第71話 令和3年6月15日(火)「過ち」湯川湊
「旧館の伯爵夫人とは、やたらと古臭いネタを持ち出してきたな」
部室棟最上階奥の茶室で
彼女が着用しているワンピース型のセーラー服は校則の膝下丈ではなく膝上丈なので、こうして無造作に横になっていると白い太ももが否応なく目に飛び込んでくる。
そこに「お待たせ」と扉を開けてゆかりが入室してきた。
恒例の茶道部3年生部員3人だけの会議。
部員からは最高会議などと称されている。
そこまでたいしたものだとは思っていないが、時に人の命運を大きく変える結果をもたらすこともある。
このままではゆかりが座る場所がないので、暁は反動をつけて身体を起こした。
下着が見えそうで見えない。
別に見たい訳ではないが、なぜか目が行ってしまう。
暁は座布団の上に腰掛けるといつものように胡座に組んだ。
「ゆかりは聞いているよね。旧館の話」と私が問い掛けると、ゆかりは「そうですね」と頷きながらいつもの席に座る。
「昼頃には全校生徒の噂になっていたのに暁は知らなかったんだって」
「そういう情報はここに来れば嫌でも聞くことになるんだから、休み時間はしっかり休まないとな」
「授業中はしっかり勉強しているんでしょうね」と私が確認すると、暁はそっぽを向いて「まあな」と答えた。
ゆかりは鞄から水筒を取り出すと、蓋をコップにして中のお茶を注いだ。
私やゆかりは家に帰ればお嬢様として扱われるがここでは普通の女子高生だ。
「暁は元の話を詳しく知っているのですか?」とゆかりが尋ねる。
「伯爵夫人については知らねーけど、旧館は逢い引きによく使われていたって聞くぜ」
暁は鎌倉でとても有名な寺の娘だ。
彼女の父や祖父は観光協会の重鎮であり、地域の顔役的な存在でもあった。
市内の噂話がよく集まるそうで、かなり際どいことまで彼女の耳に入るらしい。
他人に対して壁を作らないタイプだから誰にでも好かれ、古くから鎌倉に住む高齢者に限れば初瀬紫苑よりも顔を知られているかもしれない。
「逢い引き?」と古い言葉に私が反応すると、「正確に言えば女同士で乳繰り合う場所として使われていたらしい」と暁は下卑た笑顔を見せる。
人が集まらないように怪談話を流したという説もあるらしい。
逆に、怪談に興味を持ってのこのこやって来た少女を獲物にしていたという話も聞いたそうだ。
「昨日の今日でここまで広まるなんて、さすが女子高よね」と私は話題を逸らせた。
「積極的に噂を広めた可能性もありますね」と言ったのはゆかりだ。
彼女はこの不思議な出来事に遭遇した当人から事情を聞いたようで、わたしよりも詳しい情報を得ていた。
それによると、ゆかりの友人は資料を求めて旧館に行った帰り際に2階の窓が開いていることに気がついた。
一緒にいた生徒会長にそれを伝えると、警備員を呼んだ上で中をくまなく捜索した。
その結果、誰かが旧館に侵入していた形跡があったそうだ。
「不審者?」という私の言葉に「さすがに外部からの侵入は難しいと思いますが……」とゆかりは推測を口にする。
いまの理事長は警備の強化を名目に、学園長との派閥争いを制するために監視態勢の強化を行った。
一部の人間のみが知る情報だが、4月に高階さんを退学に追い込んだ時も生徒会室を盗聴していた。
そのためゴールデンウィーク中に部室棟に盗聴器が隠されていないかプロを呼んでチェックしてもらったほどだ。
「反理事長派の人間が利用していた可能性は考えられますね。今後はもう使えないでしょうが」
「幽霊より人間の方がドロドロしているよな」と暁が笑う。
「それで、あえて噂を広めたってどういうこと?」と私が話を戻す。
「どうやら臨玲祭で生徒会は短編映画を上映する予定のようです」
ゆかりが突然臨玲祭の話を持ち出したので面食らったが、その映画制作に必要だったから旧館へ行ったというのが真相だそうだ。
私はそれよりも「映画って、初瀬紫苑が主演で?」と気を引いた言葉に反応した。
ゆかりは首を横に振ると「彼女は出ないそうです」と答えた。
私は、はしたなくも「えー」と声を上げてしまう。
家でこんな態度を取れば2、3時間説教を受けることになるだろう。
別に初瀬紫苑のファンという訳ではない。
人気があることは知っていたが、それほど評価をしていなかった。
だが、彼女が臨玲に入学し、少ないながらも彼女の言動を見ていると興味が湧いた。
特にミス臨玲コンテストでの彼女は印象深かった。
改めて出演作品を鑑賞したり、インタビュー記事を読んだりした。
私は長くヨーロッパで最高レベルの芸術に触れながら育った。
だから一般の日本人より芸術を見る目が肥えていると思っている。
日本の芸能界についてはかなり見下していたし、そこで騒がれていた初瀬紫苑に対しても色眼鏡で眺めていた。
いまになってそれが間違いだと気がついた。
彼女の才能はそんな上辺だけのものではない。
