第84話 令和3年6月28日(月)「言葉をめぐる冒険」日々木陽稲

「愛しています。僕と結婚してください。命を懸けて貴女を幸せにしますから」


 刺激的な言葉を可恋は淡々と読み上げた。

 いわゆる棒読みというやつだ。

 わたしは胸をときめかせる準備ができていたのに、あまりのことに血の涙を流しそうになった。


「もっと感情を込めて!」というわたしの魂の叫びにも可恋は「これってひぃなが考えたの?」と取りつく島がない。


「紫苑がセリフを無しにしようかって言うのよ。そりゃあ、わたしは彼女のような演技はできないけど、ヒドくない?」


 秋に臨玲祭という学園祭が開催される。

 生徒会として短編映画を公開する予定になっている。

 監督は映画女優として有名な初瀬紫苑。

 それだけで学校の内外から注目を浴びるだろう。

 主演はわたしだ。

 容姿だけなら芸能人にも劣らないと紫苑も言ってくれた。

 だが、演技は素人だ。

 特にセリフは聞くに堪えないらしい。


 まあ、それ自体は構わない。

 問題はこの映画のクライマックスシーンだ。

 まだストーリーは完全には決まっていないが、わたしの曾祖母の学生時代をモデルにしているのでプロポーズシーンが山場になるはずだった。

 99パーセント男性役は可恋が務めることになる。

 そこでの愛の告白を描かないなんてあってはならないことだ。


「しっかり紫苑と相談して決めてね」と可恋は他人事のように話す。


「可恋としてはどうなの? 紫苑がOKすれば可恋のセリフになるでしょ? それとも可恋が自分でプロポーズの言葉を考えてくれる?」


 可恋は芸術方面は全然駄目だと話すが、読書家だからわたしよりも文才はあるかもしれない。

 わたしは期待を込めた視線を送る。


「うーん、私が読むのはミステリだからね。探偵役のセリフなら考えてみたいけど、こういうのはね」


「えー」と頬を膨らませると、可恋はニヤリと笑い「それに自分で考えた大切な言葉はこんなところで使うんじゃなく本番で使わないと」と囁いた。


 思わずドキリとしてしまう感情の籠もった声にわたしは頬を赤らめた。

 可恋は普段声に感情を乗せないので、たまにそれをするとドキドキしてしまう。

 この囁きを上映したら観客はみんな失神してしまうのではないか。

 紫苑の言うようにセリフを無しにした方がいいかもしれないと、わたしも思うようになった。


「試験が近いから映画のことはほどほどにね」と可恋はこの話題を終わらせる。


 来週は1学期の期末試験なので、今週は生徒会活動も休止だ。

 それに……。


「可恋……」


「そろそろ時間だよ。気をつけて行ってきてね。以前に比べれば危険は減ったけど、油断はしないように。純ちゃん、ひぃなのことをよろしく」


 ダイニングテーブルのいつもの位置に着席してわたしたちのやり取りを眺めていた純ちゃんは可恋の言葉にコクリと頷いた。

 わたしは可恋に心配を掛けないよう笑顔で応じるつもりだったが、いつもに比べて冴えない笑顔になっていたと思う。


 可恋は今日から検査入院を行う。

 彼女は毎月1回大学病院で検査をしているが、今回は少し大掛かりな検査をするということになった。

 検査はかなり大変なようで、毎回疲れた表情で戻って来る。

 そのため今回は数日間入院して行うことにしたそうだ。


 わたしの不安に気づいた可恋は「大丈夫だよ」と優しく声を掛けてくれる。

 ただの検査だと分かってはいる。

 だが、お母さんが入院した時は面会が許されず長い間顔を合わせることができなかった。

 もし、万が一、検査の結果に問題があれば……。

 そんなことは考えたくはない。

 考えたくはないが、彼女の健康は普通の若者と比べてリスクが高いのも事実だった。


 映画のセリフを考えていたのも昨夜は不安で寝つけなかったからだ。

 それを口に出したりはしないが、きっと可恋は分かっているだろう。


「行ってくるね。可恋も気をつけて」


「うん。病院でのんびり過ごすよ」


 そう言って可恋はわたしたちを送り出した。

 純ちゃんに促されてわたしは重い足取りで階下へ向かう。

 マンションのすぐ近くに駐められていたハイヤーに乗り込んでから、わたしは純ちゃんの太い腕にしがみついた。


 高校に入学して3ヶ月足らず。

 可恋は獅子奮迅の活躍を見せている。

 理事長との約束だった生徒会長就任も成し遂げた。

 いまも臨玲の改革に邁進しているが、それはわたしが安心して学校生活を営むことができるようにするためだろう。


 ……わたしはわたしのやり方でこの高校を安心安全な場所にしていかないと。


 可恋のようなハード面の改革はわたしには無理だ。

 彼女は習熟度別クラス編成や部活動改革といったシステム面はおろか、新校舎の建設といった物理的な変革まで行おうとしている。

 わたしができるのはソフト面だろう。

 人と人との和。

 協調。

 仲間意識。

 まずは自分のクラスでそういったものを築きたい。

 そのための活動は続けている。

 歩みは遅くても、クラスメイトたちに声を掛け続けることで成し遂げられると信じている。


「おはよう」と教室で元気良く挨拶して回る。


 自分が為すべき事をする。

 そうすることで不安を忘れていられる。

 今日は紫苑も休みだ。

 可恋と紫苑という存在感抜群のふたりがいない教室は、それでも普段と変わりがないようにみんな普通に過ごしている。


「おはよう、藤井さん」


 わたしが声を掛けた相手は会釈だけを返した。

 目を引くほど整った顔立ちだが、表情が硬くて冷たい印象を与えている。


「わたし、挨拶ってとても大切だと思うの。おはよう、藤井さん」


「私は……そうは思わない。押しつけないでもらえるかしら」


「そうはいかないの。クラスメイトだからね」とわたしはニッコリと微笑んだ。


「挨拶するかどうかなんて、私の自由じゃない」と藤井さんは突っぱねる。


「違うよ」とその言葉を正面から否定する。


「共同体の一員であるということは、ルールに従ったり責任を負ったりするってことだよ」


 彼女は黙り込んだまま何も答えない。

 茶道部に入部希望だったようだし、孤高を気取るタイプではないようだ。

 友だちもいるし、西口さんの説得で生徒会の短編映画制作に協力もしてくれる。

 とりあえずぶつかってみて、うまくいかないようならアプローチを変えればいい。


 彼女の返事を待っていたが残念ながら時間切れだ。

 チャイムが鳴ったので自分の席に戻る。

 気を抜くと可恋の顔が浮かんでしまうので、意識を藤井さん攻略に向ける。

 こう言ってはなんだが、いまのわたしにとっては攻略難易度が高い方がありがたかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。可恋と同居して間もなく1年半が経つ。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長のほかNPO法人代表やいくつかのプライベートカンパニーの代表取締役を務める。臨玲高校理事にも就任した。


安藤純・・・臨玲高校1年生。陽稲の幼なじみ。競泳のトップスイマー。毎朝陽稲とジョギングをしたあと可恋のマンションで朝食を摂っている。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。著名な映画女優であり同年代に圧倒的な人気を誇る。新作映画の撮影が始まったところ。


藤井菜月・・・臨玲高校1年生。陽稲のクラスメイト。貧乏人を蔑む発言をしたりするのでクラスでは避けられている。古和田万里愛、光橋紅美子のふたりとだけ仲が良い。

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