第47話 令和3年5月22日(土)「茶会」初瀬紫苑

「トップ取れなくて残念?」と私がからかうように尋ねると、可恋は苦笑を浮かべた。


「試験勉強をしていなくてあの成績だから」と反論したのは私の着付けをしてくれている日々木の方だ。


 臨玲高校の校舎はグラウンドを挟んでコの字型に位置している。

 縦棒が本館と呼ばれ、理事長室や職員室があるエリアだ。

 横棒のひとつが教室が並ぶ校舎で、もうひとつが部活棟と呼ばれる校舎だ。

 部活に入っていなければあまり足を踏み入れる機会のない場所だが、いま私はその校舎の和室にいた。


 部室棟の最上階はお茶室と複数の和室によって構成されている。

 今日はそこで開かれる茶会に招待され、着物に着替えているところだった。

 すでに着替え終えた日々木が私のマネージャーと一緒になって、赤い色無地の袷を纏わせようとしている。

 私は人形のように言いなりになるだけなので、退屈しのぎとして可恋に話し掛けていた。


「こっそり勉強してたんじゃないの?」


「どう思ってくれてもいいけど、それより自分の心配をした方が良いんじゃない?」と切り返され、私は言葉に詰まる。


「良いのよ。学校の勉強ができなくたって困らないのだから」


 可恋はマネージャーに視線を送り、「学校に慣れるまで仕事を入れないという配慮をしてもらっているのに、赤点だらけって恥ずかしくないの?」と心臓を抉るような言葉をぶつけてくる。

