第19話 令和3年4月24日(土)「応援演説」日々木陽稲

 久しぶりに可恋のマンションで迎えた朝。

 隣りで眠っていた彼女は「今日はもう少し眠る」と言って目を閉じた。

 少し乱れたショートの黒髪。

 懐かしさを感じる彼女の体臭。

 寝ている時だけは歳相応の少女らしさがあって、わたしは離れがたい気持ちで可恋の寝顔を見つめていた。


 とはいえ、いつまでもぐずぐずしてはいられない。

 わたしはお姉ちゃんに迎えに来てもらうよう連絡を入れ、ジョギングに行く支度を調える。


「行ってくるね」と可恋に声を掛け、部屋を出る。


 お姉ちゃんと純ちゃんが来てくれた。

 外は良い天気だ。

 道端にはツツジが咲き誇り、季節の移ろいを感じる。

 この1週間は高校の生徒会長選挙が気に掛かり、周囲の風景を観察する余裕すら失われていた。


 実際は可恋ひとりでほとんど解決してしまい、わたしができたことなんてごくわずかだ。

 なるべく平常通りに過ごし、ただただ可恋の無事を祈るだけだった。

 唯一わたしに与えられた仕事は昨日の応援演説だ。

 感染症対策によって観衆の前ではなくカメラの前で話すことになった。


 1対1なら相手の顔色を見ながら心に訴えかけることは容易い。

 だが、大勢に対して決めたことを話すのは緊張する。

 それでも人前なら反応を見ることができるが、カメラの前だとそれもできない。

 初瀬さんにコツを聞いたものの、アプローチの仕方が違うのかあまり参考にはならなかった。


 話す内容もなかなか決まらなかった。

 可恋はいろいろ活動していたようで忙しそうだった。

 その邪魔はできない。

 初瀬さんは「好きにすれば」とこの件は相談に乗ってくれず、仕方なくお姉ちゃんに頼むこととなった。

 最初に書いたものは「これは……惚気すぎ」と呆れられた。


 だって、仕方がないよね。

 可恋は凄いから。

 その事実を伝えようとしているだけなのに惚気と言われても困ってしまう。

 可恋は誤解されやすいので優しいところや可愛いところも知ってもらいたかった。

 それなのにお姉ちゃんは「ここはいらないよね」とバッサリ切って捨てたのだ。


 書いては修正、書いては修正で1週間は瞬く間に過ぎてしまった。

 そして昨日ようやく登校してきた可恋に原稿を見てもらった。


「いいんじゃない」と一読して可恋は微笑んだ。


 その可恋は会長選挙のためのオンライン生徒集会が始まるとすぐに姿を消した。

 もうひとりの立候補者である岡本さんの辞退も発表され、現場は大騒ぎとなった。

 生徒会長と司会を任された初瀬さんはある程度の事情を知っていたようだが、それでも対応に追われて大変だったようだ。

 わたしも応援演説の持ち時間が突然倍近くに増えて頭が真っ白になってしまう。


 ついにその時が来た。

 わたしは壇上に立ち、カメラに向かって話し始める。

 護衛役として付き添ってくれた澤田さんにカメラの横に立ってもらい、彼女に可恋の良さを分かってもらえるように誠心誠意伝えた。


 原稿をほとんど読み終えても当然まだ時間が余っている。

 わたしは顔を上げて胸を張った。


「臨玲高校には彼女が必要です。わたしは彼女のすべてを知っています。彼女は優秀で有能で勇敢です」


 調子良くスラスラと言葉が出た。

 苦手意識が払拭できた気がして更に気持ちが乗っていく。


「先にも述べたように彼女は中学時代に様々な功績を残してきました。後輩からは”魔王”と恐れられましたが、決してそんな人物ではありません」


 心の中でアッと声を上げる。

 演説で絶対に”魔王”の名は出さないようにしようと思っていたのに、なぜか口を衝いて出てしまった。

 わたしは焦り始めた。


「可恋はとても優しいです。彼女が与えた試練を乗り越えた者には適切なアドバイスをくれますし、敵には容赦しませんが味方には少し厳しい程度です」


 だんだんと自分が何を言っているのか分からなくなってくる。

 そろそろ打ち切った方が良いのだろうか。

 しかし、時間はまだ残っていた。


「誤解されやすいだけで、常に目的のために行動しているだけなのです。彼女にはどんな手を使ってでも成し遂げる実行力があります。臨玲の改革は必ず成功に導くでしょう」


 澤田さんの表情が心配そうになっていた。

