第72話 令和3年6月16日(水)「不器用」古和田万里愛

 激しい雨音が聞こえる。

 それに負けないくらい教室の中はあちこちでお喋りする声が飛び交っていた。

 話題となっているのは生徒会が秋の臨玲祭で上映するという短編映画についてだ。

 昨日は存在さえ知らなかった旧館で幽霊を見たとか見なかったとかの話で盛り上がっていたが、今日はその旧館を舞台にあの初瀬さんが映画を撮るという話で昨日以上の騒ぎとなっている。


 非科学的な話をくだらないと切って捨てていた菜月も今日は周囲の囁き声に耳をそばだてている。

 クラスの中で孤立気味なわたしたち3人は情報収集という点では不利な立場にいた。


「もう少し詳しい話を聞いてこようか?」とわたしが菜月に提案してみたものの、彼女は頑なな表情で首を横に振った。


 休み時間でも背筋をピンと伸ばし、毅然とした姿勢で菜月は席に着いている。

 美しく整った顔立ちだけに、余計険のある目つきが人を寄せつけない。

 教室内には菜月と同じような振る舞いを見せる日野さんもいるが、ほかのクラスメイトとの間を取り持つ日々木さんという存在がいるせいか、向こうの方が態度に余裕が感じられた。


 菜月自身が孤高で構わないという考えなので、わたしや紅美子くみこはそれに甘えているのかもしれない。

 本当はもっと菜月のことを周囲に知ってもらい、いまの状況を改善した方が良いと思うこともある。

 しかし、わたしと紅美子の力では菜月の決意を変えさせたり周りに理解してもらったりすることは難しかった。


「ちょっと良いかな?」とわたしたちのところへやって来たのはクラス委員の西口さんだ。


 自ら委員長に立候補した彼女はこのクラスのどのグループとも適度な関係を築いている。

 誰に対しても剣呑な対応をとる菜月相手でも粘り強く話し掛けてきてくれる数少ない存在だ。


「何か?」


 端から見れば不機嫌極まりない表情で菜月が応じる。

 これは警戒というよりも緊張している感じだろうか。

 菜月はこうあらねばならないという気持ちが強すぎて、わたしたち以外を相手にするとゆとりがなくなってしまう。

 あれだけ頭が良いのだからもっとリラックスすればいいのにと何度かアドバイスしたが、本人は考えることが多すぎてパニック気味になってしまうらしい。


「臨玲祭のことだけど」と西口さんは用件を口にした。


 臨玲高校の学園祭である臨玲祭は2学期に行われると聞いている。

 無事に開催できるかどうかは分からないが、どちらにせよまだまだ先の話だ。


 黙ったまま話を促す菜月に「生徒会を手伝う気はない?」と彼女は単刀直入に尋ねた。

 菜月の眼差しが更に険しくなる。

 わたしは「どういうこと?」と口を挟んだ。


「生徒会は臨玲祭で短編映画を発表する予定なんだって。ただ人手が足りないから藤井さんたちに声を掛けてくれないかって頼まれたのよ」


「直接言えばいいじゃない」とわたしは不満を漏らすが、「日野さんに対して藤井さんの当たりがキツいから」と西口さんは苦笑を浮かべた。


 確かに日野さんからだと、ろくに話を聞かずに菜月は断ってしまったかもしれない。

 わたしが反論できずにいると、紅美子が「なんであたしたちなの?」と疑問を呈した。


「……言っちゃっていいか」と呟いた委員長は、「学園祭みたいな学校行事で、みんなが団結して取り組むみたいなのって”青春”って感じがするじゃない」と言葉を続けた。


 彼女は小さい頃からこの高校の近隣に住んでいて華やかな学園祭の様子に憧れていたらしい。

 一度だけ親の伝手を使って臨玲祭に来たこともあったそうだ。


「普段見掛けていた普通の女子高生じゃなくて、とても輝いて見えたの。あんな風になりたいって強く思って、親の反対を押し切って臨玲に入学したのよ」と彼女は熱く語る。


「でも、現実は……。コロナのこともあるし、それ以前にクラスがひとつにまとまるとは思えない。自分で立候補しておいて力不足でできないなんてみっともない話よね……」


 西口さんは俯きがちに自省の言葉を並べた。

 それは彼女の希望であって協力する義理はないと突き放すこともできるだろう。

 わたしたちにはわたしたちの事情がある。

