第4話 令和3年4月9日(金)「紫苑」日野可恋
午後になって俄に雲が立ち込めてきた。
昨日は新入生に対するオリエンテーションが行われ、今日から早速通常の授業が始まった。
1年生を担当する教師は最近この高校に採用された人が多く、お嬢様学校というイメージで入学した生徒たちが面食らう授業が初日から繰り広げられた。
終わりのホームルームが始まる頃に小雨がパラパラと降った。
今日は気温も低めで、私は眉をひそめて窓の外を眺めていた。
その時だ。
校内放送が流れてきた。
『生徒会よりお知らせします。今年度の生徒会長及び生徒会役員選挙は4月23日に開催します』
入学したばかりの1年生のほとんどにとっては関心のない話題だっただろうが、私にとっては今後の戦略を練り直す必要がある重大事項だ。
私はホームルームが終わるとすぐに、前の席に座る紫苑と後ろの席に座るひぃなに「新館に行こう」と呼び掛けた。
この3人で新館に向かうのは2日連続となる。
昨日は午前中だけでオリエンテーション等の行事が終わった。
入学式で「私のものになりなさい」と声を掛けてきた初瀬紫苑は周囲に人を寄せ付けずに過ごしていたが、ホームルームが終わると振り向いて私に話があると告げた。
私も彼女の人となりを知るために話をしたいと考えていたのでそれを了承し、余計な邪魔が入らない新館に行くことにした。
もちろん、ひぃなが同行することを了承してもらって。
彼女はひぃなのことを取るに足らない存在と思っているようで簡単に応じてくれた。
入口のところで些細なトラブルは起きたものの問題なく中に入り、新設のカフェで話をする。
この新館は試運転中という名目で、いまだ入場が許可された人物は限られている。
私が生徒会長に就任後、1年生から順次開放していく予定だ。
有名芸能人を味方に取り込めるのなら、先行して承認することは安い投資だろう。
白を基調としたカフェは清新で高級感に溢れている。
アクリル板の仕切りが無粋ではあるが、こればかりは仕方がない。
まだメニューは限られているものの軽食を摂りながら話をすることになった。
「裏に北条さんがいるのね」と初瀬さんが切り出した。
北条さんはこの学園の事務方トップであり、理事長の右腕だ。
事実上、彼女が臨玲を支えている。
この抜群の知名度を誇る若手女優を臨玲に入学させたのも彼女の手腕があってのことだ。
私は隠すことなく素直に頷いた。
「生徒会長選挙、私を味方につけた方が良いと思わない?」
どこか芝居がかった口調だ。
それが彼女の癖なのか、あくまで演技なのかは分からない。
初瀬さんが整った顔立ちをしているのは当然だが、単なる美人ではない。
可愛いだけの芸能人なら掃いて捨てるほどいるだろうが、彼女は一度見たら忘れられないような雰囲気を持っていた。
抜群の存在感。
どこか危うさを感じさせる面持ち。
表情ひとつで女王のような気高さを漂わせたり、絶望の淵に立つ儚さを表現したりする。
その複雑さが彼女の魅力だ。
「味方になってくれればありがたいですが、必須という訳ではありません」
私は彼女のペースに巻き込まれないよう下腹部に力を込め、平然とした声を発する。
彼女の臨玲入学は新入生はもちろん在校生にとっても衝撃的なニュースとなった。
理想を言えば彼女のような不確定要素にはおとなしくしていて欲しいところだが、それはもう叶わぬ願いだろう。
「私が生徒会長の味方になってもいいの?」と私を試すような目つきで問い掛けてきた。
「それならそれで対処しますよ」
私は負けじと不敵な笑みを浮かべる。
はっきり敵に回ると旗幟を鮮明にしてくれた方が戦いやすい。
彼女は有名人だが校内に頼れる人物がいる訳ではない。
付け焼き刃の生徒会との同盟はかえって弱点となりそうだ。
「北条さんが許してくれそうにないものね」と彼女も自分の立場は理解しているようだ。
北条さんなら優先順位を誤る恐れはないだろう。
北条さんが敵に回る想定もしているが、生徒会長選挙前に立場を変える可能性は低い。
「初瀬さんには改革後のロールモデルになっていただきたいですね」
「紫苑と呼んで」
私が最後まで喋るのを遮って彼女が要求した。
私は「紫苑には改革後のロールモデルになって欲しい」と言い直す。
