第48話 令和3年5月23日(日)「亜早子」矢板薫子
久しぶりに晴れ空が広がっている。
その分、気温も上がり少し蒸し暑い。
わたしは後部座席の車窓から外を眺める。
スモークガラスのお蔭で陽差しは眩しくないが、外の世界の平穏さをわたしは眩しく感じた。
昨日、茶道部の茶会のあとのことだ。
正式名は臨雲の間という狭い茶室でわたしたちは新生徒会長の1年生と向かい合った。
部長のゆかり様はそこで生徒会役員であるクラブ連盟長を彼女に選択させた。
わたしか亜早子かを。
わたしたちふたりは茶道部の幹部会議に当たる例会のメンバーである。
2年生部員の中で例会役員はこのふたりだけなので、次の部長はどちらかだというのが大方の見方だった。
亜早子は例会の役員に選ばれた時から次の部長を目指していた。
わたしも彼女が部長になるものだと思っていた。
しかし、茶会の前に部長から話を聞かされた。
ふたりのうちのひとりをクラブ連盟長にするというものだ。
しかも、それを新しい生徒会長に選ばせると言う。
亜早子は「どうしてですか?」と食ってかかったが、「それが茶道部の利益、いえ全校生徒の利益に繋がりますから」と言われた。
新生徒会長が理事長の後押しを受けていることは広く知られていることだ。
部活動の改革も理事長の肝いりなのだろう。
部長によると理事長の考え方は目先の利に囚われ広い視野に欠けるそうだ。
クラブ連盟長として新生徒会の暴走を防ぎ、茶道部やほかの部活の防波堤になることを期待された。
部長にそこまで説明されて否とは言えない。
亜早子は言葉には出せなくても態度で選ばれないようにアピールしていたが、1年生に見る目があったのだろう。
彼女はわたしではなく亜早子を選んだ。
亜早子が飛び出し1年生たちが去ったあとの茶室で、部長はわたしをじっと見つめた。
わたしは改めて考え直して欲しいという喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
穏やかな表情なのにその漆黒の瞳は深く、有無を言わせない気配が漂っていたからだ。
「正式な部長になるのはまだ先ですが、薫子さんには部長としての初仕事の気持ちで事に当たっていただきたいと思っています」
「かしこまりました」
わたしは亜早子のような反抗的な態度は取れない。
常に周囲の目を気にして、良く思われようと汲々と暮らしてきた。
優等生のように見られるが、ただの空気のような存在だ。
自分なんて何もなく、言われるままに行動するだけ。
わたしはそんな自分が大嫌いだった。
その後、亜早子と連絡を取るとLINEや電話で延々と愚痴を聞かされる羽目になった。
それだけで彼女が納得してくれるのならと長時間つき合ったが、今日は彼女の家に来て話を聞いて欲しいと頼まれた。
わたしと亜早子は昨日の茶会だけでなく今日も予定を空けておくようにと事前に言われていたが、もしかするとこれも部長の想定内だったかもしれない。
仕方なくわたしは車を出してもらい、こうして彼女の自宅を訪問することとなった。
郊外にある彼女の自宅に到着する。
乗車したまま門から敷地内に入り、母屋の玄関前で降ろしてもらった。
以前訪問した時に家令と紹介された男性が出迎えてくれる。
学校内であれば比較的大目に見てもらえるが、友人宅を訪問するともなれば服装ひとつとっても格がどうだの季節感がどうだのと面倒くさい決まりに従わなければならなくなる。
お嬢様などと持てはやされても常に周囲から厳しい視線にさらされ息が抜けない生活を送るだけだ。
もちろん、そんな想いは一切表情に出さず、微笑んで淑女らしく振る舞う。
こんな古臭い風習に縛られているところばかりではないが、悪評に平気でいられるほどわたしは強くなかった。
「良く来てくれたわ」
亜早子の部屋に案内された。
ロココ調のアンティーク家具で統一された室内は優雅だ。
彼女はゆったりとしたドレスを纏い、物憂げな表情を浮かべていた。
挨拶を交わし、早速お茶を出してもらう。
お互い茶道部の部員だが家でまで抹茶を嗜むことはない。
運ばれてきたのはティーセットで、亜早子は最近手に入れたティーカップを自慢げに語ってくれた。
「少しは気が晴れた?」
「心配しすぎよ。明日にはいつもの加賀亜早子になっているわ」
だったら呼びつけないで欲しいという言葉は飲み込み、わたしは「安心した」と笑みを見せる。
彼女は照れくさそうな顔を隠すように紅茶に口をつけた。
わたしは切り分けられたフルーツタルトの先をフォークで少しだけ切り取る。
