第73話 令和3年6月17日(木)「生徒会長」日野可恋
「可恋、大丈夫? 無理はしないでね」
ひぃなが気遣うような優しい声で私に声を掛けた。
魔法を掛けられたように私は笑顔を浮かべて「ひぃながいるから平気だよ」と応じる。
実際に精神面では彼女にかなり助けられている。
今日は、紫苑は仕事でお休みだ。
会長補佐の岡本先輩はとある案件で離席中のため、新館の生徒会室には私とひぃなしかいない。
副会長のひぃなには篠塚先輩から引き継いだ経理の勉強をしてもらっている。
今後のためにある程度の知識を身につけてもらい、その後は学校職員に任せていく予定だ。
「少し休んだ方がいいんじゃない?」
「そうだね。お茶にしようか」と答えると、スマートフォンで階下にあるカフェにティーセットを注文する。
この部屋でもお湯を沸かせるので紅茶を淹れることはできるが、こういう時にプロを使わない手はない。
生徒会がスタートした当初はひぃなが張り切ってお茶を淹れようとしていた。
だが、紫苑が「私はいい。下から持って来てもらう」と言ったことでそのやり方が主流となった。
ひぃなはかなり以前から紅茶の美味しい淹れ方を姉の華菜さんに学んでトライしているが、なかなか上達しない。
彼女は決められたことを型通りに行うことが苦手なタイプであり、独創性を重視する傾向が足を引っ張っているのかもしれない。
人には適材適所があるので無理をしなくていいよと言っているが、まだ諦めてはいないようだ。
「珍しいね。可恋がコーヒーを頼むなんて」
「たまにはね」
ひぃなは「数字ばかり見ていたらクタクタになったよ」とショートケーキに手をつけた。
特製のミルククリームとたっぷりの苺が魅力の一品で、疲れた時には優しく包み込んでくれるような味がする。
私は3種の小さなチーズケーキのセットを頼んだ。
レア、ベイクド、スフレのチーズケーキを食べ比べできるもので、3つ食べても普通のケーキ1つ分に届かないくらいの低カロリーなのが人気の源だった。
カフェは6月から予約制でスタートして生徒たちの注目を集めている。
メニューの種類は多くないが、それでも1学期の予約は埋まっていた。
なお、予約はミス臨玲コンテストの投票のために配布したアプリからのみ可能だ。
このアプリは生徒の学生番号に紐付けられている。
学校よりも生徒会が生徒の詳細な個人情報を収集してしまうことになるので、ひぃなが会長の座を降りる時には忘れずに修正しておかなければならない。
「藤井さんたちが手伝ってくれることになって良かったね」
「彼女ならそのまま生徒会に入ってもらってもいいかもしれない」
「わたしはいいけど、紫苑はどうかな?」
同じクラスの藤井さんは私に対しては対抗心を燃やしている感じだが、ひぃなに対しては特に敵対する気持ちはないようだ。
ひぃなは話が通じない相手以外なら驚異的なコミュニケーション能力を発揮するので藤井さん相手でもうまくやっていけるだろう。
問題は紫苑だ。
彼女は自分が認めた人間しか相手にしようとしない。
ひぃなはコンテストを通じてようやく認められたが、藤井さんが認められるには相当の時間が掛かるだろう。
私としては仕事さえキチンとやってくれれば人間関係はどうでもいいのだが、現実はそうはいかないと理解している。
「しばらく様子見だね」と私が決定を先送りしようとすると、ひぃなが何か言いたげな視線をこちらに向けた。
私は彼女の意図を察して「任せるよ」と声を掛ける。
ひぃなは藤井さんを見ていて歯がゆく感じているのだろう。
彼女は私にはない優しさを持っている。
いまも慈悲深い笑みを浮かべて「頑張るね」と気持ちの籠もった声を出した。
ひぃなもかなりの仕事を抱え込んでいるのであまり手を広げない方が良いと思うが、私が注意したところで説得力はない。
休憩を終えて仕事を再開する。
私が生徒会長に就任して半月あまりが経過した。
事前に様々な準備をした上でこの高校に入学したが、徐々に想定外の状況に陥りつつある。
最大の不確定要素は初瀬紫苑だろう。
彼女を敵に回さなかったことで生徒会や
しかし、紫苑を完全に味方につけたという訳ではない。
彼女は単に圧倒的な知名度を持つだけではなく、自分が行使できる力をよく把握している。
決着をつけようとすれば互いに大きな傷を被ることになる。
それを考慮した上で手を組んでいるのが現状だ。
両者が利益を得るような関係を維持していくことが戦略的に必要となってくる。
臨玲高校入学後、最初のミッションだった生徒会打破は高階円穂を退学に追い込むことに成功し、禅譲という形で生徒会を引き継いだ。
前生徒会長とも良い関係を維持できているし、ミス臨玲コンテストの開催によって全校生徒の支持も取り付けた。
いずれ権限の縮小を図る予定だが、いまの生徒会はとんでもない強権を有している。
