第18話 令和3年4月23日(金)「ミッション」

 扉が開く。

 薄暗い部屋の中にひとりの少女が入って来た。

 彼女は灯りをつけずに部屋の真ん中までまっすぐ進んだ。

 椅子に腰掛けるとスマートフォンを取り出す。


「ああっ、クソっ」


 彼女は忌々しげに吐き捨てる。

 その表情はこちらからは見えない。

 私は音もなく背後に忍び寄ると、彼女の手の中にあるスマートフォンを奪い取った。


「ミッション終了」と私は心の中で呟いた。


「な、なんで日野、てめえがここに!」


 顔を上げた少女――高階たかしな円穂かずほは荒々しい声を上げる。

 そして、すぐに「芳場だな……、あのアマ……」と吐き捨てた。

 ここ生徒会室は最初に入室するにはマスターキーが必要となる。

 それを使って解除後に指紋認証で鍵が開くというかなり本格的なセキュリティが設定されていた。

 生徒会自治の名の下で理事長すら入れない聖域と化していたのだ。


 高階は奪われたスマートフォンを取り返そうと手を伸ばしたが私は容易く払いのける。

 今度は自分の鞄をつかもうとするが、私は彼女の襟首をつかんでギリギリ届かない位置に固定する。


「クソっ! 離せ!」


 私は彼女を鞄から遠ざけようと後方へ軽く振る。

 それだけでよろめき、ふらふらと尻餅をついた。

 私は彼女の前に立ち塞がり、笑顔を浮かべて見下ろした。


「助けは来ないわ」


「……」


 高階は立ち上がることを諦め下から獰猛な顔で睨んでいた。

 私は「有名なところと手を組んでくれたお蔭で、動きを封じやすかったの」と告げる。

 彼女は関東エリアでかなり名の知れた半グレ集団と手を組もうとしていた。

 元々彼女が組んでいた”虎”のようなマイナーな組織相手だと向こうの動きを待つしかないが、警察がマークしているグループなら対応は取りやすい。


「裏社会と繋がりがあるのは自分だけと思わないことね」と私は微笑む。


 更に、あらゆるルートを通じて高階円穂はもう終わりだと相手に信じ込ませた。

 その結果、彼女の計画は未然に防ぐことができた。

 高階は今日になって連絡が取れなくなったことに気づいたのだろう。

 苛立った彼女は誰もいない生徒会室にやって来て連絡を取ろうとした。

 そこで私が待ち構えていたという訳だ。


「こんなところにいていいのか?」と言いながら高階が立ち上がる。


「今更ね。私がいなくても問題なく進行しているわ」


 午後のこの時間、生徒会長選挙のための所信表明や応援演説が予定されていた。

 立候補者である私が生徒会室に現れるとは予想していなかったはずだ。


「岡本さんは立候補を辞退。信任投票になったのよ」


 オンラインで各教室に流されている演説会は私の推薦により司会進行が紫苑となった。

 彼女なら私の不在を適当に誤魔化してくれているだろう。


「それで、オレを警察に突き出すのか?」


 高階は不敵な笑みを浮かべた。

 私の不意打ちから精神的には立ち直ったようだ。


「”虎”のメンバーは確保したわ。いまはあなたからの襲撃を警戒して身柄を保護するという名目で、とある場所に滞在してもらっているけど」


 いまは任意の取り調べ中だが逮捕起訴は確実だろう。

 意外と素直に罪状を認めているらしい。

 高階との関係については口を割っていないそうだが。


 落ち窪んだ眼窩の中にある瞳は私の言葉にまったく反応を示さなかった。

 彼女の中で”虎”はもう過去の存在なのかもしれない。


「彼らがすべてを証言したとしても未成年のあなたは数年で社会に戻れると思っているのでしょうね」


 今度はわずかに瞳が揺らいだ。

 私は畳み掛けるように言葉を続ける。


「あなたがこれから行くところは、一般的には『精神病院』と呼ばれるところよ。摂食障害、パーソナリティ障害は間違いないし、他者に対する強い殺意もある。相模原の事件以降、そういう傾向が見られる人は簡単には出られなくなったようよ」


 それまで感じられた余裕が彼女の顔から消失した。

 私はあえて淡々と事実を突きつける。


「10年20年は覚悟しておいた方がいい。あなたのねじくれ方だともっとかもしれない。プロを相手に騙し合いを頑張るか、脱走を試みるか。病院は山奥だからいまのあなただと野垂れ死にするのがオチだと思うけど、そうしてくれると後腐れがなくて助かるわ」