それを口に運ぶ前に顔を上げた。
「わたしひとりでは部長は務まらないから」
本当は亜早子に部長とクラブ連盟長を兼任して欲しいくらいだ。
彼女ならやってのけそうだが、さすがにそれを言い出すことはできない。
亜早子はティーカップをソーサーに戻してから「薫子ならできるわ」と口を開いた。
そして、わたしが反論するよりも早く「でも、協力はする」と言葉を続ける。
わたしは「うん。……ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。
それからしばらく無言でティータイムを過ごした。
フルーツの酸味が強く感じたが、わたしと亜早子の好みの微妙な違いゆえだろうか。
「あたしね」とスイーツを食べ終えた亜早子がおもむろに切り出す。
わたしは意識を彼女に向ける。
どこか普段と異なる雰囲気があった。
「自信がなかったの。いえ、過去形じゃないわね。いまも自信がないというのが正しいと思う」
「えっ?」とわたしの口から驚きが漏れた。
彼女はわたしと違いいつも自信満々に見える。
それが行き過ぎと思うこともあるが、それでも羨ましく感じていた。
「あたしが東女で生徒会長をしていたことは話したよね。その時は周りが誰もついて来なくてボロボロだったの」
彼女は鎌倉にある東女と呼ばれる高校の中等部出身だ。
生徒会長の話は聞き覚えがあるものの詳細は知らなかった。
「あたしは周りを見下していたから頼る気なんてなかった。それが失敗の原因。いまもたいして変わらないけど、茶道部なら薫子がいる」
わたしはハッと息を呑む。
亜早子がそんなに評価しているとは思ってもみなかった。
一緒にいる時間は長いが、彼女の視線は先輩の方にばかり向けられていた。
彼女から見ればわたしなんて目に入らない存在だとばかり……。
「部長の期待に応えられないと思われたら、あたしどうしたらいいのか……」
亜早子がいつもより小さく見えた。
その気持ちはわたしにも痛いほどよく分かる。
むしろ彼女がわたしと同じように考えていたことが驚きだった。
「亜早子でもそんな風に思うんだ」
思わず口を衝いて出た言葉に「何よ、それ」と彼女は眉をひそめる。
わたしは慌てて「ごめん、でも……」と言い掛けたが言葉が続かなかった。
「ゆかり様はもちろん、
亜早子は自分への腹立ちを声音に乗せた。
同じ例会役員の3年生たちは大人に見える。
1年後のわたしたちが追いついているとは思えないくらいに。
「わたしに何ができるか分からないけど、亜早子の力になりたい」
それは亜早子に良く思われたいから出た言葉かもしれない。
しかし、それだけではなく心の底から湧き上がる想いも含まれていたはずだ。
亜早子は突然立ち上がると、つかつかとわたしに近づいた。
緊張感を孕んだ表情に、わたしは自分の失言を疑った。
「薫子」とわたしの名前を呼んでから、亜早子は戸惑いを見せた。
「どうしたの?」と恐る恐る尋ねる。
「こういう時、どんな態度を取ればいいか分からないの」
「こういう時って?」
「胸の中がいっぱいになってじっとしていられない時よ」とつっけんどんに答える彼女を見て、わたしは笑みを零す。
怒っている訳ではないようだ。
とはいえ、わたしも正解は知らない。
大人になれば分かるのだろうか。
わたしが黙り込んだことで亜早子の目つきが険しくなった。
何と答えたらいいか迷いながら「ここは人の目がないのだし、感情に任せてもいいのでは?」と不用意な発言をしてしまった。
「薫子!」と亜早子に覆い被され、わたしは身を竦める。
彼女の香水の匂いにクラクラしながら、今度はわたしがどう反応したらいいか分からず困惑していた。
ただ、悪い気分ではなかった。
温もりと、柔らかな感触と、人に求められる感覚に包まれてわたしは……。
††††† 登場人物紹介 †††††
矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。外面を良くしようとしてしまう自分に嫌悪感を抱いている。
加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。努力家である反面、努力しない人を蔑む傾向がある。
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。芳場美優希や高階円穂といった嵐から茶道部を守ってきた人物。
湯川
榎本
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