第46話 令和3年5月21日(金)「梅雨っぽい」麻生瑠菜
「雨ばっかでサイアクー」
「湿気ひどくてヤバいよね」
友人たちの会話を聞きながら、心の中で溜息を吐く。
目ざとい子は「瑠菜、最近元気ないよね」と気遣ってくれるが、「ただの五月病」と苦笑して返すことが精一杯だった。
いぶきと気まずくなってからかなりの時間が経つ。
ほんの少し会話の行き違いがあっただけなのに、あれ以来あたしは彼女を前にすると何を話していいか分からなくなった。
変に意識してしまう。
それは絶対にいぶきも気づいているはずだ。
「もしかして好きな人、できた?」
「違うって」と否定するが、友人たちは「怪しいなあ」と含み笑いをしている。
いぶきのことを話そうかとも思ったが、分かってもらえないだろう。
そもそも自分でも整理してうまく話せる自信がない。
同じ歳のお隣さん。
あたしよりちょっとだけ大人っぽく、繊細で、儚げな女の子。
「話したら、きっと楽になるよ」と友だちのひとりに真顔で言われ、「いつかね」と答えたら、「やっぱり好きな人がいるんだ!」とおもちゃにされた。
……好きな人、か。
あたしは腕を組み、むくれた顔で友人たちの騒ぎを眺めた。
彼女たちの話は、あたしにどんな男の人が相応しいかからどうすれば自分たちが良い出会いと巡り合えるかへと移っていった。
あたしが暮らす木造家屋は鎌倉市内で有名な3つの女子高のちょうど真ん中付近にある。
建物には○○荘と名前がつけられている。
管理人さんのことを寮母さんと呼ぶのであたしは寮という認識だが、住人の中には下宿という言葉を使う人もいた。
いぶきもそうだ。
「下宿の乾燥機が優れもので助かるね」
「乾燥機に違いなんてあるの?」
「うちのは量が少しでも多いと生乾きになったから」
いぶきは特に変わった様子はない。
あたしが突然泣き出した理由を問うこともなかった。
大人なのだろうが、少し寂しくもあった。
「あたしはそんなの考えたことなかったなあ」
洗濯を始め家事全般はママがやってくれた。
少しは手伝いもしたが、本当に手伝いレベルだ。
だから、寮母さんがいるここを選んだ。
独り暮らしは絶対に無理だと思ったのだ。
いぶきは何も言わずに洗濯機の前で立っている。
あたしは自分の発言を後悔していた。
子どもっぽく思われたに違いないと。
こんなことも知らないのかと呆れられたかもしれない。
……こんなことばっかりだ。
すぐに言葉に詰まり会話が続かなくなる。
いぶきは気にした素振りを見せないが、あたしは居たたまれなくなった。
あたしのそわそわした態度に気づいたのか、いぶきは「ほかに用事があるのなら、やっておこうか?」と手に持っている洗濯ものの入った籠を指差した。
あたしは大きな声で「いや、いいから!」と叫んでしまう。
折角の好意を無碍にされたのにいぶきは「そう」と落ち着いた声で応じた。
「下着も入っているし」と言い訳しながらあたしは自分の顔が火照るのを感じる。
そんなことを言いたい訳じゃないのに、いぶきの前だと取り繕うような言葉しか出てこない。
そして、ますます焦って墓穴を掘ってしまう。
「瑠菜って」と流れを断ち切るようにいぶきが真面目な声を発した。
「予備校とか考えてる?」と思いがけない言葉が彼女の口から出る。
「えっ? 突然だね。どうかしたの?」
「試験の結果があまり良くなくて……」
意外だ。
いぶきが通う臨玲高校は3つの女子高の中ではランクが落ちるが、彼女は勉強ができそうだった。
しかし、いま思ったことをそのまま口にするのはデリカシーに欠ける気がする。
「うちは大学の付属だから予備校通いは考えてないかなあ」
「そうだよね。先輩に聞くべきだったね」
いぶきは話を打ち切ろうとした。
ダメだ。
気を使って話を振ってくれているのに何度も受け答えに失敗するなんて、普段のあたしなら考えられないことだ。
「そんなに深刻になるくらい成績が悪かったの?」と言ってから凍りつく。
彼女はわずかに目を伏せた。
あたしはフォローしようと思うが言葉が出て来ない。
このタイミングで洗濯機のブザーが鳴った。
いぶきは無言で自分の洗濯ものを取り出す。
床に置いてあった籠に取り込むと「どうぞ」と洗濯機の前をあたしに譲った。
あたしは雑に籠をひっくり返す。
いぶきに見られて自分が緊張していると気づくが、あっちを向いていてと言う訳にもいかずぎこちない動きで洗濯機をスタートさせた。
「クラスごとに点数が貼り出されたのだけど……」と彼女は籠を手に持ったまま話し始めた。
「上位に何人か凄い人がいて、打ちのめされた気分になったの」
聞けば、平均点が50点くらいのテストでいぶきは80点以上をコンスタントに取っていたそうだ。
……十分凄いじゃん。
ところが、そのいぶきがクラスのトップ5に入らなかったという。
「臨玲なら上位をキープできると思っていたのに、甘くなかったみたい」
「どの教科も80点以上なら悪くないじゃない」
あたしなら平均点を30点もオーバーしたらそれだけで飛び上がって喜びそうだ。
しかし、彼女は「無理を言って臨玲に進学させてもらったのにこの結果は……」と肩を落としている。
いぶきは真面目すぎる。
だが、それを指摘しても意味はない。
いろいろと事情がありそうだし、そういうところも彼女の魅力だ。
「あたし、いぶきの力になりたい」
久しぶりに想いを素直に言葉にできた。
あたしは籠を持つ彼女の手を包み込むように握った。
考えてみればこの寮で一緒に暮らし始めて1ヶ月半が経つのに、彼女の方から相談を持ちかけられたのは初めてだ。
彼女は自分のことを話したがらないし、なんでも自分でやってしまう。
話のきっかけ作りとして出した話題かもしれないが、ここでスルーすることはあり得ない。
「ありがとう」と戸惑い気味にいぶきが感謝の言葉を述べる。
いままでのもやもやが吹っ切れた気分になったが、はたと気づく。
あたしに何ができるだろう。
そこまで考えずに突っ走ってしまった自分に何と言っていいか分からなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
麻生瑠菜・・・高校1年生。高女の略称で知られる鎌倉にある大学付属の私立高校に通っている。
香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。障害を持つ妹を両親とともにケアしていたが、精神的に追い詰められ逃げるように実家から離れた高校へ進学した。両親はその気持ちを理解しているが彼女自身は強い罪悪感を抱いている。
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