第82話 令和3年6月26日(土)「元モデル」矢板薫子

 美しい女性だった。

 母と同年代とは思えないほど若々しい。

 しかし、若作りをしているようには見えない。

 きらびやかなドレスもほかの参加者よりは落ち着いた印象だ。

 あくまでも自身の輝きを引き立てるために着ているようにわたしの目に映った。


「本当ならもっと盛大にしたかったのに残念だわ」


 母はそう嘆くが、このご時世にしては十分に盛大なパーティーだ。

 我が家で行われるホームパーティーという名目だが、かなり贅をこらしたものとなっている。

 音楽はプロの演奏家による生演奏。

 料理も高級レストランからシェフや板前を招いている。

 こうしたパーティーを開くのは随分と久しぶりなので母は張り切ったようだ。


 主賓は若竹クレア様。

 学生時代にモデルで活躍したと聞いている。

 ほかの同世代の出席者たちが少しでも若く見られたいと心血を注いでいるのが手に取るように分かる中で、彼女は歳相応の美しさを際立たせていた。


 わたしが母の側にいると、彼女は「娘さん?」と尋ねた。

 初対面のわたしは「薫子です」とドレスの裾を持ち軽く頭を下げる。

 母が「臨玲に通っているのよ」と自慢げに話す。

 それが何の自慢にもならないことを知っているわたしはわずかに眉をひそめた。


 彼女はわたしにニッコリと微笑むと、「輝かしい時は一瞬だから精一杯輝けるように努力することだね」と箴言をくれた。

 わたしは「はい、頑張ります」と適当に合わせておく。

 わたしたちの会話を聞きつけた九条山吹様が「本当に儚いものよ、若さって。後悔しないようにたくさん遊んで良い男を見つけなさい」と母の前で返答に困る発言をした。


 本来であれば挨拶だけで引っ込みたかったのだが母は許してくれなかった。

 薫子はパーティーの経験が足りないと言って、ホステス役の母の近くでその手伝いをさせられることになったのだ。

 母は結婚後OG会の活動にのめり込んでいったので、今日の来訪者は気心が知れた間柄の人が多かった。

 わたしにとってもその大半と面識があった。

 とはいえ、値踏みされるような視線を投げつけられるので良い心地はしない。


「いまの子たちって羨ましいよねー」と昼間からカクテルを手にして話す矢上美雨様に「そうよね。恵まれすぎだわ」と山吹様が相づちを打つ。


 母やそのご学友の話を聞いている限りでは自由奔放だった彼女たちの学生時代の方が羨ましく感じるが、この場所ではそんなわたしの意見は異端に過ぎない。

 反論しようにも孤立無援になることは目に見えている。


「どこがだよ。思い込みだけで言うんじゃないよ」


 すぐ近くのソファに腰掛けくだを巻いているのは臨玲高校理事長の椚たえ子様だ。

 顔は赤く、目はとろんとしている。

 先ほど矢上様からジュースと言って手渡されたカクテルを口にして、たった1杯でもうできあがったようだ。


「いつもあたしたちの前では何も言えなくて黙り込んでいたのに、偉くなったものね」


 山吹様に絡まれ理事長は顔を伏せた。

 その怯える姿を見て「たえ子ちゃんはそうじゃなくちゃ」と山吹様があざ笑う。


「折角来てくれたんだ。あんまりいじめてやるなよ」と若竹様が窘めるように割って入った。


 本当ならホステスが務めるべき役割なのに母は山吹様と一緒になって笑っていた。

 わたしのような小娘では何を言っても聞いてもらえないので、彼女の発言に胸をなで下ろした。


 ……母が帰国を祝ってこんなパーティーを開きたくなる気持ちは分かるな。


 若竹様は動作や言葉遣いひとつひとつに華があり、目を引く。

 ファンが多かったというのも頷ける。

 対照的な印象を与える山吹様の隣りにいたら、よりそんな捉え方をされるだろう。


 結局理事長は主賓の若竹様に介抱されて部屋を出て行った。

 さすがに見かねて「わたしが」と申し出たが、若竹様は「大丈夫。それに久しぶりに会えたのだから少し話もしたいからね」と首を振った。


 彼女は二十歳前後で海を渡り、長く海外で生活していた。

