。
常に私が監視の目を光らせることはできない。
私がいない時にたぶらかされたのだろう。
一方で日野さんは理事長が敵に回る可能性も考慮している。
もしそれが現実になったら私を引き抜きたいとよく言っている。
冗談めかしているが、本音が混じっていると感じている。
私としてはそういう事態が起きないように動くしかない。
昼間は晴れていたのに夕方になって空は暗雲に覆われた。
窓には水滴が流れた跡が見えるようになった。
私が会議室で資料に目を通しているとドアがノックされた。
「どうぞ」と声を掛けるとゆっくりとドアが開いた。
「失礼します」と入って来たのは小柄な女性だ。
「わざわざ来ていただいてすみません」と私はいったん立ち上がって礼を言う。
彼女は今年度から臨玲に赴任した新任教師だ。
見た目はちょっと頼りなげなOLといったところか。
実際彼女は春まで一般企業に勤めていた。
私とは業種は違うが同じ外資系からの転職組だった。
彼女が着席するのを待って私も腰掛ける。
そしてすぐに話を切り出した。
「戸辺先生には生徒会を担当していただけないかと思っています」
これまでこの役割は反理事長派の教師が受け持っていた。
生徒会の意向もあり、こちらからは口出しができなかったのだ。
「日野さんを見張れということですか?」
漆黒の瞳をこちらに向けた彼女は歯に衣着せぬ発言をする。
私は彼女の視線を正面から受け止め、首を横に振った。
「理事長並びに次期生徒会長と相談した結果、貴女が相応しいということになりました」
彼女は日野さんのクラス担任でもある。
日野さんは入学に際してクラス割りや担任の選定にも口を挟んだ。
生徒会と対決するには安心できる環境が必須だと言われ断り切れなかった。
彼女と同じ中学校の出身者を全員同じクラスにすることや、幾人かの候補の中から担任を選んでもらうといった形で我々はその要求を呑んだ。
「そうですか」と言った戸辺先生は「日野さんと話してから決めたいと思います」と意思表示をした。
私は眉をひそめて年若の教師を見つめたが、彼女は気にした素振りを見せない。
理事長の意思だと明示しているのだからすんなりと従って欲しいものだ。
私は苛立ちを感じたが先に折れて、「分かりました」と了承する。
本来は学園長を通さなければならない案件ではある。
いまの学園長はお飾りとはいえ越権行為に当たるのでこれ以上強く出るのは躊躇われた。
「これだけですか?」と問う彼女に、「引き受けてくだされば事務方としていろいろお話があったのですが」と私は答えた。
元々生徒会の業務は学校職員がサポートをしていた。
現理事長が権力を奪取したあと生徒会を締め付けるためにそれを停止したが、今後再開する予定になっている。
その打ち合わせも兼ねていたが、引き受けないのなら必要がない。
「そうですか」と微笑んだ彼女は席を立った。
悪びれた態度は一切なく、堂々と「それでは失礼します」と言って会議室を出て行った。
私は顔をしかめる。
いまどきの若い者は……なんて言うのは歳を取った証だ。
大きく息を吐き、マスクを外してすっかり冷たくなったお茶に口をつけた。
外見に騙されてはいけない。
戸辺シャーリー。
ああ見えて立派な経歴の持ち主だ。
優秀さが年齢と比例しないように容姿とも比例しない。
分かっているつもりなのに陥穽におちいる自分の頭が固くなった気がした。
歳を取れば賢くなるという訳ではない。
そんな当たり前の現実をいきなり突きつけられて、私は苦いお茶をゴクリと飲み干した。
††††† 登場人物紹介 †††††
北条
日野可恋・・・臨玲高校1年生。北条が恩師であった小野田との繋がりで面識を得た新入生。昨年夏から理事長や北条と臨玲改革の準備を進めてきた。金曜日の生徒会長信任投票により次期生徒会長に決定した。
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