 私は胸を張って「女優に学力は必要ないの」と言い切った。


 私の着物はレンタルだが、可恋と日々木は自前のものを着ている。

 可恋が着ているのは付け下げと呼ばれるもので淡いクリーム色に美しい花柄が入っている。

 普段の男性っぽい服装とはガラリと違っていて新鮮だ。

 髪をもう少し伸ばせばなお似合っていただろう。


「良かったわね。取り柄があって」


「だいたいこんな勉強、社会に出たら役に立たないわよ」


「役に立たせる知能がないだけでしょ」と可恋の言葉は辛辣だ。


「ほら、終わったから喧嘩は止めて」と日々木が割って入った。


 日々木の着物は薄いグリーンの色無地で爽やかな色合いだ。

 日本人っぽくない外見の持ち主だが、着慣れているのか浮いた感じはまったくなかった。

 赤みのある長い髪を綺麗に結い上げて上品にまとめている。

 制服にマスク姿だとちょっと美少女と思う程度だが、私服姿になるとかなりのインパクトがある。

 特にファッションセンスについては女優の私も認めない訳にはいかなかった。


「喧嘩じゃなくて痴話喧嘩ね」と訂正するも「はいはい」と日々木に軽くあしらわれた。


 今日は土曜日ということもあってマネージャーが許可を得て校内まで入って来ている。

 彼女はカメラを片手に撮影の指示を始めた。

 なぜか私だけでなく可恋や日々木の写真も撮るようだ。


「本気でこのふたりを売り出す気?」と聞くと、「本人が承諾すれば全力で社長に掛け合いますよ」と乗り気だった。


「だってさ」と可恋に言うと、彼女は肩をすくめ、日々木は満更でもないような顔をしている。


 時間になるまでここで茶会の作法の復習をする。

 可恋は失敗しても気にすることはないと言うが、人前で無様な姿は見せられない。

 試験はできなくても、こういうことは得意だ。

 私が「よし!」と気合を込めたところで茶道部の部員が案内役として姿を見せた。


「加賀亜早子です」「矢板薫子です」と名乗ったふたりは2年生だそうだ。


 ふたりとも着物をしっかり着こなしている。

 その視線は、わたしたち3人の間を行きつ戻りつしていた。

 可恋には警戒の、私には憧憬の、日々木には慈愛の想いが込められているようだった。


 彼女たちに先導されて茶室に向かう。

 茶室といっても授業でも利用する大きな和室らしい。

 イメージしていた小さな茶室もあるそうだが、今日は茶道部の部員全員が集まるものなので入り切らないと言われた。

 茶道部はお嬢様学校と言われる臨玲高校の中でも、優れた家格出身の生徒のみが入部できるところだ。

 そんなお嬢様の中のお嬢様が居並ぶ部屋に私たちは足を踏み入れた。


 亭主役の茶道部部長に迎えられて茶室に入ると大勢のうら若い娘たちの好奇に満ちた視線がこちらに注がれた。

 制服と違い、それぞれが自分に合った着物を身につけている。

 色とりどりで、個性豊かだ。


 可恋が正客なので上座につく。

 続いて日々木、そして私の順だ。

 ほかの茶道部の部員たちがそのあとに連なるらしい。

 さすがの私でも緊張する。

 この場でただひとり和服を着ていないマネージャーはあちらこちらに移動しながら写真を撮りまくっている。

 どういう伝手を使ったのか茶道部からも許可を得たそうだ。


 部長と可恋が挨拶を交わしている。

 肝が据わっているのか、可恋は堂々としたものだ。

 私の隣りの日々木も緊張した様子はない。

 それを見て私も腹を括った。


 余計なことは考えずひたすら集中して目の前のことだけに相対した。

 気づいたら自分の番が終わっていたというのは言い過ぎだが、それに近い感覚があった。

 少し気を緩めてほかの部員たちの様子を眺めていると、末席近くでは手を滑らせそうになったり、所作の順番を間違えたりとドタバタしていた。

 おそらく1年生の部員なのだろう。

 経験があったとしてもこんな人前で、厳しい視線の中で完璧にこなすことは困難だ。


 堅苦しい茶会が無事に終わり、私は心の中で安堵の息を吐く。

 初瀬紫苑の名を貶めずに済んだ。

 どこでどんな噂が立つか分からない以上、人の目があるところでの行動は常に気をつけていなければならない。

 周囲からは奔放だとか我がままだとか言われるが、私にもプロ意識はある。


 着物をさっさと脱ぎたいと願っていたのに、なぜか私たち3人は大きな茶室から小さな茶室へと場所を移すように言われた。

 そこは本当に狭く、私たち3人が入るとぎゅうぎゅう詰めという有様だ。

 茶道部側で中に居たのは部長と、新館で私たちに茶会の知らせを届けた3年生のふたり、そして先ほど案内してくれた2年生のふたりだった。

 マネージャーは入室を断られ、部屋には8人の女子高生が顔を揃えた。

 今日は暑くはないが、これだけ密集していると熱を感じる。


「お茶はいかが?」と部長が私たちに声を掛けるが、可恋は「結構です」と断った。


 可恋はこの部屋を見て懐から使い捨てマスクを取り出し装着した。

 私と日々木にも配ってつけるように促したほどだ。

 それを咎める者はいなかったが、茶道部の面々はマスクをしていない。


「この加賀亜早子か矢板薫子をクラブ連盟長に処したいと存じます」


 部長から名指しされた加賀さんは気の強そうな顔立ちで可恋に挑発的な視線を送っている。

 もう一方の矢板さんは真面目そうな印象の女性だ。


「ひとりを推薦しても拒否されては困りますので、どちらかを任命してくださいませ」


 部長の声音に押しつけがましさは感じられないが、言葉の内容は可恋にどちらかを選べと迫るものだ。

 可恋はすっと目を細めふたりを見比べた。


「では、加賀さんに」


「なんであたしが」と声を荒らげる加賀さんを部長が「亜早子さん」と窘めた。


 一瞬口を閉ざした加賀さんはそれでも「部長」と縋り付くような声を上げた。

 驚いたことにその目元には涙が浮かんでいた。


「部長であろうとクラブ連盟長であろうと茶道部のために尽くすことを求めています。それができないのであれば辞めていただくしかありません」


 どうやら可恋に選ばれなかった方を部長にするつもりだったようだ。

 加賀さんは今度は可恋をキッと睨む。


「覚えていなさいよ」


 彼女はそう言うと立ち上がり、裾を乱すことなく足早に部屋から飛び出して行った。

 私や日々木は呆気に取られ、部長を除く茶道部部員は心配そうな表情になっている。


「あとを追わなくていいんですか?」と日々木が気遣うような声を出すが、部長は「話は以上です」と穏やかな声でキッパリと言った。


 私たちは廊下に出て待っていたマネージャーと合流する。

 着替えのために和室に向かう途上で「大丈夫なの?」と私は可恋に尋ねた。

 一応は私も生徒会役員に就任するのだ。

 獅子身中の虫がいてはたまらない。


「どうにかなるでしょ」と言った可恋は「それより早くこれを脱ぎたい」と本音を漏らす。


 日々木は「えーっ!」と抗議していたが、私は「だよね」と笑った。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。超有名な映画女優。活動は映画一本に絞っている。新設する生徒会広報のポストに就任予定。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長選挙で信任を獲得し間もなく新生徒会長に就任する。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血が色濃く出た外見の持ち主。ファッションが好きで、デザイナーを目指している。


マネージャー・・・臨玲高校OG。紫苑の所属事務所の社員。紫苑がブレイクしてから専属となった。


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母は臨玲高校理事のひとり。


加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。例会メンバーに選出されていて部長候補のひとりだった。中学は同じ鎌倉の東女に通っていた。


矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。

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