 いまは外国に暮らしていても連絡を取り合うことは簡単に行えるが、音信不通に近い状態だったらしい。

 それが今年の春に突然帰国した。

 そのことはごく少数の友人たちだけに知らされたそうだ。

 今日のパーティーでもう少し多くの人間に知られることになる。

 いまOG会で精力的に活動しているのは母や山吹様の世代なので、少なくない影響があるかもしれない。


 わたしは何か手伝えることがないかとトイレに行く振りをしてふたりのあとを追った。

 若竹様に良い子だと認めてもらいたい気持ちがなかったと言えば嘘になるだろう。

 控室のひとつに行くと、そこにはふたりのほかに若い男性がいた。

 20代後半といったところか。

 髪は明るく染めているが軽い感じはしない。

 むしろ身だしなみが整い、清潔感のある人だった。


「どうしたの?」とわたしが部屋に入ると若竹様が声を掛けてきた。


 その声にわずかではあるが咎める響きがあったので思わずビクッとなる。

 それに気づいた若竹様は「ごめん、ごめん」と優しい声で謝罪した。


「秘密の友人を知られちゃったからね」と若竹様はウインクを飛ばす。


 映画の一シーンかと思うほど様になった仕草だった。

 若い恋人を連れて来たなんて知られたら大変なことになる。

 彼女の声が尖っていた理由が判明して、わたしは「誰にも言いません」と誓いを立てた。


「ありがとう」と爽やかに微笑んだ若竹様は「彼に車まで送ってもらうことにするよ」と言葉を続けた。


 わたしは「運転手を呼んできます」と提案したが、「あまり主賓が席を外す訳にはいかないから」と彼女は答えた。

 若竹様を先にパーティーに返し、運転手が到着するまでここに待つというのがわたしの為すべき仕事だろう。

 しかし、そうするとこの男性としばらくの間ここで過ごすことになってしまう。

 理事長は眠りに落ちている様子だった。

 ほかの使用人を呼べば彼の存在が知れ渡る可能性がある。


 わたしは理事長と男性を見比べ、それから「分かりました」と了承する。

 年齢や容姿を考えると不釣り合いだし、若竹様の恋人なら裏切るような真似はしないだろうと判断した。

 男性が理事長に肩を貸して軽々と連れて行くのを見送ってから、わたしたちはパーティーの場へ戻った。


 パーティーが終わりホッとしていると母が近づいてきた。

 大役を終えたという安堵感よりも久々のパーティーを堪能したという顔つきだ。


「クレア、素敵だったでしょう」と我がことのように母は自慢する。


 しかし、それは事実だ。

 これまで様々な大人を見てきたが、若竹様はその中でも五指に入る印象深い女性だった。

 わたしは感情を出さないように気をつけながら「そうですね」と応じる。


 嬉しそうに笑った母は突然母親の顔になると「ただし、気をつけなさい。あの人はレズビアンだから」とわたしの耳元で忠告する。

 わたしは驚いて目を瞠った。


 ……では、あの男の人は?


 若竹様に言わないと誓約した手前、わたしは口を閉ざす。

 だが、頭に渦巻く疑問は消えそうにない。

 言い知れようのない不安がわき上がり、わたしはそれを沈めるように自分の胸に手を当てた。




††††† 登場人物紹介 †††††


矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。生徒会・クラブ連盟長補佐。母は臨玲高校OG会で精力的に活動している。山吹たちより少し学年が上。


若竹クレア・・・臨玲高校OG。学生時代は有名なモデルだった。同学年の山吹とつるんで校内では頂点に立っていた。海外に移住していたが、今年になって帰国を果たす。


九条山吹・・・臨玲高校OG。母はOG会会長で臨玲高校理事。その権威を背景にOG会ではもっとも影響力を持っている。バツイチで、現在の趣味はホスト通い。


椚たえ子・・・臨玲高校OG。臨玲高校理事長。山吹とは同学年で、いろいろと因縁がある。未婚。

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