 彼女は可恋に対抗心を持っているので、これまではわたしの言葉が響いていなかったようなのに……。


「大丈夫です。日野可恋に投票してくれた人には平穏が訪れると約束します」


 締めの言葉は原稿とはまったく違うものになってしまった。

 それでも言葉が出て来なくなったわたしはカメラに向かって頭を下げる。


「1年日々木陽稲さんによる応援演説でした」と初瀬さんが言って、わたしは笑みを浮かべながら舞台袖まで下がっていった。


 演説の出来がどうだったか気安く尋ねられる人が周りにはいない。

 純ちゃんに聞いても反応は薄そうだ。

 カメラのところから戻って来た澤田さんも「……良かったんじゃないかな」と言葉を濁した。


 初瀬さんと生徒会長のふたりで時間を繋いでいると可恋が講堂に現れた。

 可恋は高階さんを連れて壇上に向かう。

 一度目が合って笑みを交わし合った。

 初瀬さんがやって来た可恋にマイクを渡し、こちらに下がってきた。


「当選は確実だけど……」と言った初瀬さんは「魔王の名とイメージが定着しそうね」と言葉を続けた。


 わたしは頭を抱えた。

 できればしゃがみ込みたかったが、そこはなんとか思いとどまる。


「今回記名投票だし、不信任票を投じたら地獄に堕ちるよみたいな締めの言葉だったし」


「そんなつもりじゃなかったの」と初瀬さんに言ったところでどうしようもない。


 彼女は肩をすくめ、司会進行をするために可恋の方へ歩いて行った。

 その後、可恋がこちらに来てわたしを副会長にするという話をした。

 次期生徒会長という意味があるそうだ。

 本来ならもっと抵抗するところだが、直前にしでかしたことを思えば素直に受け入れるしかない。


 わたしは高校生のうちに起業して年商1億を稼ぐという可恋からの試練に応えるだけでなく、生徒会長の要職も務めなければならなくなった。

 だけど、きっと大丈夫だ。

 可恋がそばにいてくれるなら。

 だから、魔王という呼び名が広まってもわたしを見捨てないでね!




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血を引く美少女。これまでマスク姿が多く、その容姿はあまり知られていなかった。応援演説で全校生徒を前に日本人離れした美貌を公開することになった。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長選挙に立候補し、信任投票の結果次期生徒会長に決定した。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。映画女優。テレビの仕事はしないので司会進行役には慣れていないが、恙なく役割をこなした。


日々木華菜・・・高校3年生。陽稲の姉。陽稲よりも常識人。


安藤純・・・臨玲高校1年生。陽稲の幼なじみ。護衛役を務める。頭を使うことは苦手。


澤田愛梨・・・臨玲高校1年生。陽稲や可恋と同じ中学出身。陽稲に憧れ、可恋に反発している。


芳場美優希・・・臨玲高校3年生。生徒会長。父親は現職の総理大臣。可恋と取り引きをしたことで在任中の問題については責任を問われないこととなった。


 * * *


 その後、応援演説の内容を可恋に話すと「気にしなくていいよ」と言ってくれた。

 さすがは可恋だ。


「じゃあ、ひぃなは”聖女”というイメージを広めよう」


「え?」


「”魔王”と”聖女”、マイナスとプラスでバランスが取れるんじゃないかな」


「可恋がそう言うなら……」と受け入れざるを得ない。


「そうと決まれば”聖女”伝説を作らないとね」


「え?」


「私は高階追放という伝説を作ったから、それに見合うものが必要だよね」と可恋は平然とした顔で言った。


 言っていることは分かる。

 しかし、”聖女”伝説って……。


「内容はこれから考えるけど、”聖女”らしく振る舞うようにしてね」と可恋は魔王のような笑みを浮かべた。


 こうしてわたしは高校生活で商業分野・行政分野・宗教分野のトップとしての役割を演じることとなった。

 わたしが目指すのはファッションデザイナーというクリエイターのはずなのに、どうしてこうなったんだろう……。

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