第390話 令和4年4月30日(土)「軽井沢」神楽坂歴亜
天気は良いもののこの時期の軽井沢はまだまだ肌寒い。
ゴールデンウィークが始まり家族でどこかへ出掛けることとなった。
休暇よりも仕事をしている方が気が安らぐという母は参加せず、父と姉との3人での旅行である。
クラスメイトである鹿法院姫香様が軽井沢へ行くというので父にお願いして私たちもこの地の別荘へ向かうことにした。
今日はその姫香様をこの別荘にお迎えすることになっている。
その準備を使用人に命じ、私は身だしなみを整えた。
そして準備が滞りなく行われたか確認しているところに姉がふらりと現れた。
「今日は姫香様がいらっしゃるとお伝えしたはずですよね。
口調がキツくなったのは追い払いたいという気持ちが表れたからだ。
姉は気が利かない。
姫香様から同席を望まれたら断らないだろう。
「わかった」と姉は頷いて自分の部屋へと戻っていく。
「西田さん、姉の服をチェックしてあげてください。姫香様や私とかぶらないように」と私はもっと信頼しているお手伝いさんにあとを追うようお願いする。
姉が付き従う芳場美優希様は前首相の娘とはいえ一般人である。
私たちが行っている社交のお約束を知ろうとせず、ただ見よう見まねでお金持ちごっこを演じているに過ぎない。
そんな美優希様相手なら姉でも大丈夫だろうが、家格はそう高くないとはいえ本物のお嬢様である姫香様を前にするとボロが出そうで心配になる。
しばらくして姉が戻ってきた。
顔立ちは良いのに地味な衣装がそれを台無しにしている。
神楽坂の娘なのだからそれに見合ったものを着ればと思うが、頑なにそういう服を拒むので私も薦めるのを諦めてしまった。
私は彼女に近づくと耳元で「社交辞令で同席を勧められるでしょうが断ってください」と忠告する。
その言葉に何の反応も示さないので、「くれぐれも私の邪魔はしないでください」と念を押す。
姉の覇気のない瞳からは何を考えているのかまったく伝わってこない。
私は苛立ちから彼女を睨みつけた。
「いくらお母様の言いつけとはいえ、卒業した人にかしずいてばかりいても時間の無駄ではありませんか?」
母は自分の実姉が嫁いだ芳場家との繋がりを重視している。
だから姉を従姉である美優希様の元に送り、その結び付きを深めようと考えた。
「同じ実利を求めるのでしたら同じクラスの藤井菜月様と仲良くしてくださればいいのに」
こちらに来る前、母にそれを訴えたが聞く耳を持たなかった。
多忙な母は情報を十分に精査しているとは言い難い。
私が臨玲入学後の1ヶ月で美優希様について調べたところ母や姉から聞いていたものとの隔たりが非常に大きく驚愕した。
母の耳に届いているのは美優希様の美点のみのようだ。
それを指摘しても「姉さんがちゃんと教育するわよ」と根拠のない希望的観測に縋っていた。
母の唯一の欠点は身内への甘さだ。
普段は経営コンサルタントとして理路整然としていて、他者にも自分にも厳しい姿勢を見せている。
それなのに姉・
口の達者さでは母に敵わない私はいつも悔しい思いをしてきた。
そして、思い至ったのだ。
母は庶民なのだと。
私は神楽坂家に生まれ、その家の名を背負い大きな責任を感じながら生きている。
決して家名を傷つけてはならないし、恵まれた環境で育った分を社会に還元しなければならないと信じている。
しかし、母や姉はそういう自覚に欠ける。
母は一般家庭に生まれ、社会的責任と向き合うことなく育った。
だから理解できなくても仕方がないのだろう。
だが、姉は違う。
母の影響が大きかったせいとはいえ、彼女も神楽坂の娘なのだからそれに見合う行動を取るべきだ。
「鹿法院様がお見えになりました」
お手伝いさんにそう告げられ、私は息を吐いて気持ちを切り換える。
姫香様は私の父と姉にお手本のような挨拶をして見せた。
私がお茶会の席に招こうとすると、「お姉様もご一緒しませんか?」と姉を誘う。
果たして、姉は首を縦に振った。
部屋の中に入るまで笑みを絶やさなかった私の精神力は褒めてあげたい。
私はドアが閉まった瞬間、「
彼女がこちらを振り向く。
その何の意思も示さない瞳には笑顔の私が映っていた。
パシッ!
人の頬をぶった経験なんてないので加減が分からなかった。
自分の手に衝撃が走り、ドサッと姉が床に崩れ落ちる様子がスローモーションのように目に飛び込んでくる。
「おー、意外とやるねー」と姫香様が興奮気味に話すのが聞こえた。
「もうしばらく余興におつき合いください」と彼女に断り、私は姉を見下ろす。
「お母様に告げ口しても構いません」
それは姉だけでなくお茶会に備えているお手伝いさんたちにも聞かせるための言葉だ。
私は堂々と声を張り上げる。
「これから神楽坂家を支えていくのは私です」
姫香様は「
私はその声を聞いてリラックスすることができた。
「当主であるお父様が鹿法院家との関係強化を認めてくださりました。姫香様、これからもよしなにお願いします」
そう言うと私は畏まって優雅に頭を下げる。
姫香様は「こちらこそよろしくねー」とひとりだけ観客席にいるような無邪気さで応じた。
「
鹿法院家の当主が表舞台に出て来ないのは女狂いゆえだと言われている。
認知した子どもの数は両手では足りないほどだ。
姉もその噂くらいは聞いているのかわずかに青ざめたように見えた。
「ダメだよー」と抗議した姫香様は「そんな貧弱そうな身体だと1日で壊れちゃうよ」と笑う。
姫香様は完璧なお嬢様を演じる一方、善悪を超えた快楽主義者の側面を持つ。
父親の影響があるのだろう。
いまの私にはこの残酷な美少女を救うだけの力がない。
しかし……。
††††† 登場人物紹介 †††††
神楽坂
神楽坂
藤井菜月・・・臨玲高校2年生。大手IT企業を起業した一族の直系。5月の生徒会長選挙に出馬する予定。
* * *
「それにしても、日々木ちゃん、見直したよねー」
「そんな呼び方をしているとファンから袋だたきにされますよ、姫香様」
「可愛いんだから日々木ちゃんでいいじゃん」
そう話す姫香様も負けず劣らず可愛らしい。
日々木先輩が外国風のお姫様なのに対して、こちらは和風のお姫様だ。
「そんな日々木ちゃんをびっくりさせる計画を考えたんだ」
姫香様はとても楽しそうだ。
しかし、側近であろうとするならば時には諫めることも必要だ。
「どんな計画ですか?」と尋ねると、スラスラと答えた上で「
「分かりました。全力で事に当たりましょう」
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