第360話 令和4年3月31日(木)「激動の一年」岡本真澄
今日は3月31日。
明日から新年度を迎える。
私も臨玲高校の最終学年となる。
職員室から生徒会室へと向かう道すがら、この区切りの日に未来よりも過去に囚われていた。
なぜなら私にとってこの1年間はまさしく激動の1年だったからだ。
昨年の今頃、私は生徒会副会長として神経をすり減らす日々を過ごしていた。
現職の総理大臣の娘である芳場生徒会長のご機嫌を損ねないよう、大げさに言えば24時間気を張っていた。
彼女の思いつきにはすぐに対応しなければならない。
お菓子や飲み物は常に携帯し、会長のみならず彼女の友人たちのスケジュールも把握し、どんな無茶振りにも即座に対応する。
もちろん後始末も私の役割だ。
問題とならないようにあちこちの教師や生徒と折衝することも必要だった。
暴言を吐かれてそれに耐えるくらいは何でもないことだった。
生徒会に入ったことを後悔する気持ちはあった。
私は大手製薬会社の創業家一族として育ち、こんな苦労とは無縁だったからだ。
しかし、優秀な私よりも不肖の兄を後継者に選んだ父や祖父を見返してやりたいという思いがあり、親に泣きついたり生徒会から逃げ出したりすることを躊躇わせていた。
会長のお守りが仕事で、自分の思うような活躍はまったくさせてもらえなかったものの、あと少し我慢すれば私の時代がやってくるはずだと考えていた。
あと1ヶ月ほど我慢すれば私が生徒会長になる。
一年前の春休みの頃は無邪気にそう信じていたのだ。
もちろん芳場会長たちが口を出してくるだろうとは予測していた。
それでも権力さえ握ればなんとかなるはずだ。
それは恐らく甘い見通しだっただろうが、そう思わなければ心が折れていたかもしれない。
嵐が訪れたのは入学式だった。
新入生代表が式の最中に芳場会長に宣戦布告したのだ。
最初はたかが1年生ひとりに何ができるという雰囲気だった。
だが、その1年生は理事長が現行の生徒会と対決するために送り込んだ者だと判明した。
1年生は生徒会改革だけではなく高階先輩をターゲットにするようになる。
このお嬢様学校には相応しくない異色の生徒。
髑髏のような眼窩から憎しみに満ちた瞳で睨み、あらゆる者を呪い殺そうとしているかのようだった。
下卑た言動と粗暴さを隠そうともせず、芳場会長でさえ腫れ物に触るような扱いをしていた。
半グレ集団との繋がりがあると言われ、彼女に目をつけられた生徒の何人かは学校に来なくなったことが知られている。
一方で、生徒会役員の地位を利用して部費の水増しを行っていた。
学校の内外で彼女の金と力に群がる人たちがいて、とても普通の高校生が手を出せる存在ではない。
彼女を知る者はみなそう思っていたはずだ。
私は彼女に裏切りを疑われ、全裸の写真を撮影されるという屈辱を味わった。
あのまま彼女がこの高校を牛耳っていたなら、私はここにいなかっただろう。
不登校か退学、あるいは自死を選んでいてもおかしくない。
1年生が敵対し、高階先輩が行動をエスカレートさせた面はある。
私はその煽りを受けたと言えるかもしれない。
だが、それまで彼女の悪事を見て見ぬ振りしてきた私が被害者ぶるのも間違いだと思う。
当時はそんな冷静に考えることはできなかったが、いまなら……。
最終的には芳場会長も高階先輩を見限った。
その結果、新生徒会長が決まるその場で全校生徒が見守る中彼女は退学処分を受けた。
補導されたのみならず加害性を指摘されて精神科の病院に長期入院させられるという末路を辿った。
そのシナリオを描いていたのが1年生で新たな生徒会長となった日野可恋さんだった。
日野会長は恐ろしいほど優秀だ。
歳下とは思えないというレベルではない。
家に我が社のエリート幹部やとんでもないスキルを持った秘書などが出入りすることがあって私はいつか自分もそんな風になりたいと考えていた。
会長はそんな私が憧れる人たちと比べても見劣りしない能力の持ち主だった。
私は少数精鋭の新生徒会に生徒会長補佐として招聘される。
会長は次々に改革を打ち出し、方向性を示したあとは部下に仕事を任せてくれた。
水を得た魚になった気持ちで私はそれに取り組んだ。
主に私が請け負ったのが部活動改革だ。
高階先輩と関わった生徒の処分、クラブ連盟の権限見直し、掛け持ちの原則禁止や実態のない部の廃止、部費やOGからの寄付金の透明化、クラブ間の力関係の調整といったことを短期間のうちに成し遂げた。
さらに生徒には不評だったが全校生徒の部活または委員会への所属を必須とするという新たなルール作りを見直しながら進めているところだ。