 好きでクラスの和を乱している訳ではない。

 しかし、まとまらない原因のひとつがわたしたちにあることは否定できなかった。


「それでも最善を尽くしたいの。藤井さんたちがクラスに協力してくれるのが理想だけど、それがダメなら『協力できない理由』があった方が良いかなって」


 わたしたちが単にサボっていたら不平不満が出るだろう。

 誰もが納得する理由があればそうした声を抑えられる。

 これだけ期待の声が大きい生徒会の出し物の手伝いであれば文句を言う人はいないはずだ。


 わたしと紅美子は菜月に視線を向ける。

 どういう判断をするにせよ、まずは彼女の意見を聞かなくては。


「私は……」という彼女の声は微かに震えている。


「誰とも馴れ合う気はないわ」


 西口さんはじっと黙ったまま菜月を凝視している。

 わたしはどう声を掛けるべきか迷った。

 紅美子も何か言いたそうな目で菜月を見ている。


「3人で話し合って。回答は急がないから」


 沈黙を破った西口さんは思ったほど気落ちした顔を見せずにそう言って離れて行った。

 この話はなしと言われなくてよかったとわたしはホッと息を吐く。


 すぐに休み時間が終わったので話はあとでということになった。

 わたしは授業そっちのけで菜月をどう説得するかだけを考えていた。


 次の休み時間は教室の移動がある。

 わたしたちはあえて遠回りをすることにした。

 誰かに聞かれる可能性があったら菜月は本心を話さないと思ったからだ。


「菜月に声が掛かったのって映画に出て欲しいからじゃないかな。あたしは見てみたいな」


 紅美子がにこやかな表情で言った。

 わたしも「初瀬さんの映画を手伝ったって美璃愛みりあに自慢できそう」と微笑む。

 菜月は眉間に皺を寄せ怒っているように見えるが、これは何と言っていいか困っている時の顔だ。


「美璃愛ちゃんにも見てもらいたいよね」と言う紅美子に「見せたいなあ。生徒の家族の入場は許可して欲しいよね」とわたしは本音を漏らす。


「……彼女、喜んでくれるかしら?」


 先日菜月の家に妹の美璃愛を連れて行くと、紅美子はべた褒めだったし、菜月も気に入ったようでぎこちないながらも世話を焼いてくれた。

 自慢の妹だったので当然と言えば当然だが、ふたりを魅了させることに成功した。


「喜ぶよ! 絶対に」とわたしは妹の気持ちを代弁する。


「紅美子と万里愛がそう言うのなら……」


 照れて恥じらう菜月の可愛らしさは言葉にできないほどだ。

 こんな彼女の姿を見れば、周りは態度を変えると信じている。

 でも、それは彼女の望みではない。

 初瀬さんなら菜月の素晴らしさを引き出せるだろうか。

 そして、それをみんなに伝えられるだろうか。

 他人任せになってしまうけれども、わたしはそれを心から願わずにはいられなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


古和田こわだ万里愛まりあ・・・臨玲高校1年生。クラスメイトからは菜月の取り巻きのひとりと思われている。妹の美璃愛みりあを溺愛している。


藤井菜月・・・臨玲高校1年生。親を尊敬し、その教育を盲目的に信じているが、コミュニケーション面が未熟で周囲との軋轢を繰り返してきた。これまでは独りでも構わないと思っていたが、高校に入り万里愛と紅美子という友だちができ、ふたりの前では自分を出すようになった。


光橋紅美子くみこ・・・臨玲高校1年生。菜月や万里愛ほど自分は真面目ではないと思っているが、友だちのためなら頑張ることができるムードメーカー。


西口凛・・・臨玲高校1年生。学級委員。市会議員の娘だがたいして裕福ではなく、親はお嬢様が多い臨玲への進学を反対した。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代に圧倒的人気を誇るカリスマ女優。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。クラスメイトとの間に距離があるのは彼女が多忙すぎるため。

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