第70話 令和3年6月14日(月)「旧館」湯崎あみ
放課後といっても夏至が間近なので外はまだまだ明るい。
午前中は雨が降っていたものの、いまは雲に覆われているだけで雨は止んでいる。
グラウンド側は帰宅する生徒や部活中の生徒でごった返しているはずだが、本館の裏手――正式にはこちらが表側だが――はひと気が少ない。
わたしとつかさは本館の前にある広々とした駐車場を横切って歩いていた。
向かっているのは敷地の端にある旧館と呼ばれる建物だ。
立ち入り禁止となっている木造建築であり、その存在すら知らない生徒もいるほどだ。
きっかけは一昨日の部活中に掛かってきた一本の電話だった。
なんと、あの初瀬紫苑から連絡が来たのだ。
つかさは感激に打ち震えていたし、わたしも一生の自慢になると思ったくらいだ。
しかし、話の内容は秋に行われる臨玲祭で生徒会が短編映画を撮影するからシナリオを書いて欲しいというもので、とても期待に応えられそうになかった。
つかさは読み専だし、わたしはこっそり書いているもののBL専門だ。
それだって人前に出せるレベルではない。
初瀬さん相手に丁重にお詫びしたところ、シナリオの参考にするため古い資料を探して欲しいという依頼を生徒会長より賜った。
つかさが非常に乗り気だったので断るという選択肢はなかった。
初瀬さんに急かされ、早速今日資料が収められているというこの旧館に向かったのだ。
わたしとつかさは用務員室で借りた白いヘルメットをかぶっている。
耐震基準的にヤバいらしくて、何かあったらすぐに逃げ出すように言われていた。
3年生のわたしでも足を踏み入れたことのないこの建物について、事前情報を得るために昨日わたしは祖母に電話を掛けて質問した。
祖母はこの臨玲高校のOGであり、旧館のこともよく覚えていた。
* * *
私が学生の頃は本館の正面にそれは素晴らしい庭園がありました。
よく手入れの行き届いた庭で、季節ごとに色とりどりとなる草花が育てられていました。
当時の本館は威風堂々とした校舎で、ヨーロッパのお城にでも迷い込んで来たかのようでした。
その庭園の小径の先に白い瀟洒な建物が建っていました。
私の時にはもう資料倉庫として使われていましたが、元は図書館だったそうです。
それでも1階のホールでは時折お茶会が開催され、庭園を眺めながら優雅に歓談をすることができました。
あの美しい庭園が取り壊されると聞いた時はどれほど悲しく思ったことでしょう。
私の青春時代の思い出の場所であり、臨玲の象徴のようなところだったのに。
あれ以来、OG会と距離を取るようになった方々も多いと聞きます。
おっと、話が逸れましたね。
建物は白玲館と呼ばれていました。
白玲館にまつわるお話として学生たちの間に広まっていたのは、2階の窓のところに時折伯爵夫人の姿が現れるという噂です。
その頃の臨玲にそんな教師や職員はいなかったのですが、気品に満ちた白人女性を見たという噂が広まっていました。
学生の中にはこうしたお話が好きな人も少なくなく、特に夏場になると夜にこっそり忍び込む生徒もいました。
私ですか?
そうですね、伯爵夫人の姿は見ませんでしたが、人の気配なら感じたことがあります。
あの建物はできれば残して欲しいですね。
* * *
貴重な情報はありがたかったが、怪談っぽいお話については聞かない方が良かった気もする。
だが、つかさはこの伯爵夫人を見てみたいと言ってネコのように目を輝かせた。
「日々木さんの先祖だと思うんですよ!」と彼女は力説した。
初瀬さんから聞いた話だと、日々木さんの曾祖母の母親がロシア出身の亡命貴族であり戦前この高校で教鞭を執っていたのは間違いないらしい。
娘の在学中に亡くなったそうなのでさぞ無念だっただろう。
そういう話がこの怪談話へと繋がっていったのではないか。
つかさもわたしもその見解で一致した。
とはいえ、つかさと違いわたしはお会いしたいとは思わない。
だって、怖いじゃない。
つかさと一緒でなければ絶対に来たくなかったし、いまだって逃げ出せるものなら逃げ出したい。
しかし、わたしはつかさを守らないといけない。
それが先輩の務めだからだ。
2階の窓は鎧戸に覆われていて中の様子は窺えない。
わたしは大きな木札のついた鍵でがっちり閉じた玄関扉の錠を開ける。
年代物の建物だ。
外観はかなり古びて見える。
懐中電灯を手にしたつかさが扉の隙間から中に滑り込む。
電気は生きているそうだが、漏電のチェックをしてから使いたいと生徒会長が言ったので今日は使用しない予定だ。
陽差しはないが外は明るいし、暑すぎないので探検にはもってこいと言えるだろう。
わたしも懐中電灯を照らしながら中に入る。
高級なものは取り外されているはずだが、玄関ホールは豪奢だ。
