第45話 令和3年5月20日(木)「呪い」森薗十織
朝、1時間目。
授業が始まるとすぐ順番に名前が呼ばれ、ひとりひとり答案用紙を取りに行く。
わたしは頬杖をついて受け取るクラスメイトの顔を眺めていた。
中学受験で落ちまくった時ですらこんなに出来の悪いテストは経験したことがなかった。
どの科目も難しく、試験中はうんうんと唸ることしかできなかった。
甘く見ていたつもりはないが、高校のレベルの高さを初めて身を以て知ることとなった。
同じクラスの人たちは平然とした顔で受け取っている。
中には点数を見て肩を落とす者もいるが、それは少数派だ。
テストの点なんてどうでもいいのか、賄賂でも贈って点数を買ったのか。
わたしの番が来た。
表情を引き締めて教壇へ向かう。
担任の戸辺先生が穏やかな顔つきで「はい」と用紙を手渡した。
右肩に書かれた点数をチラッと見て、すぐに二つ折りにする。
いっそグチャグチャに丸めて床に叩きつけたい気持ちだった。
最前列に座る西口と目が合った。
テストが始まる直前に彼女と賭けをした。
どちらがこの定期試験で良い点を取れるかという賭けだ。
彼女が勝てばわたしの勉強法を友人の蘭花に押しつけない、わたしが勝てば彼女は二度と口を挟まない。
考えてみれば、わたしが勝ってもたいしたメリットはない。
だが、その時は勢いで受けてしまった。
学級委員に自ら立候補するような意識高い系、ハッキリ言えば高慢な性格の持ち主。
その彼女がいまは何とも言えないような顔つきでこちらを見ていた。
わたしの成績が良ければ見下してやれるのだが、そんなことができる点数ではない。
たぶん、わたしも似たような面持ちで視線を返していたと思う。
「どうだった?」と授業が終わるやいなや西口が蘭花よりも先にやって来た。
「そっちは?」とわたしは質問に質問で返す。
西口は溜息とともに肩を落とし、自分の答案用紙を差し出した。
そこに赤いペンで45と記されていた。
「政治家のコネを使ってその点数なの?」
「そんなこと、できる訳ないでしょ」とバカにしたように西口は反論する。
「うちは与党じゃないから権力なんてないし、だいたい娘の定期テストごときにそんなことをしてどうなるのよ。バレたら首だし、二度と選挙に出られないわよ」
「バ、バレなかったら……」
「選挙は戦いだからね。対立候補は相手がミスしないか見張っているの。与党系の議員の娘も通う高校で何もできないわよ」
この学校には政治家だけでなく地元の利害関係者の娘も多く、自分の言動は常に注目されていると彼女は話す。
そして、「総理の娘ならともかく、一市会議員の娘が優遇されることなんてあり得ない」と言い切った。
「それより、あなたは何点だったのよ?」と西口は話を戻す。
わたしは渋々自分の答案を見せた。
彼女は「ふーん、47点か」と呟いた。
これではさすがにこちらが勝っていると強く主張はできない。
「す、数学は得意じゃなかったから」とわたしが言い訳すると、彼女は「勝負は全科目の結果を見てからね」と強がった。
わたしたちが言い合っているうちに蘭花も側に来ていた。
相変わらず自信がなさそうな顔だ。
顔立ちは可愛いが、弱気な性格が反映して地味な印象を与えている。
「蘭花はどうだったの?」とわたしは尋ねる。
わたしより勉強ができるように見えないので、赤点を取ったかもしれない。
実際、そういう答えが返ってきても不思議ではない雰囲気があった。
「へ、平均点くらい……」
「見せて!」とわたしが彼女の言葉をかき消すような声を出すと、びくりと身体を震わせた。
「染井さん、怖がっているじゃない」と西口は彼女を庇ったが、蘭花には「私にも見せてもらえる?」と懇願している。
蘭花はコクリと頷き自分の席から答案用紙を持って来た。
わたしはそれをひったくると、机の上に広げる。
西口も興味深そうに覗き込んでいた。
点数は58点。
平均を少し上回る程度だが、わたしたちよりは胸を張れる点数だろう。
「わたしが教える必要なかったじゃない」と蘭花を睨むと、「中学でやったところだったから……」と消え入りそうな声で答えた。
「あー、私立だと授業の進むペースが速いんだ」と西口が納得する声を上げる。
そういえば聞いたことがある。
中高一貫校だと、教科にもよるが高2までに受験の範囲を終わらせるらしい。
この学校には私立中学から進学した生徒が多く、今回の試験範囲は中学時代に学んだところだったに違いない。
「試験前に勉強していなかったのはそういう理由?」
わたしの疑問に「家庭教師を雇っている人も多いそうだから、学校での様子だけじゃ分からないわね」と西口が応じた。
彼女は「公立中学出身者を集めて勉強会でも開いた方がいいのかなあ」とぶつぶつ独り言を口にする。
「ほかの教科はどうだった?」とわたしは蘭花を問い質す。
テストのあと「どうだった?」と尋ねた時は困り顔を見せて「あんまり……」とか「難しくて……」とかできなかったアピールをしていた。
わたしはそれを真に受けていたが、この結果を見ると考えを改めなければならないかもしれない。
「自信は全然ないよ。でも、できたとしたら
その後もわたしと西口は勝ったり負けたりが続いた。
ふたりともなかなか平均点に届かない。
一方、蘭花はどの科目も平均点をわずかに超えていた。
高校の試験は捻った問題が多い。
覚えたことをシンプルに答えるような問題がまったくなかった。
高校受験は試験範囲の広さが大変だったが、高校の定期試験は問題の質がいままでとガラリと変わったように感じる。
蘭花によると私立ではそういう問題にも中学の頃から取り組んでいたようだ。
ぐったりした気分でホームルームの時間を迎える。
試験を返してもらうたびにボディブローを食らった感じだった。
これがあと数日続くのか……。
そんなわたしの気持ちを逆なでする発言が担任の口から飛び出した。
「今年度から理事長の意向で定期試験の結果を廊下に貼り出すそうです」
わたしが顔を覚えていない理事長のことを呪ったのは当然の成り行きだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
森薗
染井
西口凛・・・臨玲高校1年生。学級委員。両親は臨玲進学に反対だったが、押し切って入学を決めた。正しいと思ったら見過ごせないタイプ。
戸辺シャーリー・・・臨玲高校教師。数学担当。一般企業から転職したばかりだが、担任を務めている。
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