第69話 令和3年6月13日(日)「映画」初瀬紫苑

 今日は朝から仕事だ。

 新作映画が間もなくクランクインするので記者会見が行われる。

 私は事務所社長の厳命によってビデオメッセージを送るだけだった。

 その撮影が事務所であった。


「こんなコメントじゃ話題にならないんじゃないの?」


 メッセージの内容はすべて台本が用意されている。

 当たり障りのない無難なものばかりだ。

 セリフは頭の中に入っているが、一応手に持って撮影に挑んでいる。


「これでも初瀬紫苑らしさが十分に出ていると思います」


 ビデオカメラを片手にマネージャーが答える。

 映画の出演は次で3作目となるが、初めての原作ものだ。

 有名なミステリらしく、タイトルを言ったら可恋はすぐに私の役名を挙げることができた。


「過激なシーンがあって、そこは削れないような気がするのだけど」


「目標は演技派だからね。アイドル的な売り方は事務所も考えてないでしょ」


「そう。それよりも原作者と面識を持つことができたら紹介して欲しいな」


 可恋は私の心配よりも原作のミステリ作家に興味を持っていた。

 その時はそんな態度が気に食わなくて「気が向けばね」と私は受け流した。


「それで、昨日話した件はどうだった?」と私は話題を切り換える。


 マネージャーは「社長に書面を見てもらいましたが、それを制作した日野さんを雇いたいと仰っていました」と応じる。

 その目は笑っていて、冗談のつもりなのだろう。

 私が何の反応も見せないと、咳払いをひとつしてから「あの条件で問題ないそうです」と真面目な口調で言い直した。


 昨日は可恋のマンションに行った。

 マネージャーはほかの仕事があったので送り迎えだけで、部屋までは同行しなかった。

 これから仕事で忙しくなりそうだから、その前に可恋との親密度を上げておこうという狙いだ。

 まあ、いつものごとく彼女の隣りにはお邪魔虫がいたけれど。


「元気ないわね」と問い掛けると、「石見いわみちゃんが引っ越しちゃったの」と陽稲はしょげている。


 このところ学校でも3歳児の写真を見せていたのでその幼児のことは私も顔と名前だけは頭に刻み込まれた。

 10日ほどこのマンションにいたが、昨日新しい住居へ移ったそうだ。


「小さな子ども同士、気が合ったんでしょ」と私が笑うと、「あれだけ歳が離れていると妹というより娘みたいな感じだったのよ。引き取って可恋とふたりで育てたいくらい」と真剣な顔で反論した。


 可恋はそんな陽稲の気を紛らわせるためだろう、新しい話題を口にした。

 それは秋に行われる臨玲祭という高校の学園祭にまつわるものだった。


「クラスとは別に生徒会でも何か行う予定なの」


「私は興味ないわ」と素っ気なく対応したが、可恋は「クラスの方は無理でも生徒会は手伝ってもらう。人数が少ないから」と耳を貸さない。


 顔をしかめると、「短編映画を作ろうと思うの」と可恋は言い出した。

 私は即座に「嫌よ」と返答する。


「プロにタダで出てもらおうなんて思っていないわよ。さすがに生徒会で初瀬紫苑の出演料を払うのは無理だし」


「じゃあ、どうするの?」と陽稲が合いの手を入れる。


「紫苑には監督をお願いするわ。プロデューサーとか制作関係全般も含めてね」


「……監督」と私が呟くと、「ミスコンの時に乗り気だったでしょ?」と可恋は見透かすような視線を向けた。


 ミス臨玲コンテストの時に陽稲をプロデュースした動画を撮影することになり、普段撮られる側の私は逆の立場にかなりノリノリになった。

 その現場に可恋はいなかったが、陽稲からその時の様子が伝わったのだろう。


「興味がなくもないわ。どういったものを撮りたいとかあるの?」


「陽稲の曾祖母が臨玲の生徒だったの。その実話を元にしたフィクションをどうかなって」


 今度は陽稲が驚いて「大丈夫なの?」と声を上げた。

 可恋は「過去のことを調べるために口実があった方が良いからね。お祖父様を説得するわ」と答え、だいたいのいきさつを話してくれた。

 それによると、陽稲の曾祖母はロシア革命で日本に脱出した貴族の娘で激動の人生を送ったらしい。

 陽稲を主人公役として、曾祖母の高校時代に焦点を当てた短編映画にしたいと可恋は語った。


「面白そうね」


 話を聞く限り題材は魅力的だ。

 演技力はともかく、陽稲にはうってつけの役柄だろう。

 衣装は問題ないし、校内での撮影の許可も生徒会がやるのだから簡単に下りる。

 当時の面影が残った建物がほとんどないのが残念だが、鎌倉の街並みをうまく利用すれば誤魔化すこともできるのではないか。


「可恋も出演してくれるよね?」と確認すると「監督が望むのなら」と彼女は答えた。


「脚本はどうする? 心当たりのプロに……」と言い掛けると、「プロには正当な対価が必要だからね。出せない額じゃないかもしれないけど、要相談ってところかな」と可恋は前のめりになった私を諫めた。


 一方、陽稲は「OG会のことがあるのに、こんなことをしていていいの?」と不安そうに口にする。

 OG会が理不尽な要望を理事会に突きつけ、いまは緊急の理事会を開催するかどうか話し合われているところらしい。


「生徒会とOG会、どちらが臨玲にとって価値があるか。それを示す良い機会だと思う」


「私が出演していないと難癖をつけてくるんじゃない?」


「そこはメイキングを撮っておいてラストに流せばいい」


「それは良いの?」と私が問うと、「その部分はドキュメンタリーだからね」と可恋はニヤリと笑う。


「シナリオは文芸部、メイキングの撮影は映研に頼んでみたら? 問題がありそうならその都度考えればいいんじゃないかな」と可恋は外部の協力者の名前を挙げた。


「すぐに連絡しよう」と私が言うと、可恋は肩をすくめ「私は紫苑の事務所宛に契約書を作るよ。連絡はひぃなとやって」と交渉を丸投げした。


 短編映画といえど私の名前を冠した作品になる。

 臨玲祭なら生徒だけでなく訪れた保護者やOGの目にも留まるだろう。

 であるなら相応のクオリティが求められるし、そのためには時間と労力が必要になる。

 作る以上は最高のものを。

 まずは文芸部や映研にそれだけの力があるのかどうか確認しないと。


「陽稲、連絡先分かる?」


「文芸部のふたりと、映研の梶本さんなら」


「じゃあ急ごう!」




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。同世代から圧倒的支持を受けるカリスマ女優。ハリウッド進出が夢。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。NPO法人代表を務め実務に優れる。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。高祖母がロシア人の貴族だった。

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