少なくとも芸術の名に値する何かを持っている。
「彼女は出演しない代わりに監督として関わるそうですよ」
今度は「へー」と感心の声を出す。
なるほど、その手があったかという感じだ。
演技者として魅力的な彼女が別のアプローチでどんな結果を残すのか。
是が非でも見てみたいと私は思った。
「生徒会はそんなことをしていていいのかよ」と暁が口を挟み、私も現実に引き戻される。
現在、OG会から要望書が提出されている。
理事長や理事会に判断を迫るものだが、鉾先は生徒会だと言えた。
生徒会が掲げる改革に真っ向から反対し、生徒の自由や自主性を奪うものだ。
映画作りなどと悠長なことをしている場合ではないのではないか。
「OG会は初瀬紫苑を生徒会から引き離すことを狙っていましたが、その目論見は外れました」
初瀬紫苑が臨玲にいることは学校のブランドイメージを高めることに繋がるのでOG会としても反対はできない。
要望書では初瀬紫苑も含めて処分の対象にするべきだと書かれていた。
だが実際は、彼女への特例は認めつつほかの部分をOG会の要望通りにさせたいのではないかというのがゆかりの読みだった。
「理事会の多数派工作も九条家が前面に出ているため北条さんによる巻き返しを許していますね」
祖母が理事を務めるゆかりの話では、要望書の内容には賛成でもOG会で権勢を振るう九条山吹氏への反発があって反対の立場を取る理事もいるようだ。
誰が主導権を握っているかで賛否が分かれるあたりはとても日本らしい話だ。
「次の理事会では校舎の建て直しの件だけを決め、要望書については先送りとなる可能性が高いと思われます」
OG会の急な仕掛けに茶道部は慌ててしまったが、生徒会は長期戦を見越していたのかもしれない。
そして生徒会にとって最大の武器である初瀬紫苑を有効利用するために臨玲祭での短編映画制作という手を打ったのだろう。
「映画の内容については箝口令が敷かれているようですが、初瀬さんが監督で短編映画を制作すること自体は話しても良いそうです。従って噂が広まるのも時間の問題でしょう」
「生徒会による自作自演でも不思議じゃないってことか」と暁が面白くなさそうに呟いた。
私は「持久戦になるなら、薫子と亜早子をどうするの?」と懸案事項を口に出した。
この1週間私は生徒会と接触しようと試みたが、クラブ連盟長の亜早子を通すようにとやんわり断られた。
OG会との対立が長引くようなら前回決めた事柄は見直した方がいいのではないか。
ゆかりが珍しく眉間に皺を寄せて黙り込む。
私が「『過ちを改めざる、是を過ちと謂う』んだって」と軽い口調で忠告すると、「論語ですか」とゆかりは息を吐く。
「そうですね。過去に囚われていてはあの生徒会長に対抗はできないでしょうね」
人間は様々なバイアスを持って判断を行う。
自分のミスを認めることは大変な苦痛を伴う。
状況の変化や見落としによって間違うことは誰にでもあることだが、過去の判断を引きずると過ちを重ねてしまうことになる。
「明日、全部員の前で謝ろうと思います。ふたりにはサポートをお願いします」
私は「任せて」とにこやかに答えたが、暁は浮かない顔のままだ。
彼女は言った。
「現時点での最善がそれかどうかは検討の余地があるんじゃないか」と。
その声は暗く、諦めの色合いがあった。
こぼれ落ちたミルクのことを嘆いてもどうしようもない。
私は唇を噛み締め苦い想いで暁の言葉に耳を傾けた。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯川
榎本
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。現在の臨玲において特別な位置づけの部だけに、OGとの折衝などその役割は多岐にわたる。祖母は臨玲の理事。
加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。クラブ連盟長。
矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。次期部長だと告げられていたが……。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。映画女優。メディアへの露出が少ないため希少価値が高い。面識を得たいと思っているOGは数知れず。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。チート級のハイスペック高校生。
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。ゆかりとは中学時代からの知り合い。
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