第391話 令和4年5月1日(日)「救い」中之瀬コロナ
「わざわざ来てもらって悪かったね」
ラフな服装なので大学生っぽい印象を受けた。
顔の下半分はマスクに覆われている。
さらに、頭にはちょっと不思議な形のニット帽のようなものをかぶっている。
私の視線に気づくと、そこに手を当て「あんまり似合っていないでしょ。ひぃなが作ってくれたんだけど、合う服を着るのが億劫でね」とその人は苦笑を浮かべた。
「天使属性が高そう」と私の横にいた千種さんがポツリと言った。
確かにクールな大人という雰囲気の彼女には可愛らしすぎる気がする。
白い羽根飾りなんてまさに天使っぽい。
すっぽり頭に被さったその帽子は場の空気を和ませてくれているようにも感じた。
ここは臨玲高校の生徒会長であり理事も務める日野先輩の自宅マンションである。
朱雀さんが提案した飛び級の話について本人から詳しく聞きたいと先輩から申し出があった。
彼女は半年近く入院し退院後も自宅療養を続けているそうなので、こうして私が訪問することになったのである。
朱雀さんはもうすぐ開催されるファッションショーのプロデューサーを務めているため今日は同席できなかった。
代わりに彼女の親友である千種さんがこのマンションまで案内してくれた。
千種さんは話が終わるまで外で待つと言ったが、私は一緒にいてもらうように頼んだ。
秘密について話が広まることはいまも怖い。
しかし、秘密を抱えている辛さを私は誰よりも知っていたはずなのに、偶然それを知った朱雀さんにも黙っているよう求めてしまった。
彼女は私の願いを聞いてくれたが、大親友の千種さんにも言えなかったというのは相当辛かったはずだ。
それに1ヶ月程度のつき合いで私は千種さんなら信用できると感じていた。
彼女は朱雀さんやまゆまゆと違って前に出るタイプではない。
だが、私のように集団の中で空気のように存在感を消すタイプでもない。
他人から変わっていると思われても平気なようで、私には理解不能な発言をよくしていた。
それは拒絶的なものではなく、分かる人だけ分かってくれればいいという感じだった。
羨ましくなるくらい朱雀さんと信頼し合っていて、私にも彼女のような幼なじみがいたら……。
いや違う、私にも親友と呼べる幼なじみがいた。
彼女との関係もあの事故で失われた。
もしあの自転車事故がなければ……、結局そこに行き着いてしまう。
もの思いに耽っているうちに先輩が紅茶とケーキを出してくれる。
広いリビングは生活感に欠け、どこか病室のような感じがした。
先輩も肌つやがなく、そんな彼女にもてなされて居心地の悪さを覚えた。
紅茶の香りだけが私に安らぎを与えてくれる。
「原田さんから話を聞いたけど、中之瀬さんは本当にそれでいいの?」
私が紅茶に口をつけそれをテーブルに降ろすと、先輩は単刀直入に口を開いた。
先輩の視線を受けきれずに私は俯いてしまう。
「……たぶん、それが決まれば母は喜ぶと思います」
昔から妹ばかり贔屓にしていた母だったが、私の留年が決まって以降はさらにその傾向が強くなった。
いつも出来損ないを見るような目を向けられている。
妹が中学受験に失敗したのも私のせいだとされた。
実際は実力が足りていなかったのに、事故の影響で勉強できなかったと妹までが言い出した。
私が臨玲に進学したのも血縁者がいると合格しやすくなるという噂を信じて母に決められたからだ。
第一志望は東女だったが、私の希望は聞いてもらえなかった。
そんな母を喜ばせてもと他人は思うかもしれない。
しかし、家の中で少しでも過ごしやすくなればと願わずにはいられないのだ。
私は家庭の事情について思いつくままに話した。
これまで誰にも話せず心の中に溜まっていたものをなぜいま口にできたのかは分からない。
必死にひとりで耐え忍んでいた。
退院してからは本当に誰にも心の内を明かせなくなった。
それが堰を切ったように零れ出す。
時折顔を上げると、先輩の黒い瞳が私の深淵を覗き込むかのようにこちらに向けられていた。
先輩を見て、入院していた頃に親身になってくれた看護師さんのことを思い出したことも口が軽くなった要因かもしれない。
「年齢や学年なんて些細な問題だから、中之瀬さんが望むのならそれを叶えることはできます。しかし、何かを選ぶということは、選ばなかった側の未来はもう手に入らないということです」
先輩は淡々と話すだけなのに、私の胸にはグサリと刃が刺さる。
隣りに座る千種さんの様子を窺うと、人形のように整った顔からは感情が読み取れなかった。
言うまでもなく私が本来の学年に戻れば、彼女や朱雀さんと同じクラスではいられなくなる。
まゆまゆとも。
飛び級をして秘密を告白し、同じ年齢だから仲良くしてくださいと言って上手くいくのかどうか。
上手くいかなかったからといって後戻りはできないだろう。
ならば、秘密はそのままにしておく?
