第74話 令和3年6月18日(金)「理事会」北条真純
午後、本館にある会議室で臨時の理事会が開催される。
このご時世にもかかわらずリモート参加が不可とされている辺りにこの学校の時代遅れ感があった。
上座に理事長が着席し、ほかの出席者の到着を待つ。
各理事はかなりの資産家揃いだが、彼女たちが集まる会議室はとてもそれに見合うとは言い難い安っぽさだ。
椅子や調度品はそこそこのものを用意してある。
それでも名門私立の理事会には不相応なレベルだった。
到着した理事の方々は型通りの挨拶だけをして自分の席に着く。
理事長とは旧知であっても親しげな様子は微塵もない。
まだ若い理事長がいかに軽んじられているかが誰の目にも明らかだった。
現在臨玲の理事は8人。
本人が出席したのは4人で、3人は委任を受けた代理人が参会した。
理事自身が出席した場合は秘書ひとりの同行が認められていて、3人の秘書が理事の背後に立っている。
私を含めた12人が今日の理事会の参加者だ。
「時間になりました。これより臨玲学園臨時理事会を開会致します。司会進行を務めます北条です。よろしくお願いします」
下座にいた私は起立して開会を宣言する。
本来は理事長の役割だが、人と関わることが苦手な彼女はこうしたことも他人任せだ。
「本日最初の議題は本校校舎B棟の建て替えについてです。すでにお知らせしておりますようにHHP社様との間で交渉を行いお手元の資料1にありますように……」
私は資料にある契約書の内容を読み上げていくが、私の発言に集中している参加者はほとんどいない。
ほとんどの理事や代理人は自分のスマートフォンを見るために視線を落としている。
理事長に至っては机に突っ伏したままだ。
「HHP社様には昨年度校内新規施設建設において尽力いただきました。短い工期にもかかわらず素晴らしい施設が完成し、開店したカフェは生徒からも非常に高い評価を得ています」
「私たちが利用できないのはどういうこと?」と口を挟んだのは九条朝顔氏の代理人として出席している娘の山吹氏だ。
「現在ここ鎌倉市内はまん延防止等重点措置の対象地域に指定されています。そのため感染対策として生徒以外の利用を控えていただいている状況です。ご理解くださいませ」
私が深々と頭を下げると、ふんと鼻を鳴らして視線を逸らした。
生徒には負担を強いることになっているが、OG会などの外部から口出しされずに済むというメリットもあった。
伝統校ならではの弊害だが、不幸中の幸いだと言えるだろう。
一通りの説明を終えるとすぐに議決となる。
校舎の建て替えは前理事長の頃からずっと議題に上がっていたものだ。
彼女の急逝とその後の学内での派閥争いによって計画は二転三転した。
一時は学園長による建て替え計画がほぼ成立しそうになったが、業者との癒着が疑われ失脚に繋がることとなった。
理事会はいまも反理事長派が少なくないが校舎の建て替えが必要なことは誰しもが認めるところだ。
契約相手となるHHP社は新館建設のために作られた。
その実態は臨玲高校1年日々木陽稲の祖父が影響力を持つ建設業者等との調整を行う企業である。
理事やOGとの関わりが薄く利害関係がクリアということが決め手となった。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
採決に入る直前に山吹氏が理事長に問い質す。
理事長は「問題ない」と答えるが、「何かあれば、たえ子が責任を取りなさいよ」と彼女は見下すように睨みつけた。
ふたりはこの高校の同窓生であり、クラスメイトだったこともあるらしい。
ほかの理事は形だけでも敬う態度を取るが、山吹氏にはそんな配慮は欠片もなかった。
ムスッとした顔で頷く理事長に対し、「ド田舎の企業がバックについたくらいで大きな顔なんてできないと思いなさい。あなたなんて子どもの頃から生きる価値のないゴミ屑みたいなものなんだから」と山吹氏はまくし立てる。
それでスッキリしたのか彼女も採決では賛成に回り、議案は可決した。
事前に各理事と交渉を重ねていたので予想通りの結果とはいえ、これで一安心だ。
「次の議題です。OG会から理事会宛てに要望書が届いています」
10分の休憩を挟み、ふたつ目の議題を取り上げる。
高階さんにまつわる騒動を受けてOG会が多数の要望を突きつけてきた。
頷けるものも含まれてはいたが、生徒に過度の制約を課すものもあった。
理事長に対する脅しが含まれていて、要求を呑まない場合はマスコミにリークするなどの対抗手段も書かれてあった。
理事長はかなり焦っていたが、日野さんから時間稼ぎの提案を受けて腹を括ったようだ。
とはいえ、この理事会で可決されないとも限らない。
OG会を取り仕切る九条親娘への反発があって、採決を先送りするという根回しはできている。
しかし、裏切りが起きないと言い切ることはできない。
私は平静を装い粛々と議事を進行する。
「生徒に自由を与えすぎるからこのような出来事が起きるのです。臨玲の名は失墜し、鎌倉のほかの女子高の後塵を拝することとなってしまいました。その責任は理事長にあります。可及的速やかに規律を取り戻し、新たな理事長の下で再建を図るべきです」
山吹氏が熱弁を振るう。
おそらくすべての理事が内心は賛成しているだろう。