お嬢様学校の名に相応しい場所だと言えた。
「素敵ですね」とホール内をあちこち見回してつかさが呟いた。
「そうだね」とわたしは答える。
生徒会と関わることでつかさと過ごす時間が減るという心配をしていたが、こんな雰囲気の良い場所にふたりで来られたのはラッキーだった。
怪談のことを忘れるためにも、ここはデート気分で楽しもう。
玄関ホールには左右に螺旋階段があって上階に続いている。
一方、正面には大きな扉があり、奥にはホールがあるはずだった。
「どちらから見ますか?」とつかさに問われ、「ホールを見てみよう」と応じた。
別に2階が怖い訳ではない。
本当だ。
つかさが扉を開ける。
意外とスムースに開いた。
前回清掃したのは春休みだと聞いたが、その割には埃が少ない気がした。
その部屋はホールと呼ぶに相応しい広間だった。
赤い絨毯が敷き詰められ、中央にはシャンデリアが吊されている。
真っ正面は壁になっていて、高齢の女性の肖像画が掲げられていた。
視線がこちらを向いていたらドキッとしたかもしれないが、斜め前方を見ているので怖くはない。
左右は分厚いカーテンがかかっている。
そして部屋のあちこちに段ボール箱や木箱が積まれていた。
「綺麗に掃除してダンスパーティーとかしたいですね」
「踊ってみる?」とわたしは声を掛ける。
運動が苦手なわたしだが、社交ダンスだけは少し自信があった。
教えてくれた先生がとても褒め上手で、かなり真剣に練習したからだ。
「いいんですか?」と嬉しそうな声を上げてつかさが近づいてきた。
臨玲では社交ダンスが必修科目なのでつかさも踊れるはずだ。
わたしとつかさの懐中電灯を箱の上に載せてスポットライトのように中央の空間に光を合わせる。
そこでつかさの手を取ると、彼女はわたしにピタッと身体を寄せた。
スマートフォンで音楽を流す。
こんなこともあろうかとダンスミュージックを用意しておいたのが役に立つとは!
神様、ありがとう! と感謝をしながらダンスを始める。
最初はぎこちなかったふたりの動きが徐々にスムーズになっていく。
呼吸が溶け合いひとつになる感覚。
これこそがめくるめく官能なのかもしれない。
どんどん身体が熱くなり、情念がほとばしる。
手はより強く握り、身体はより密着し、顔と顔は口づけをするほど近くなる。
たぶんマスクとマスクは何度も擦れ合っている。
無我夢中のダンスは永遠に続くかと思われた。
”ギシッ”
突然の人の気配に、わたしはビクッと身を竦める。
つかさも気がついたようで、恐る恐る首を扉の方に向けた。
わたしたちの視線の先にあったものは……。
「逢い引きですか」と剣呑な目をした生徒会長の姿だった。
その背後には初瀬さんと日々木さんの姿もあった。
わたしはへたへたと崩れ落ちそうになったが、なんとか踏ん張って「申し訳ありません」と頭を下げる。
「怒っていませんから謝罪は必要ありません」と話す会長に、副会長の日々木さんが「わたしも踊りたい」とリクエストをする。
会長が渋々といった感じで「少しだけね」と答えると、「その次は私ね」と初瀬さんが会長の相手役に立候補した。
なるほど、こうなる展開を予測して険のある視線をわたしたちに向けたのか。
結局即席のダンスパーティーとなってしまい、碌に捜索を行うことができずに終わってしまった。
天気次第になるが、明日以降頑張るとしよう。
まだ明るいうちにわたしたちは旧館をあとにする。
ダンスやホールの感想を口々に述べるのを聞きながら。
そして、ふと、わたしが背後を振り返ると、2階の窓が開いていて白いカーテンの蔭から……。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。自覚に乏しいが臨玲の生徒の中でもそれなりのお嬢様。
新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。好奇心旺盛なメガネっ娘。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。超有名な映画女優であり、カリスマ的人気を誇る。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。曾祖母の母はロシア革命で日本に難を逃れてきた貴族。身重だったため日本で娘を出産しこの地で育てることにした。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。紫苑と陽稲が旧館を見に行きたいと騒いだため付き添ってきた。
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