それでは飛び級の意味がない。
決断できずに私は先輩に対して縋るような目を向ける。
いっそ先輩が決めてくれれば……と願うような気持ちだった。
「中之瀬さんは不運で、不幸だったのは間違いない」
私の願いが通じたのか先輩が話し始めた。
事実を述べているだけのような感情の籠もらない声だった。
「第三者的にはもっとできることがあったのではと思うかもしれない。しかし、中学生がたったひとりでその苛酷な現実に立ち向かうのは困難だろう」
胸が苦しくなる。
決して糾弾されている訳ではないのに、己の弱さを突きつけられている気がした。
「残念ながら救いを待っていても、それはごく稀にしか訪れない。だから、自らの手で自分を救う必要がある。その方法を学ぶといい」
「……学べるんですか?」
「誰だって最初からできる訳じゃない。もちろん自力で身につける人もいる。でも、他人の手を借りたっていい。自分でできるようになりさえすればね」
先輩は簡単そうに話すが、私は半信半疑だった。
中学時代はどこに助けを求めていいか分からないくらい霧の中にいるような感覚だった。
朱雀さんのお蔭でその霧が少し晴れた気もするが、すべての苦しみから抜け出せるとはまったく思っていない。
ましてや自分の力でなんて不可能だ。
「ハッキリ『助けて!』って言ってくれないと助けられないって、さっきマックで女子高生が言ってた」
「……千種さん?」
私が頭に疑問符を浮かべていると、日野先輩は目を細めて「そうだね」と頷く。
そして、「飛び級は問題解決に繋がらない。まずは、ファッションショーが終わってから原田さんとよく話し合ってみて。あと先日の事件の被害者である飯島さんと会ってみると良い。それでもまだ飛び級を望むのなら力を貸すよ」と言葉を続けた。
お手洗いを借りて戻って来ると、先輩が千種さんにかなり熱心に話し掛けているのが見えた。
気になったので帰り道で聞いてみた。
「すーちゃんが思いつきで突進しないようちゃんと手綱を持っておくようにって」
「ごめんなさい。とんだとばっちりだね」
「大丈夫。あれは女神様の影響なのですと返しておいたから」
††††† 登場人物紹介 †††††
中之瀬コロナ・・・臨玲高校1年生。小学校卒業直前に自転車同士の接触事故により意識不明の重態となり、その後リハビリなどもあって中学1年生をやり直すことになった。それが知られ渡った中学では同級生との間に壁ができて、その後3年間にわたって孤立する状況が続いた。そのため高校ではそれを”秘密”にしようとしていたが……。
原田朱雀・・・臨玲高校1年生。中学時代に手芸部を創部する際に陽稲や可恋に協力してもらい、その縁で可恋からビシバシ鍛えられた。高校入学早々にGW開催のファッションショーのプロデューサーに抜擢される。そのモデル選考の際にコロナの生年月日を見て”秘密”に気づいた。
鳥居千種・・・臨玲高校1年生。朱雀の幼なじみ。中二病的な言動を好み、それによってリア充グループからは距離を置かれていた。ライトノベルやネット小説を読むのが趣味。
武田まゆり・・・臨玲高校1年生。愛称は「まゆまゆ」。
日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。臨玲の理事も務める。昨秋から今春にかけて入院していた。薬の副作用により脱毛したため帽子は欠かせない。
日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。ファッションデザイナーとしてファッションショーの準備に忙しい。朱雀たちからは女神様と呼ばれている。
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