それを行使して、ひぃなが次の生徒会長に就任するまでに臨玲高校の再構築に目処をつけておきたいと思っている。
当面の課題は部活動の改革とOG会への対処だ。
1、2年生を部活か委員会に必ず所属させるといった荒療治は多少の反発はあるだろう。
ただ臨玲祭で紫苑が撮影した短編映画を発表するといった飴をぶら下げれば収まる程度だと予測している。
OG会の方は王将を詰ましにいくという手が取りにくい。
そのため時間を掛けて向こうの攻めを切らせようと思っている。
習熟度クラスの編成など理事長相手に様々な提案を行っているし、改革は多岐にわたるので時間と労力がいくらあっても足りない状況だ。
OG会の対応は茶道部に任せられたら楽なのだが、これも一筋縄ではいかないようだ。
私が代表を務めるNPO法人"F-SAS"も東京オリンピックパラリンピックが迫ってきたので安閑とはしていられなくなった。
表舞台に立つことはないが、存在感をアピールすることも今後に向けては大切だ。
裏方として各種競技団体に恩を売るような方向性でスタッフには頑張ってもらっている。
代表の私が何もしない訳にはいかないので、いくつかのボランティア的な活動に携わっている。
「臨玲祭、クラスの出し物はどうするの?」
目の前の数字に飽き飽きしたという表情でひぃなが尋ねた。
彼女が何を希望しているのかは聞かなくても分かっているが、とても手伝えそうにはない。
「時間的に厳しいんじゃないかな。ノウハウがあればいいけど、一からやるのは、ね」
「……だよね」とひぃながしょげている。
その顔を見ると、黙っていられなくなってしまう。
私は少し考えたのち、「来年、ミス臨玲コンテストに替わるイベントとしてファッションショーを企画してみたらどうかな?」と提案した。
ひぃなが来年度の生徒会長に就任するタイミングで行うにはぴったりのイベントになるだろう。
1年先なら時間的に大丈夫のはずだ……たぶん。
私の言葉に目を輝かせたひぃなは、すぐに心配そうな表情になって「可恋、大丈夫? 無理はしないでね」と案じてくれた。
私の懸念が伝わってしまったようだ。
肩をすくめてから私は「それまでに人を育てないとね」と語った。
中学時代、私はひぃなと一緒に文化祭でファッションショーを開催した。
その翌年、後輩たちが自らの手でそれをやり遂げた。
私が中心となって行った時のノウハウを詳しく伝えておいたとはいえ、彼女たちの努力とその成長には目を瞠るものがあった。
「遠回りのようでもそれがきっと近道だと思う」
私の言葉になるほどといった表情で頷いたひぃなは両の拳を握り締めて何か言い掛けた。
頑張ってねとか、応援しているねとかそういったセリフだったかもしれない。
だが、私はそれを遮り、「頑張って、ひぃな。応援しているから」と声援を送った。
「えっ?」
「ひぃなの方が向いていると思うよ、人材育成は」
「……そうだよね。ファッションショーをやりたいのはわたしなんだから、わたしが頑張らないとね」
「サポートはするから」と微笑みかけると、彼女は決意を秘めた顔つきで私を見た。
ひぃなは私と出会わなくてもファッションデザイナーになっただろう。
それだけの熱意と才能があるのだから。
ファッションデザイナーになることが終着点だとしたらそれで良かったはずだ。
しかし、より高みを目指すのなら。
そのための翼を私は与えたい。
空を飛ぶ楽しさを分かち合うために。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。ひぃなのために臨玲を徹底的に変革することを目的に会長職に就いた。女子学生アスリート支援を目的としたNPO法人の共同代表も務めている。このほか学生の本分である勉学に勤しみ、またトレーニング理論の研究も行っている。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。令和元年に可恋と出会い”運命”を感じた美少女。日本人離れした天使のような外見とずば抜けたコミュニケーション能力を誇る。可恋のスパルタ教育に音を上げずについていける頭脳の持ち主でもある。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。令和元年の年末に公開された映画でブレイクした若手女優。同世代に圧倒的な人気を誇る。
岡本真純・・・臨玲高校2年生。生徒会長補佐。前年度は生徒会副会長を務めていた。歳下の可恋の下で嬉々として実務をこなしている。
藤井菜月・・・臨玲高校1年生。可恋たちのクラスメイト。大手IT企業創業家一族の娘で学年トップの成績。しかし、かくあるべきという思いに囚われ他人にもそれを要求するため周囲からは浮いた存在となっている。
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