「……絶対に殺す。何をしてでも出て来て、お前を地獄に落とす」


「そういう発言や『切り刻みたい』という呟きも治療の参考にされるから気をつけた方がいいわよ」


 この忠告に高階は目を見開き「盗聴か」と叫んだ。

 私は肩をすくめ、「この部屋は理事長といえど侵入できなかった。でも、ここは理事長が自由にできる建物の中にあるの」と教えてあげる。

 彼女は壁を睨みつけた。

 その視線の先には隣りの部屋がある。

 いつ工事をしたかは知らないが、秘密裏に壁に穴を開け盗聴器を仕込んだようだ。

 有線でそのデータを送っているので探知機にも引っ掛からないと理事長は自慢していた。


 ちなみに新館は理事長も出資しているが、中心となって資金を提供したひぃなのお祖父様が施工や内装を彼と繋がりのある信頼できる業者に依頼した。

 入っている店や人も中間業者を新たに作って対応している。

 機密を守ろうと思えばこれくらいはやらないと安心できないだろう。


「さあ、行きましょうか」と高階に声を掛ける。


 私は彼女の鞄とスマートフォンを左手に持ち、右手を伸ばしてその腕をつかもうとした。

 その瞬間、彼女はだらんと下げていた左手を素早く振り上げた。

 その袖口から何かがこちらに向かって飛んで来る。


 小型ナイフだ。

 至近距離から放たれたそれは私の胸元に正確に狙いがつけられたいた。

 小手先の技だと言えるが十分に効果的だ。

 その刃は私の胸に直撃し、コトンと下に落ちた。


「油断ならないね。全裸にひん剥いてから連れて行った方がいいかな」


 私がそう言った時には彼女の左腕を後ろ手にねじり上げていた。

 高階は苦痛に顔を歪める。


「私が復讐するのは筋違いだからやらないけど、あなたに苦しめられた人たちの痛みはこんなものじゃないから」


 腕を少し緩め、「防弾チョッキを着ていなかったら不審な動きをした時点でその腕を折っていたよ」と話し掛ける。

 高階は骨が脆そうなので、少しの打撃でも骨折しそうだ。

 本気どころかほんの少し力を込めただけで怪我をさせそうで怖い。

 私としては彼女の心に絶望を植えつけたいので、怪我の痛みで紛らわせたくはなかった。


 内側から掛けられた錠を外す。

 両手が塞がっていたので、高階に外させたかったが彼女は従わなかった。

 仕方なく荷物を下ろし、彼女を片手で拘束しながらの作業となった。

 扉を開けると外には3人の女性が立っていた。

 神奈川県警の続木さんと婦警ふたりだ。

 婦警のひとりが高階のスマートフォンと鞄を証拠品として押収した。


 私は高階を連れて講堂へ向かった。

 観客はいないが、壇上には紫苑や生徒会長がいてカメラに向かって何か話をしている。

 舞台の袖には応援演説を終えたひぃなが純ちゃんに守られながらこちらを見ていた。

 ほかにも数人の教師、職員が立っている。

 その中には北条さんや理事長の姿もあった。


 高階を連れて壇上に行くと紫苑がマイクを渡してくれる。

 それを受け取って、カメラの方を向いた。


『生徒会長選挙に立候補した日野可恋です。こちらは神奈川県警の続木さんです。これから臨玲高校3年高階円穂を補導してもらいます』


 加害者の人権的にはアウトな行為だが、高階のこれまでの言動によって苦痛や不安を感じていた多くの生徒にとっては安心材料となるだろう。

 まして犯罪に加担させられた人にはこれが平穏への第一歩となって欲しい。

 すでに退学した生徒にもこの映像を見て欲しいと思っている。


 高階はカメラの前で何かを言い掛けようとしたが、腕を強く握ることで口を封じた。

 続木さんはこのパフォーマンスに堂々とした態度でつき合ってくれた。

 婦警に連れられ退場する高階をカメラが追って行く。


『公約のひとつを達成しました。これからも生徒全員が安心して学校生活を送れるように全力で取り組んでいきます』


 カメラが私の方に向き直ると、私はそう宣言して微笑んだ。

 すぐに紫苑がマイクを引き取り、『これから投票していただきます』とカメラに向かって呼び掛ける。

 私は舞台上や舞台袖にいる人々に目礼しながらひぃなに近づいていった。


「とりあえず終わったよ」


「凄い! さすが、可恋!」


 ひぃなは胸元で手を合わせ満面の笑みを浮かべて喜んでくれた。

 私は肩の力を抜いてニコリと微笑む。


「私が当選したら、ひぃなには副会長になってもらうね」とサラリと告げた。


「副会長?」


「今年度は例外だけど、1年生の副会長が翌年に生徒会長に就くから」


 ひぃなは目を丸くして驚いている。

 私は「頑張って」と彼女の頭に手を載せる。


 ひぃなは「うー、分かった」と起業の話の時よりすんなりと受け入れた。

 ある程度予感はあったのかもしれない。

 これで次の目標が定まった。

 ひぃなが生徒会長として安心して腕を振るえるように、臨玲と生徒会の基礎を作る。

 その障害は理事長であろうと排除する。

 私は心の中で「ミッションスタート」と呟いた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・臨玲高校1年生。入学式で生徒会を叩き潰すと宣言し、生徒会長選挙に立候補した。理事長から反理事長派である生徒会を改革するよう依頼されている。


高階たかしな円穂かずほ・・・臨玲高校3年生。生徒会・クラブ連盟長。”虎”と呼ばれる犯罪者集団と繋がり、彼らの駒にするため臨玲の生徒を送り込んでいた。同性に対して強烈な憎悪を抱いている。


芳場美優希・・・臨玲高校3年生。生徒会長。現職総理大臣の実娘であり、臨玲高校で権勢を振るっていた。それを支える円穂を嫌いながらも、力と自由を与え被害の拡大を招いた。


岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。生徒会長選挙に立候補していたが、この日立候補の辞退と入院が公表された。彼女の両親には昨日可恋からすべての経緯が知らされた。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。若者にカリスマ的人気を誇る若手女優。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋は陽稲を守るために臨玲に入学した。彼女の祖父は北関東においてわずか一代で地域を代表する企業を築き、財と名声を手に入れた傑物。彼女の臨玲入学はその祖父のたっての希望によるもの。


椚・・・臨玲高校理事長。元学園長との権力闘争に勝利したものの人望に欠け、いまだに反対派が多い。


北条・・・臨玲高校主幹。椚の右腕。


続木景・・・神奈川県警の刑事。可恋が通う空手道場で知り合った。可恋を高く評価し、刑事を目指すよう勧誘している。

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