「嫌よ」と紫苑は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「嫌。そんな退屈そうな役割は。もっとめくるめくような体験をさせて。それを約束してくれたら協力するわ」
なかなか難しい注文だ。
私は助けを求めるように、これまでひと言も発しなかった隣りに座るひぃなに視線を送った。
「めくるめくような体験は些細な日常の中にもあると思う。それを見つけられるかどうかなんじゃないかな」
ひぃなはまだほとんど手がつけられていない目の前に置かれたサラダの皿を見つめながら呟いた。
その声音からは感情が読み取れない。
紫苑は今日初めてひぃなに視線を向けた。
その目に宿るものが何か、それもまた私にはうかがい知れないものだった。
「そうね」とあっさり肯定すると、紫苑は「他人が書いたシナリオ通りに演じるのが私の仕事だけど、プライベートなのだから自分でシナリオを作っても良いわよね」とニヤリと笑う。
それはもっとも避けたい展開だ。
予測不能の行動を取られると、不測の事態が起こりかねない。
そして私がそれを避けたいと思っていることをすでに読まれているようだった。
「生徒会長選挙に協力してもらう。全面的に。それで手を打ってもらえないかしら?」と私は譲歩する。
ひぃなが謝るような目をこちらに向けた。
私は問題ないと小さく頷く。
一方、紫苑は「それだけ?」とさらに譲歩を引き出そうとした。
私は「それだけ」と毅然として言い放つ。
「まあいいわ」と紫苑が言って、とりあえずこの件は落着した。
だが、「可恋を私のものにするという気持ちは変わっていないから。覚えておいてね」と言葉を添える。
私は肩をすくめるだけで答えず、ひぃなは顔を上げて紫苑を見つめていた。
そして、今日も3人で同じ席に腰を下ろした。
飲み物を注文し、それが届いてから私が先陣を切って口を開く。
「生徒会が動いてきたね」
「あんなこと、ありなの?」とひぃなが言い、紫苑は「ようやくってところね」と鼻で笑った。
「選挙管理委員会は生徒会から独立はしているけど実際は言いなりみたいだね。私が動く時間を与えないというのは戦略としては妥当って感じかな」
選挙が23日で、立候補の締め切りがその1週間前の16日と発表された。
今日が9日なので1週間しかない。
例年はゴールデンウィークが終わってから選挙の準備が行われるのでかなり早い選挙となる。
入学式で印象づけたので1年生には名前を覚えられているかもしれないが、2、3年生には私はまったく無名の存在だ。
「どうするの?」とひぃなが心配そうに質問する。
「私が前面に立てば何の問題もないわよ」と紫苑は余裕の表情だ。
「生徒会が愚かじゃなければ、その対策は考えているはずだよ。昨日一緒にここに入るところを見られた訳だし」
私がいくつか思いつく生徒会側の対策を口にすると、紫苑は顎に手を当てて考え込んだ。
ひぃなは「そこまでする?」と目で語り掛けるが、私は「可能性はある」と囁く。
「芸能界もヤバいファンとかいろいろいるけど、ここもお嬢様学校なんて言っていられないくらいヤバいところじゃない」と紫苑が憎々しげな顔を見せる。
「少なくとも退屈はしないで済みそうだよ」と私は苦笑してみせた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・高校1年生。入学式で生徒会を叩き潰すと宣言した新入生代表。それは決して正義感から出た言葉ではなく、陽稲が安心して過ごせる環境作りのためだった。
初瀬紫苑・・・高校1年生。一昨年の冬に公開された映画で一躍ブレイクした若手女優。若者から圧倒的な支持をされた。仕事優先はもちろん制服着用義務がないなど多数の優遇措置を提示されて臨玲入学を決めた。
日々木陽稲・・・高校1年生。紫苑のデビュー作を観賞して以降彼女のファンだったが、入学式で可恋への「私のものになりなさい」発言から複雑な感情を抱くようになった。
北条・・・臨玲高校主幹。事務方のトップとして理事長を支えている。改革の本丸として強権を持つ生徒会弱体化を目指し可恋と協力関係を築いた。
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