第83話 令和3年6月27日(日)「強くなるための3つの方法」保科美空

「考えている余裕なんてないですよね」


 よくマンガのバトルシーンで自分や相手の行動の意図や理屈を長々と解説することがある。

 読者にとってそれは必要なものだけど、現実ではいちいち考える時間なんてない。

 いかに素早く行動するか。

 いかに最適に動けるかが勝負の鍵を握る。

 あたしはそうやって無我夢中で戦ってきたが、本当に強い人は戦ったあとに「あそこはこうだった」とか「そこはこうすべきだった」とかよく覚えている。

 もちろんあたしだってある程度は記憶しているが、細かさが違うのだ。


 今日は道場にはじめさんと彼方さんが来ていたので質問してみた。

 ふたりは東京の高校生で、フルコンタクト系の空手の選手だ。

 うちの道場の所属ではないが今年になってから週末によく顔を出すようになった。

 ふたりとも優しいのでよく稽古をつけてもらっている。


「まあな。考える暇があったら手や足を出せって感じだな」とはじめさんは同意してくれた。


 一方、彼方さんは「言葉で考えている訳じゃないけど、情報を処理している感覚はあるかなあ」と答えた。

 はじめさんは「達人っぽいな」と茶化したが、彼方さんは「お姉様はもっと高速な気がする」と真剣な顔つきで語る。

 彼方さんによると、視覚を始め五感をフルに使って情報を収集し、それを並列に解析しながら何をすべきか判断し続けるそうだ。

 相手の行動を瞬時に予測できるのも凄いが、その上で最適な行動を選択できることも本当に凄い。

 だだ試合にはルールがあるので、自分の攻撃がルールから逸脱していないか毎回チェックするためうまく戦えないらしい。


「相手を殺しても大丈夫なら負けない自信はあるんだけどね」と爽やかな笑顔で言うのだから恐ろしい人だ。


 そして、彼女がお姉様と呼ぶ日野さんは肉体的な強度は高くないが思考の処理速度が圧倒的に速く、力を加減しながら戦っても考えるスピードが落ちないと言う。

 とんでもなく頭が良い人だと聞いているので、あたしでは逆立ちしても真似はできないだろう。


「勉強できないあたしじゃそんな戦い方はできないですよね」


「そんなことないよ。私だって学校の成績が良いってほどじゃないし。はじめちゃんの方が頭は良いよ」


「試験なんか授業をどれだけ真面目に受けていたかによるからなあ」とはじめさんは彼方さんの言葉を真に受けない。


「彼方は空手のことばっか考えているから、そういうのが大きいんじゃない?」


「勉強よりも空手優先ですか」とあたしが納得すると、ふたりから「勉強もちゃんとするように」とお叱りの言葉が投げ掛けられた。


 とはいえ、ふたりとも微笑んでいる。

 年長者として勉強をしなくても良いとは言えないということだろうと察して、わたしも笑いながら「勉強も頑張ります」と答えた。


 昨年は中止された空手の全国大会が今年は開催予定となっている。

 8月下旬なのでまだ2ヶ月ほどあるものの、少しでも強くなりたいという気持ちは募っている。

 猛練習をしたいところだが、うちの道場は量より質という方針だ。

 焦りはある。

 しかし、師範代の三谷先生からは少しでも質を上げるためにどうすればいいのか良く考えるようにと言われている。


「どうすればそんな風になれますか?」とあたしは単刀直入に彼方さんに尋ねた。


 彼女は頬に手を当てて考え込む。

 はじめさんも興味深そうな顔で彼方さんを見ていた。


「これをしたからといって私のような戦い方ができるかどうかは分からないよ。ただ、いまの私が強くなるために大切だと思っていることを話すね」


 あたしは姿勢を正して「はい」と答える。

 彼方さんは指を折りながら話を続けた。


「三つあるの。ひとつ目はいついかなる時も戦うことを想定すること。例えば、いまもはじめちゃんと美空みくちゃんがふたり掛かりで襲ってきたらどう対処しようかっていくつものパターンを考えているの」