日野会長が臨玲高校にもたらしたものはそれだけではない。
副会長には制服変更を任せた。
伝統はあっても時代遅れと生徒からは散々言われていたセーラー服が遂に改められた。
しかも新しい制服は時代の最先端といった感じで、他校の生徒からも羨望の眼差しを送られている。
学校サイドとは習熟度別授業の導入でも協力している。
会長は臨玲の理事にも就任し、人気が落ちていたこの高校のイメージ向上を担当している。
そこに大きく貢献しているのが生徒会広報を務めている有名な映画女優の初瀬紫苑さんだ。
彼女が在籍しているというだけで臨玲の志願者が倍増したと噂されるほどだ。
臨玲祭では彼女が監督を務めた短編映画が人気を集め、後日インターネット上で公開された。
OG会や茶道部など周囲との軋轢は多少あったものの、日野会長は就任から半年ほどの間にこれだけのことをやってのけたのだ。
その発想力、構想力は私では及びもつかないし、それを実現に移行する能力の高さも見事だ。
臨玲は過去の栄光に縋るだけの”オワコン”だと言われていたのに、いまや県内の中高生の中ではもっとも注目されている高校になっている。
臨玲祭が無事に終わって生徒会の仕事は一段落した。
翌春に鎌倉の女子高三校による合同イベントは予定されているがまだ時間がある。
生徒会が関わる行事として卒業式や入学式はあるものの、それらはこれまでの慣例に従えばいい。
そう思っていた矢先に日野会長が入院した。
短くても半年くらいはかかると言われて私はショックを受けた。
健康問題を抱えているとは聞いていたが、そんなに長く入院することになるなんて。
日野会長は私を生徒会長代行に指名した。
親友の副会長ではなくなぜ私なのかと質問すると、「ひぃなは経験不足なので」と答えた。
「それに岡本先輩は苦しいことや辛いことを乗り越えてきました。逃げる道もあったと思いますし、それが悪いことだとは思いませんが、そうした経験が先輩の中の強さに繋がっているんじゃないでしょうか」
無駄だと思っていた芳場会長の下での1年間を評価してもらい私は自分の身体が熱くなったように感じた。
彼女は「歳下が生意気を言って済みません」と謝った。
咄嗟に謝罪の言葉は必要ないを伝えたが、あとで思えば認めてくれたことをもっと感謝すればよかった。
この時は短時間で引き継ぎのやり取りをしなければならず、その後は直接連絡を取り合うことは出来なくなってしまう。
大過なく代行の役目は果たしている。
副会長から退院したことを聞き、安心するとともに自分がこの数ヶ月間かなり気負っていたことに気づいた。
会長の復帰はもうしばらく掛かるそうなので、もう同じ生徒会室で一緒に働くことはないかもしれない。
私は生徒会室のある新館の入口にたどり着き、そこから正門まで続く桜並木を見上げる。
満開の桜が咲き誇っている。
せっかくの見事な桜も春休みのいま鑑賞に訪れる者は少ないが、誰かに見られていなくても堂々とそこにある。
誰かに誇るためではなく会長のためにひたすら働き続けたこの1年は、間違いなく私に大きな自信を与えてくれた。
††††† 登場人物紹介 †††††
岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会長補佐兼代行。製薬会社の創業家一族であり茶道部からも勧誘されたが、自身の優秀さを証明するために生徒会入りを選んだ。
芳場美優希・・・臨玲高校3年生。父親は前日本国総理大臣。後妻である母から政治家の妻となるよう教育されてきたが、その反動からか生徒会長時代はやりたい放題だった。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。入学に際して理事長と利害が一致し、協力して治外法権状態だった生徒会の改革と臨玲高校の治安回復を目指した。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。可恋から次の生徒会長になるよう言われている。ファッションデザイナーとして臨玲の新しい制服をデザインした。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。若者に圧倒的な支持をされている映画女優。ほとんどの生徒を相手にしようとしないが、可恋と陽稲には一目置いている。生徒会広報に就任した。
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