「それで、誰が陣頭指揮を執るの?」と吉田有希子氏が尋ねる。
彼女は茶道部部長の吉田ゆかりさんの祖母であり、理事の中でも一二を争う重鎮だ。
山吹氏は「それは……」と言い掛けて口を閉ざす。
学園長が失脚したあと、様々なグループが絶妙なバランスを保った状態が続いている。
理事長自身が派閥を持たないがゆえに、ほかの人よりは均衡が取れるという消極的理由でトップにいるとも言える。
山吹氏が新たな理事長に就いたとしたら再び学内で大きな派閥争いが起きてしまうだろう。
吉田氏はそれを避けたいという思いが強い。
理事長は周囲のそうした思いに助けられている。
結局要望書の件は採決せずに次回の理事会に先送りされることとなった。
予定通りとなって私は再び安堵の息を吐く。
だが、今日はもう一つ大きな議案が残っていた。
私は一度目を瞑ってから理事長の顔を見る。
彼女は緊張した面持ちで私を見ていた。
頷きかけると、彼女はボソボソと何かを言った。
果たして何人の耳に届いたことか。
私は咳払いをして理事長に圧をかける。
すると、先ほどよりは大きな声で「緊急動議」と呟いた。
まだ聞き取れない。
私の目は吊り上がっていたかもしれない。
上座と下座でかなり離れているのに、理事長は私の顔色をうかがうと青ざめた表情になった。
そして、「緊急動議。新たな理事を登用する」と今度は全員にはっきり聞こえるように告げた。
驚く理事たちを尻目に私は立ち上がり、会議室の扉を開ける。
そこには制服姿のふたりの生徒がいた。
ふたりとも私より落ち着いた顔つきだ。
ふたりのうちのひとり、吉田ゆかりさんは一礼すると悠然と祖母の元へと歩いて行く。
彼女は秘書役として参加する。
もうひとり、日野可恋さんは空いていた理事の席へと向かった。
「HHP社代表取締役の日野可恋です。ご覧の通り臨玲高校1年生、生徒会長も務めています」
「どういうことよ!」と声を荒らげたのは山吹氏だ。
私はそれを無視して「臨玲学園グループ理事会約款により、理事長を含む出席理事の三分の二以上の同意があれば緊急動議を採決するかどうか決まります」と進行する。
そして、出席理事4人のうち3人が挙手したのを確認してから「日野可恋さんの理事任用について採決を行います」と宣言する。
「待ちなさいよ! たった3人しか賛成していないじゃない!」
山吹氏の怒声に「緊急動議は委任による代理人には議決権は存在しません」と私は冷静に答えた。
彼女は「こんなことをしてどうなるか分かっているの!」となおも声を張り上げる。
「議事進行の妨げになりますのでご静粛にお願いします」
血管が切れそうなほど真っ赤になった山吹氏はヒステリックな金切り声を発した。
そして、私に詰め寄る。
ゴージャスなネイルチップがついた手を私にかざし、いまにもそれで引っ掻かんとしていた。
私は自分の顔を守ろうと手で覆う。
だが、彼女の爪が私に届くことはなかった。
日野さんが山吹氏の背後から腕をつかむと、「暴行罪が成立しますよ」と耳元で囁いていた。
「離しなさいよ!」と手を振りほどいた山吹氏は鬼のような形相で日野さんを睨むと、自分の席に戻り荷物を手にして「帰るわ!」と怒鳴った。
誰も何も言わずに彼女を見送る。
バタンと勢いよく扉が閉められ、私はようやく肩の力が抜けた。
会議室に何とも言えない空気が流れる中で、日野さんは普段見せない笑顔でHHP社と自身のアピールを始めた。
私はこういう割り切りが理事長にもできたらと思わずにいられなかった。
理事長も、退席した山吹氏も、生まれや育ちに恵まれプライドばかりが肥大している。
それに比べて日野さんは……。
それでも私がいなければすぐにでもその座を追い落とされそうな理事長を支えていこうとは思っている。
彼女が私を信頼している限りは。
そのためには虎の尾を踏ませないように立ち回らなければ……。
††††† 登場人物紹介 †††††
北条真純・・・臨玲高校主幹。外資系企業から椚に引き抜かれた。派閥争いに勝利した立て役者であり、学校運営の中心人物となっている。
椚たえ子・・・臨玲高校理事長。前理事長の母から受け継いだが、性格に問題があって人望に欠ける。
九条山吹・・・臨玲高校OG。母の朝顔は理事であり、OG会会長を務める。早くその座を継ぎたいと思っているが、母は慎重に様子を見守っている。
吉田有希子・・・臨玲高校理事。理事長を頼りないと思いつつもこれ以上の混乱は避けたいという考え。
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。有希子の孫。授業が終わり次第会議に参加する予定だった。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。祖父は北関東で財をなした傑物。事業からは一線を退いたがその影響力は絶大なまま。陽稲の臨玲入学は彼の希望によるものであり、彼の母親は臨玲で青春時代を送った。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。NPO法人代表も務めている。HHPは日々木と日野の頭文字から。新館建設のために起業し、カフェや警備の契約も請け負っている。
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