 彼女はどんな戦いをイメージしているのか教えてくれた。

 あたしが不意を突き、その間にはじめさんが攻撃する展開。

 ふたり掛かりで同時に襲う展開。

 さらに第三者が加わってくる展開。

 はじめさんが襲ってきてあたしは助けようとするけど、気を許したところで裏切るという展開なんてのもあった。

 頭の訓練のように思いつく限りのパターンについて、どう対処するのが最善かを考える。

 口で言うのは簡単だが、普通に会話をしながら頭の片隅でそれを行い続けているというのは驚きだった。


「学校の行き帰りはもちろん、授業中もここにテロリストの集団が襲ってきたらどうするかとかばっかり考えているからね」


「そりゃ試験に苦労する訳だ」とはじめさんは苦笑している。


「ふたつ目はお姉様の影響を受けて私も改めて取り組み始めたところなんだけど、人体の構造を詳しく知ることだね」


 人間の身体は物理法則に従っているし、骨や筋肉による制限を受ける。

 当たり前のことだが、分かっているようでいて十分に理解できていないことも多いそうだ。

 人は鍛えることで自分の身体をかなり自由にコントロールできるようになる。

 しかし、完全にコントロールするために本来なら無意識に起きる反射的な行動を押さえ込むということも起きているらしい。

 すぐに強さに直結する訳ではないが、こういう知識を積み重ねておくことが相手の動きから情報を読み取る上で大事になるのではないかと彼方さんは言った。


「彼方は以前から学んでいたんだよな?」


「いままでのは、人の身体を効率的に壊すためという偏った知識だったからね」


 彼方さんが故郷の小笠原で学んだ空手は米兵相手に戦い抜くことを目的にしたものだと聞いている。

 丸腰で武器を持った大男に勝つためにはありとあらゆる知識が必要なのだろう。

 その空手を作り上げた師匠に比べれば全然その域まで達していないよと彼方さんは話すが、あたしたちの知る空手とは別世界のもののように感じてしまう。


「お姉様は伝統派の空手から私以上に実戦的な思考を身につけているのだけどね」


 彼方さんは歳下の日野さんのことを憧れの存在のように話す。

 空手の方向性が近く、同志みたいなものだそうだ。

 彼方さん相手に組み手で引けをとらない日野さんは、しかし形を専門にする選手だった。


「三つ目は形を身につけることだと思うの。私もイヤイヤやっていたのだけど、それがいまはより良い動きに繋がっているような気がしているの」


「形の選手は組み手でどれほど強いのかって昔から言われているみたいだよな」とはじめさんが口にする。


 演武を競う形と相手と戦う組み手ではまったく別の競技のように思うこともある。

 あたしは組み手の選手だが稽古では形も行う。

 それがどれほど役に立つのかは分からない。

 だから、真剣に取り組めているかというと自信を持ってはいとは答えられなかった。

 うちの道場には組み手の選手が多い。

 その人たちが組み手も強いかというとよく分からないというのが正直なところだ。

 強そうでもあるし、そうでもないようにも思う。

 ただ日野さんは強い。

 それだけは間違いがなかった。


「女の子の正確な突きと大男の適当なパンチなら、パンチの方が威力はあるよね。でも女の子が大男に勝とうとするのなら正確な突きを自在に繰り出せることが最低条件だと思うの」


 競技だと尚更正確な動きに価値がある。

 身体能力を高めることは基礎となるが、これまでにも鍛えてきたので急激に強くなるというのは期待薄だ。

 成長期なので身長がグングン伸びればワンチャンあるけど、こればかりは自分の意思ではコントロールできない。


「実力が拮抗している相手ならほんのわずかな差が意味を持つと思う。いま挙げた三つは即効性はないものの、ちょっとした差をつけることはできるんじゃないかな」


「ありがとうございます!」とあたしは深々と頭を下げる。


 大会までの間に取り組む目標ができた気がした。

 ひとつ目とふたつ目は練習とは直接関わらないので時間の許す限り行えるし、三つ目の形の稽古もうちの道場なら良いお手本がいっぱいいる。

 本当は自分の力で目標を立てた方が良いのだろうが、もう時間があまりないのでそんなことは言っていられなかった。


「でも、まあ、強い相手と実戦を積み重ねるのがいちばんだと思うけどな」と言ったはじめさんは「今日は徹底的に相手をしてやるよ」とニヤリと笑う。


 彼方さんの為になる教えは教えとして、それよりもいまは実戦だ。

 わたしは嬉しい気持ちを隠せず「よろしくお願いします」と弾む声を出した。




††††† 登場人物紹介 †††††


保科美空みく・・・中学2年生。空手・組み手の選手。県大会で優勝し夏の全国大会出場を決めた。


小谷埜はじめ・・・高校2年生。空手・組み手の選手。中学までは伝統派だったが現在はフルコンタクトの道場に通う。そこで彼方と知り合った。


大島彼方・・・高校2年生。空手・組み手の選手。小笠原諸島出身。高校進学を機に都会に出て来た。可恋のことを歳上だと勘違いしてお姉様と呼び、それがいまも抜けていない。


日野可恋・・・高校1年生。空手・形の選手。中1の3学期に関東に引っ越してきた。引っ越し先を決める大きな要因がこの道場だった。


三谷早紀子・・・師範代。女子の育成に定評があり、その名を慕って遠方から稽古に訪れる門下生も多い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る